#7 回顧
「ありがとうございました。そちらのお相撲さんのおかげで、私の大事な荷物を取り戻すことができたんです……ほんと、うちのお兄ちゃんってば役に立たないんだから」
紀子が立ち上がり、頭を下げる。
俺も一緒に頭を下げる。
「おに……妹さんですか?」
バイク美女は怪訝そうな表情。
「はい。不肖の兄に可愛がってもらっている妹です」
俺にしゃべらせまいとしているようにも感じられる紀子の会話に、混ざらないほうがいいかと静観する。
「そうですか。荷物がご無事で何よりです。それからえーと……ガソリンスタンドでは突然話しかけてしまってごめんなさいね。知り合いに、とても似ていたもので」
マジか。
こんな美人、全く記憶にないはずがないから絶対人違いだろ。
「いえ、お気になさらずに」
俺がもう一度頭を下げると、二人は店の外へ出ていった。
そのタイミングで店の前にオフロード仕様のごつい4WDが到着する。
サングラスをかけた男が運転席からこちらを見ている。
「ざーんねんだったね。あれ、彼氏だよ? きっと」
紀子が嬉しそうに俺を小突く。
「別にそんな気はないっての」
「思いっきし気にしてるじゃん。視線がずっと車を追いかけてるよ?」
「いや違うんだ。あのオフロード仕様の車……ここに何しに来たのかな、って」
「え? 何しにって……」
声のトーンを下げる。
「いったん車に戻ろう」
紀子は黙ってうなづいた。
持ち帰りナポリタン分も含めて料金を支払い、店を出た。
まっすぐに車へと戻り、今後の方針を話し合う――その前に。
「何かまだ隠してることとか、ある?」
キツくならないよう声のトーンに注意を払いながら、紀子に尋ねた。
紀子は不安そうな顔で俺を見つめる。
「私、洋介のこと信じたから……全部話したよ。それは信じて」
「疑っているわけじゃないんだ。ただ、あいつらはこの町には不自然だ」
「それって探偵の勘?」
「まあな。俺が気にしているのは連中と行き先がかぶること。その『人肉腸詰工場』には、なにかの隠し金とか、犯罪系の噂はなかったのか?」
「私が知る限りでは、ないわ」
「この街に来るまでの道がさ、なんだかんだで一本道しかなかったんだ。土砂崩れとか工事とか理由は様々だけど」
「そう言われてみれば」
「道が決まったルートしかないってのは、守りやすく襲撃もしやすい。異常なんだよ。この地域そのものが」
紀子は黙って再び俺の袖をつかむ。
「そう言われると……」
「
「洋介」
紀子が急に抱きついてきた。
その頭と肩とが小さく震えている。
俺は黙って紀子の頭を撫でた。
「洋介は、私のこと、守ってくれるんだよね?」
「ああ、約束する」
「私ね、ちょっと甘く見てた」
「俺の想定が、最悪の事態の方ばっか向き過ぎているかもだし」
紀子の左手が俺の背中の方へと伸びる。
そのまま俺の膝の上に乗ろうとするものだから、座席を後ろへスライドさせてハンドルとの間に隙間を作った。
すると紀子は本当にそのまま乗ってきた。
「洋介が本当のお兄ちゃんだったら良かったな」
「偽物の兄貴なんてのがいるのか?」
「そうじゃなくて!」
上目遣いで俺を見つめる紀子。
「……洋介とのキスはタバコ臭いのかな?」
「いやいやいや、それはやめてくれ。三島氏にはそこも含めて依頼されているんだ。紀子のことを守るって件については悪い虫もアウトだ……それに紀子、お前今、耳真っ赤だぞ」
「ふ、ふーん。オトナの余裕ってやつ?」
紀子がようやく俺の膝の上から助手席へと戻る。
あー、危ねぇ!
なんとか態度を取り繕いはしたけれど、未成年相手にドキドキするなんてハードボイルド失格だ。
クールになれよ、池袋鮫。
「あいつらが何を企んでいるのか分からないが、どうも危険な匂いがする。俺はそういう鼻はイイんだ……なあ。探索はここいらで打ち切ったほうがいいんじゃないかって思うんだがな」
紀子は即座に口をとがらせる。
「……危険じゃないなんて、確かに私にはわからないわよ。でも、まだそうと決まったわけじゃないし……せっかくここまで来たのに」
「他の都市伝説とかに切り替えるってのはどうだ? 今度は最初っからボディーガード兼運転手付きだぞ? 長い田舎道だって歩かなくていい」
「それは魅力的だけどダメ。ヒントはもう残してきちゃったし、ここで目的地変えちゃったらフェアじゃない」
そうか、それもあったんだっけな。
「紀子の安全を最優先したいっていう気持ちは分かってくれるだろ?」
「……依頼する、って言っても?」
「これは、依頼とか、そういうレベルじゃない」
「えー。まだ、危険とか、陰謀とか確定したわけじゃないじゃない」
「嫌な予感がするんだ」
そう言った自分自身に驚いた。
あんな夢を見たから、か?
どうしてこんなにも「行きたくない」のか、自分自身にすら明確な理由を突きつけられないでいる。
クールでハードボイルドならこんなに怖気付いたりはしない。
だが、そんな美学を大きく上回るほどの不安が、いつの間にか迫っているように感じる。
その理由を――記憶を辿ろうとしただけで、あの景色が蘇ってくる。
俺はたった一人で洞窟に居る。
洞窟の中はひどく居心地が悪く、逃げようとするのに出口が見つからない。
ただ波の音だけがぐおんぐおんと響き渡る。
周りだけじゃなく、自分の頭の中にもずっと。
逃げようとする。
でも、どこへ――その後はあんまり覚えていないけれど、しばらくして外の明りを見つけたんだ。
ただその光はずっと遠くて、満ちてくる潮に焦って。
――その後――その後、どうしたんだっけ。
「ねえ」
「ん?」
「よーすけこそ、何か隠してない?」
「え?」
今、紀子が違う誰かと被って見えた。
「洋介?」
「……ああ……ああ、ごめん。記憶がな、ずっと忘れていたはずの記憶が、昨日から妙に戻ってきてんだよ」
「言いたくなかったら言わなくていいけど……記憶喪失みたいな?」
「わからん。ガキの頃の記憶を思い出しにくいってだけで……ああ、でも」
「でも?」
紀子とその都市伝説の話をしていたら、少しずつ思い出してきた。
その度に、きっと勘違いに違いないって、ずっとごまかして来た。
でも。
目をそらせない現実が、ここにある。
「この都市伝説の村はな……おそらく……俺が生まれた村だ」
「うっそー? じゃ、じゃあ、人肉腸詰工場は?」
「いや。かまぼこ工場ならあったけどな」
そう。確かに、物騒なものなんかなかった。
「なーんだ。驚かせておいて。たいしたことないじゃない。洋介の生まれたとこなら優しい人も多そう……」
「故郷って言っても小学校の低学年のうちに引っ越しちゃったから……それもあってさっきまで確証持てなかったし」
「そうなんだ?」
「……何か嫌なことがあって……それで村を出たような気がする。細かいことは覚えてないんだけど……」
「ね、洋介の生まれた村、見に行きたい。工場だってちょっと遠くから眺めるだけでいいし。実家だって残ってるでしょ?」
「どうだろう……分からない」
「分からない……って?」
不思議なもんだな。
だんだん思い出してきたよ。
あの村で起きたこと。
はじめは「気を利かせて」だろうか、ばーちゃんは俺の身に何が起こったのかをずっと黙っていた。
そのせいか、いつしか俺もそのことを聞かなくなり、日常の中どころか意識の端にすら上らないようにすることに慣れていった。
「家族のほとんどを、あの村で亡くしたんだ」
じっと俺を見つめる紀子の前で、今まで誰にも話したことのない、自分の生まれた村の事を静かに話しはじめた。
「俺のばーちゃんが一度だけ話してくれたことがある。うちの家系は江戸から続く大地主でさ、明治時代には地元にかまぼこ工場を誘致して、おかげでこんな田舎でもけっこう栄えたらしいんだ」
「すごいじゃん」
「そして時代が下って太平洋戦争の頃だよ。
「待って。録音してもいい?」
「構わない」
もう一度最初の部分から話し始める。
「でな。そんな戦時中のある日、浜に敵戦闘機が不時着した。アメリカ人のパイロットが生きててね。村の人たちは工場でかまぼこにしてやると、いきり立ったらしいんだけど、曾祖叔父がそれを止めたんだと。実はそのパイロットは本国では大手企業の息子で、そのおかげで戦後、この村と工場はとてもよくしてもらった。まあ、良いことばっかじゃないわな。そのせいで近隣からはよくない噂を立てられた、とかも聞いたよ」
「人肉腸詰工場は妬みだったのね」
「工場はそのうちアメリカ企業が買い取ってね。戦時中に行方不明になっていた曾祖父が、戦後しばらくして戻ってきたときにはこの村はすっかり変わっていた。村人は皆、工場で働いていた。曾祖叔父は村長になっていた。すっかり人が変わったように威張り散らす曾祖叔父に反発する村人も居たらしいんだ。曾祖父に村長になってほしい派閥なんかもできてたみたいでね。それでも曾祖父は、村が栄えるのはいいことだと争いを回避した。いち漁師として村の片隅で暮らし続けたらしい」
「ちょっと待って……もしかして資産とか全部、曾祖叔父さんが?」
「そうだ。まるっと手に入れてしまっていた。曾祖父を戦死扱いにしてね。生きて戻ってきても、相続しちゃった後だとどうにもならなかったらしい」
「じゃあ洋介は元漁師?」
「いや、貧乏漁師はじいちゃんの代までさ。俺の父親は頭が良かったらしくてね。漁師を継がずに大学へ行ったんだ。奨学金でなんとかしたらしい。そこで同じ学者仲間の……俺の母親を連れて帰った」
父と母のことはおぼろげにしか覚えていない。いつも忙しそうにしていて、なんかいつも怒っていたような。
「じゃあ、洋介は頭がいい血筋なんじゃない?」
「だといいけどな……で、その頃かな。工場が閉鎖されたのは。水質調査がなんとかで、工場が有害だとか。そして政府の研究所ができて、監視するとか何かで俺の両親はそこで働くようになったみたいなんだ。俺がまだ小学校に上がる前の話だ。ちょうど村を離れて行く人が増えた頃かな」
「政府の研究所ってそれ非公式か、もしくはフェイクね。いろいろ調べたもの。このへんのこと」
「俺も子供ながらに違和感はあったよ。見知らぬ大人が増えて、村の中でも『遊びにいっちゃいけないとこ』が増えてね」
「うわー、それ気になる。続けて続けて!」
「俺には歳の離れた兄が居たんだ。両親と一緒に研究所に出入りしてたんだが、失踪してね。その後すぐくらいかな。嵐の晩だった。両親が研究所に行ったきり戻ってこなくって、所長っていう男が来て、二人の乗った車が崖から落ちた、とだけ告げた。その晩のことだけは覚えている」
そうあの所長――遺族に死を告げているというのに、妙にニヤついた顔つきなのが気に入らなかったのを覚えている。
「洋介、ごめんね」
不意に紀子が俺の手を取り、握りしめた。
● 主な登場人物
・
笹目探偵事務所の所長。二十七歳。三島建設代表取締役の次女
・三島紀子
三島建設代表取締役三島
・
作家。伊豆の名家の生まれ。代表作は『魔女狩られ』と『海の王』。一作目は実際の事件を元にしたと言われ、二作目は遺作で断筆。
・福乃海
喫茶店で紀子のリュックを持ち去ろうとした男を足止めしてくれた幕内力士。
・バイクの女
美人でスタイルもいい。洋介に対し「どこかで会わなかった?」と尋ねてきた。福乃海の知り合いのようである。
・洋介の先祖
江戸時代からこのあたりの大地主で、明治時代にはかまぼこ工場を誘致したりもした。
・洋介の
太平洋戦争に従軍している間に、戦死扱いにされ、先祖代々の資産をすべて弟に奪われたが、争い事を避け、貧乏漁師としてその後の人生を生きた。
・洋介の
体が弱かったが、太平洋戦争中に墜落したアメリカ人パイロットを助け、村長にもなった。
・洋介の兄と両親
工場が有害だとして閉鎖されたあと、それを監視する「政府の研究所」で働いていたが、兄は失踪、直後、両親は自動車事故で帰らぬ人に。
・洋介の祖父
漁師を継いだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます