#12 遭遇

 再び音の鳴る廊下を通り、居間へと戻る。

 時計はもう夜の九時をまわったあたり。

 マリ子さんに頭を下げて俺たちは出発することにした。

「もう行きます」

「気をつけてね。きっと逃げてね。生き延びてね……小百合の分まで」

「……マリ子さん、ありがとうございました」

 それ以上は何も言葉を交わさずに、二十年ぶりくらいのさゆりちゃんの家を出た。

 出てすぐ紀子が物陰へと俺を連れ込んで手を二回握るもんだから、俺は顔を近づける。

「よかったの?」

「マリ子さんを連れていかなくてってことか?」

「あの人なら、パパかママのとこで働き口探せ」

「紀子」

「はい」

「マリ子さんの目はそういうことじゃなかった。家族を失くした場所だからって以外にも何か理由があると思うんだ。そしてその理由は俺たちに語らなかった。だとしたら……俺たちが口を出すわけにはいかない」

 紀子はうつむいて、そして俺の手を握った。

「洋介も……ここに住みたいの?」

「俺は『池袋鮫』だぜ。都会以外では水が合わねぇよ」

「池袋鮫ってダッサいよね」

 紀子は小声で笑った。

 さてと。

 タカコたちはどこに居るんだ?

 マリ子さんの話では、もしかしたらタカコたちがもう一度来るかもしれないって言ってたけど、こんな時間になっても来ないってことは――タカコの家ってどこだっけかな。

「ね、洋介」

「なんだ?」

「泣きたくなったら泣いていいからね。一緒に泣いたげる」

 紀子のその言葉、さゆりちゃんも同じこと言ってたんだよな。

『ね、よーすけくん。わたしが泣きたいときはそばにいてね。かわりによーすけくんが泣きたいときはわたしがそばにいてあげる。いっしょに泣いたら、かなしいのはんぶんへるもんね』

 ……なんでこう女ってやつは。


 気を取り直すぜ。

 今できることはなんだ?

 魚男が出没する可能性を考えると、武器をもう少し持ってきた方がいいか?

 日記帳を読めばもう少し状況がわかるのか?

 タカコの家を経由して、いったん車に戻るのがベストか?

 ――なんて迷っているうちにタカコの家の前へと着く。

 人が居る気配はしない。

 だが二回偶然出遭えたんだ。きっと三回目もあるさ。

 じゃあ次の目的地は――車へいったん戻るか。

 手を二回握りながら紀子の耳元へ。

「いったん車を目指すぞ」

「はい」


 村の中を歩くにつれて土地勘がだいぶ戻ってきた。

 この村の海側は港になっていて、幅広な港の両側から突き出た岬がそれぞれ緩やかなカーブでこの港を大きく囲い込んでいる。

 ただ、二つの岬はシオマネキのハサミみたいに大きさにはかなり差があった。

 左側の岬は特に大きく広く、工場も研究所もそこにあった。

 三本松のある高台からさらに先へ進むとそこへと至る。

 村役場もそっち側に移ったんじゃなかったっけかな。

 右側の小さな岬には、村長のお屋敷がある――今は電気が消えているようだが。

 お屋敷へ向かう上り坂の手前には小さな映画館があったと思うが、今はもう建物すら残ってなさげ。

 その脇には村で唯一の雑貨屋があり、そこからさらに港側へ近付くと、漁協の建物もあったはず。

 まあ、そこまで確かめには行ってないが。


 俺たちは三本松へと向かう。

 民家が点在する緩やかな斜面を、周囲を警戒しながら登る。

 家の陰、木の陰、時には草むらに身を隠し。

 家や木の隙間から、時折、研究所の煙突が見える。

 夜だというのに白い煙を吐き続けている。

 マリ子さんの話を聞く限りでは、この村で起きている様々なことの元凶に思えてならない研究所。

 だからかもしれないが、あの煙突が監視塔のように感じられる。

 ずっと見られているような不安。

 何があったとしても、少なくとも紀子だけは――それだけは絶対に。


 坂をだいぶ登り三本松にもだいぶ近づいてきた頃、紀子が突如俺の手を引っ張った。

 振り返ると紀子越しに村と港とが見渡せる。

 どうやら景色を撮りたがったいるようだ。

 撮影が終わるのを待ってからいったん木の陰へと隠れると、紀子はデジカメの画面を見せてきた。

「ね、港を出てすぐくらいのとこにある島みたいなの、何?」

 例のナイトモードってやつで撮った画像だ。

「ああ、それは真魚まな島だ」

「まなじま……どんな字を書くの?」

「真の魚、と書いて『まな』って読むのさ」

「……真の……魚……ね」

 紀子はため息をついた。

 魚男を見た後だからな、まあその反応もわからなくもないが。


 真魚島は、この港の入り口よりちょっとだけ沖にある小島。

 ここを中心に防波堤も築かれていて、おかげで湾内の港は波がかなり穏やか。

 陸からはつながっていないため泳がないと行けない場所なのだが、遊び場の少ないこの村の子達が「子供たちだけ」で行っても怒られない場所だったから格好の人気スポットだった。

「あの島は、俺らの遊び場だったんだ」

「へー。今はすっかり都会の男、なのにねぇ」

「村を出てからのほうがもう長くなったからな」

「ちなみにこっちは何?」

 次にモニターへ映し出さたのは、三本松から工場へと続く道――から分岐した道の先にある小さな建物。

「あー、これ、分校だわ」

 村からだと竹林に阻まれて見えなかったが、昔は村からも見えていたんだよな。

「ふーん。ここに通っていたんだ?」

「まあな。とは言っても俺がこの町を出たのが七歳くらいの時だから、一年ちょっとしか通っていなかったがな。んで、工場が近いだろ。分校では毎日のように危ないから工場には近づくなって釘刺されてたぜ」

「あの話を聞いた後だと、危ないとかダメとかの理由が工場だからじゃないみたいに感じるよね」

「実際の所はわからないが、それを否定できなさげな現状ではあるな。どちらにせよ遊びたい盛りのガキの耳には届いてなかったが。抜け道みたいなとこをくぐり抜けてこっそりとな」

「抜け道?」

「昔の話さ……ほら、もう行くぞ」

 周囲に誰も居ないことを確認して再び道へと戻ろうとした俺の手を、紀子が素早く二回握った。

「その抜け道っての、この先?」

「ああ」

「それ他に誰が知っているの?」

「恐らく俺たち――当時の遊び仲間だった五人だけ。俺とタモっちゃん、さゆりちゃんとのろまのひろし、あとはタコのタカコ」

「タカコさん、その道を使っているってことはない?」

「あり得なくはない」

 分校の裏手から一本の小径があった。

 普通に歩いて行けば崖に出て終了。

 だけど途中に、子供の目線でしか見つけられない抜け道があった。

 立ち枯れた大きな木のうろに潜り込むと底にさらに穴があって洞窟のような場所につながっていた。

 その先、洞窟の出口が工場近くの雑木林の中だった。

「そこさ、子供だからこそ通り抜けられた穴だったし、そもそもは出入り口は子供だって通れなかったくらい狭かったし」

「狭かった……って広げたの?」

 紀子との会話が、既に思い出せている記憶と記憶との隙間を埋めてくれる。

 そうだ。広げたんだ――俺たちは。

 最初は小さかったのを、タモっちゃん家から持ってきた金槌で代わり番こに叩いて削って広げたんだよなぁ。

 ――あの穴がまだあったとしたら――それも大人が通れるくらいまで広げたりしていたら?

「広げたさ。俺とタモっちゃんとでな……車へ戻る前にちょっとだけ見てみるか」

「いいねっ!」


 三本松へ向かう道から枝分かれした道へと入り、分校へと向かう。

 近付いてみると分校自体はもう使われていないのが一目瞭然だった。

 門には鎖が巻き付けられ、窓ガラスもかなり割れていて。

 自分の過去が荒れ果てているみたいで気持ちがいいもんじゃないな――なんてついつい感傷に浸っていた俺の手を、紀子がまた二回握った。

 ナイトモードのデジカメを手渡してきて、俺の背中へと隠れる。

 デジカメのモニターには抜け道へとつながる小径が映っている。

 そしてその中央を、こちらへと向かってくる人影のような何かも。

 俺たちは慌てて傍らの木の陰へと隠れた。


 カメラを紀子へと返し、息を殺してその誰かが通り過ぎるのを待つ。

 俺がこの村を離れてから約二十年。

 あの秘密の抜け道が俺たち以外の誰かに知られている可能性ってのは存分にあり得る。

 足音は次第に近づいてくる――が、その足音の不自然さが気になった。

 普通の人間が歩くリズムとは違う気がする。

 それでいてやけに速度が早い。

 脳裏をよぎるのは昼間見た魚男。

 そのくらい不自然な足音がぐんぐんと近づいてくる。

 早く通り過ぎてくれ――と祈りながら縮こまっていると、突然サイレンの音が大音量で辺りに響いた。

 聞き覚えがある音。

 研究所の所長が、俺とばーちゃんしか居なかった当時の家に訪ねてくるちょっと前も聞いた音。

 両親と祖父の死を告げられたあの日の音。

 しかし聞き覚えがあったのは俺だけで、紀子は違う。

「ひゃいっ!」

 俺のすぐ後ろで、紀子は思わず声をあげてしまった。

「だ、誰だっ!」

 あの不自然な足音はすぐ近くで止まる。

 考えるよりも早く体が動いた。

 しがみつく紀子の手を強引に離させた俺は木の陰から飛び出し、今声を出したそいつに向かって突進した。

 そいつを地面へと引き倒し、転がったところへ馬なりに乗る。

「くそっ! 追っ手早ぇよ!」

 そいつはとっさに顔をガードする、その手の甲がやけに光って見えた。

 鱗?

 それにやけに魚臭い――こいつ、魚男かっ!

「洋介! さっきの道に車の音がたくさん!」

 紀子が駆け寄ってくる。

「バカ! 隠れてろって!」

 その手には特殊警棒と、スタンガン。

 だから紀子は戦うことじゃなく、逃げることを考えろって!

「ひっ!」

 案の定、紀子は魚男を見て尻もちをつき、ガタガタ震え出す。

 仕方ない。とりあえず紀子のスタンガンを借りて、と俺が魚男の上から下りた瞬間、魚男はひらりと立ち上がった。

 ヤバいっ紀子だけでも守らねばっ。

「洋介って……ひょっとして、よーちゃん? よーちゃんも来てくれたのかっ?」

 明るい声。

 魚男に知り合いなんて――うわ、魚の頭から人間の頭に――なんだ?

 なんで俺は、この魚男の顔を「懐かしい」だなんて感じてるんだ?

「俺だよ、よーちゃん! 洋介ってよーちゃんだろ?」

 俺のことをよーちゃんと呼ぶ、こんなニコニコ顔のやつ、一人しか居ねぇよ。

「……お、お前……タモっちゃんか?」

「ああ、タコのタカコが来てたから、洋ちゃんも来てるって思ったよ」

「ど、どういうことだよ……一体……今、お前……」

 軽いパニックだ。

 いや、クールな探偵の俺でもさすがにちょっとこれは想像の範囲を超えている。

 まさか映画の撮影ってこたぁないよな?

 タモっちゃんを改めてじっくり見ると、もう顔も手も普通の人間へと戻っている。

 さっきのは見間違いかと不安になるくらい普通の――でもタモっちゃん、裸足だけど。

 それにしてもこの格好、どこかで見たことあるんだよな。

 ――ああ! ガキの頃の記憶の中で――工場に通っていた人たちが着ていた制服に似ているのか!

「おい、よーちゃん! 時間がない。ここは俺がひきつける! これを、これをタカコに!」

 タモっちゃんは、懐から小さな金属製の筒を取り出した。

 受け取ったそれを、ミリタリージャケットの内側にあるマジックテープで閉じられるポケットへとしっかりしまう。

「タカコに渡せばいいのか?」

「ああ、頼んだぜ! しっかしよーちゃん、また会えるなんてすげー嬉しいぜ!」

 タモっちゃんは三本松へと続く道の方へ走り出そうとする。

「タ、タモっちゃん、どこに行くんだよ!」

「真魚島にタカコの仲間が居る! そこへ行ってくれ!」

 するとまた、魚臭さが強くなる。

 タモっちゃんの頭が再び魚へと変わる。

「早く!」

 その言葉を残してタモっちゃんは走っていってしまった。






● 主な登場人物


笹目ささめ洋介ようすけ

 笹目探偵事務所の所長。二十七歳。三島建設代表取締役の次女紀子のりこ捜索依頼を引き受けた。紀子と一緒に故郷を訪れている。


・三島紀子

 三島建設代表取締役三島行男ゆきおの次女。洋介と一緒に行動する覚悟を決めた。


綯洗ないあら陶蝶とうてふ

 作家。伊豆の名家の生まれ。代表作は『魔女狩られ』と『海の王』。一作目は実際の事件を元にしたと言われ、二作目は遺作で断筆。


・洋介の兄と両親

 工場が有害だとして閉鎖されたあと、それを監視する「政府の研究所」で働いていたが、兄は失踪、直後、両親は自動車事故で帰らぬ人に。


・洋介の祖父母

 漁師だったが、祖父は洋介の両親の事故死と同時期に死亡。その後、祖母は関東を転々とし、洋介を別の親戚へと預けた後、現在は沖縄在住。


・遠い親戚

 静岡県で刑事をしており、幼き日の洋介を引き取った。刑事にだけはなるなと遺言を残している。


・洋介の曾祖叔父ひいじーちゃんの弟

 体が弱かったが、太平洋戦争中に墜落したアメリカ人パイロットを助け、村長にもなった。十年ちょい前もまだ村長をしていた。


・タモっちゃん

 洋介の幼馴染で、一番家が近かった。本名はたもつ。魚男化していた。


・さゆりちゃん。

 洋介の幼馴染で初恋の相手。本名は小百合さゆり。十七歳で亡くなった。遊園地に行ってみたいと言っていた。


・のろまのひろし

 洋介の幼馴染。


・マリ子さん

 さゆりちゃんの母。現在も村に残っている。十年ちょい前に夫を、十年前に娘を失っている。


高古たかこ孝子たかこ

 洋介の幼馴染。いつも洋介の後ろをひっついてきた。幼少時は自分の名前をちゃんと言えなかったため「タコのタカコ」と呼ばれていた。真魚島に仲間が居るらしい。


・ふくはらときじ

 デブふく。洋介よりも早く村から引っ越していった。恐らく喫茶店で会った力士、福乃海。

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