8月16日(火)#1
帰省して4日目。
休暇の折り返し地点となる今日、世間ではお盆の終わりが迫り、新幹線の乗車率だの駅構内でのインタビューだの、ワイドショーは帰省ラッシュの話題でもちきりだった。
毎年お盆のどこか1日は、昼から夜にかけてこの家に各地から親戚たちが集まる。祖父母が生きていた頃から続いている慣例で今年も例に漏れず、今日、父の兄家族や従兄弟夫妻、そしてその子どもたち、3世代が我が家で顔を合わせていた。
集まる場所がここなのは単純に本家だからなのだけれど、いわゆる当主である父は突然の出張で不在。それでも、賑やかな子どもたちを含めみんなで和気あいあいと取り寄せたお寿司やらオードブルを楽しみ、昨日までの静けさはどこへやらという盛り上がりだった。
昼食の後、居間では大人たちが毎年恒例の高校野球で盛り上がっている。子どもたちは私が寝起きしている和室で、それぞれの家から持ってきたおもちゃを広げていた。
みんな従兄弟たちの子どもで、上は小学3年生、下は幼稚園児まで。歳の近い子たちが集まると、それはもう騒がしい。
仲良く遊んでいたかと思えば、おもちゃを取り合って喧嘩が始まり、親に怒られて泣いたその数分後にはあっさりと仲直りをしてニコニコして一緒に遊んでいたり。
「ごめんね」の一言で全てを許し、全てが許される、この純粋さと心の広さが、どうして年を重ねると失われるのかと私はこっそりため息をついた。この休暇をもたらした渦中の彼女らも、このぐらい簡単だったらな……と遠い目になる。
「穂花ねーちゃん、見てこれ!」
「んー?わ、すごいねえ」
ブロックでつくった家をニコニコと見せてくれる5歳児の相手をしながら、不意に部屋が暗くなった気がして外を見た。
―― ちょっと曇ってきた?
先ほどまであんなに晴れていたのに。
ふと頭をよぎる、2日前のテレビ映像。「ゲリラ豪雨になる可能性が……」というお天気キャスターのお姉さんの言葉。
あれから、まだ雨は降っていない。
立ち上がって縁側から見上げると、青かったはずの空は流れのはやい灰色の雲に覆われていた。
すぐにでもひと雨きそうな気がして、とりあえず縁側のガラス戸を閉めようと手にかける。と、外に干したままの風にゆらめく洗濯物たちが目に入った。
「ねえお母さん!洗濯物――……」
今のうちに中に、と廊下から居間へ声をかけようとした途端。
バラバラバラッ!と屋根にあられを散らしたような大きな音が響いた。
―― うわ、やっぱり!
急いで和室を飛び出すと、濡れ縁から庭先に駆け下りる。足先に突っかけただけのサンダルにつまずきそうになりながら、どっさりと服やタオルを両腕に抱えて部屋に放り込んだ。
ぼたぼたっと肩に大粒の雨が当たり、慌てて家の中に転がり込むのと同時に勢いが急激に強くなる。
ピシャン!と閉めた窓に、散弾のように叩きつけられた雨。ザァァァァアとモザイクをかけたような雨音が跳ね返った。
「……あっぶな……」
空が変貌してから牙を剥くまで、ほんの一瞬。
私の行動に、子どもたちが「おねーちゃんすごい!」と手を叩いた。
山の天気は変わりやすい。ゴロゴロと雷も鳴り始め、「かみなりだー!」と怖がるどころかはしゃぐ子どもたちに苦笑いした。
私も、確かこの年齢ぐらいの頃。友達と神社で遊んでいるときに今ぐらいにひどい雨に降られて、慌てて走って帰ってきたことを思い出す。
ずぶ濡れになって家に転がり込み、祖母がふわふわのバスタオルを持って出迎えてくれた。そのままお風呂場に駆け込んだのだ。
―― そういえばあの時、何であんなに濡れたんだろ。
ふと引っかかり、記憶を辿ってみる。
急な雨だったから、傘を持っていなかったのだろうか。確かランドセルの中まで雨が染みて、教科書やノートもびしょ濡れだった。
「すっごいゴロゴロいってるねえ」
「天神さまが田んぼのために降らせたんだー!」
「てんじんさまってだれぇ?」
「みゆちゃん、知らないの?お社に住んでるかみさまだよ。」
過去を辿る私の映像に重なるように、目の前の子どもたちがきゃっきゃと騒いでいた。
―― 天神さま……。
久しぶりに聞いた言葉に、今は亡き祖母の声が蘇る。
「いいかい穂花。あのお社には天神様がいてね、この町をお守りくださってるから、稲も実るし、野菜もたっぷり獲れるんだよ……」
そう。
昨日、はくびと共に行った柏神社。
あの本殿には天神様が住んでいるとして、昔からお社を大事にしなさいとよく言われていた。田畑が栄え、人々が生きられるのは天神様が見守ってくれているからなのだと。さらにお社を大切にしていると、自分が困っている時に天神様が助けてくれるという口承もある。つまり、良いことをすれば必ず自分に返ってくるということだ。
田舎であるこの町には、見えないものを信仰する昔ながらの風潮がまだうっすらと残っている。子どもたちの道徳心を育むための伝承として、今でも語り継がれているのだ。
「あら!取り込んでくれたの?」
記憶の狭間を行き交っていたところに耳に届いた、ふと現実へ引き戻される声。
こんな緊急事態にものんびりしている母が、肩を濡らした私を見るとバスタオルを持って戻ってきた。
「あ、ありがと」
「急に降ってきたのねぇ。久しぶりの雨ね」
受け取って頭を軽く拭きながら、すぐには止まなそうな雨空を見上げる。つい数分前には少し灰色がかっていただけなのに、今はもうすっかり真っ黒い雲に覆われ、遠くの方で時々ピカッと光る稲妻が見えた。
「稲、萎れずに済みそうだね」
ちょうど一昨日、田んぼの干上がりを心配していたことを思い出してそう言うと、母は「そうね、天神様に聞こえたかな」と笑う。
「ただこれだけ勢い強いと、ひまわりの方は倒れちゃうかもね。今ちょうど見頃だと思うんだけど」
私が取り込んだ洗濯物を持ち上げて、母が少し残念そうに呟いた。
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