8月16日(火)#2
―― ひまわり?
母の言葉に、頭を拭いていた手を止めた。
「なに、ウチでひまわり育ててたっけ?」
「違う違う。ひまわり畑のこと」
「ひま……畑?」
ますます首を傾ける。
きょとんとした顔の私に、従兄弟の子どもが「穂花ねーちゃん、知らないの?」と畳に手をついてぐいっと身を乗り出した。
「え?たつやくん分かるの?」
「えー!みんな知ってるよう」
最年長である小学3年生の達也が、「ねえ?」と周りの子どもたちに尋ねる。その場にいた全員が大きく頷いた。
―― ひまわり畑?そんなのあった?
母の方を振り返ると、戸惑った私の表情を見て「ああ!」と納得したように声を上げる。
「そっか、穂花が向こう行っちゃってからなんだ。ひまわり畑が出来たのよ、おととしぐらいだったかなー」
「え、そうなの?」
「小学校の真裏でね、ほら、閉校になった年に。最後に地域のみんなで、記念作業ってことで種撒いたの」
「ああ……」
私が通っていた小学校は、2年前に少し離れた隣町の小学校と併合する形で閉校となった。今は誰も通っていない。
そのため今は校舎がそのまま形として存在しているだけで、中身は空っぽ。黒板や特別教室の机など、簡単に動かせないもの以外は全部移動したと聞いた。私が小学生の時もひとクラス20人もいないほどの小規模校だったけれど、年々子どもの数が減ったようだ。
「記念作業なんかしてたんだ」
知らなかった。
思えば、帰ってきてからあまり外出というものをしていない。近くに娯楽施設が一切無いこともあって、行ったところといえばお墓とスーパーと神社だけ。それから、あの大木の下。
「ほんとに鮮やかな黄色で綺麗なのよ。別の町からわざわざ見に来る人もいるんだから。去年はみんなで一緒に見に行ったよねー?」
腕に抱えた洗濯物からひょこっと顔を出し、子どもたちに笑いかける母。それに対してみんなが口々に「行った!」「きれいだった!」と答えた。
「今がいちばん見頃なんだけど、この雨で萎れちゃったら勿体無いね。確か2週間も保たないんだって」
「へえ、そんな短いんだ」
「花の寿命はあっという間だからねー」
話しながら窓越しに空を見上げる母に倣うように、バスタオルを頭から垂らしたまま視線を上げた。
ザーー……ァァと強まる雨の音。バタッ、バタッと雫がトタンに当たる音が聞こえた。
その音を聞いて、ふと手を止める。
神社の瓦葺きの屋根から落ちる雨音と重なって、不意に思い出した。
「……。そうか」
声に出ていたことも知らず、「そうか」と繰り返す。
「なんか言った?」
母が不思議そうに私の方を見たけれど、一気に溢れてきた記憶を追うのに夢中で気づかなかった。
あの時、神社で雨に降られた子どもの時。
傘は持っていたのだ。今の今まで忘れていたけれど、それこそひまわりのように鮮やかな黄色い傘。お気に入りだったから、確か当時は天気に関係なく毎日のように持って歩いていた。
それなのにあの日、雨に濡れた。傘は持っていたけれど、使わなかったから。
学校帰り、小学生……それも低学年だったあの時、雨が降るとも知らずいつも通り友達と神社で遊んでいた。
山の天気が変わりやすいことはよく分かっていたけれど、あの日は瞬く間に天候が変わったのだ。雨だけでなく突風も吹き、本殿の扉がバン!と勢いよく開いてしまうほど。
だから奥が濡れないよう、持っていた傘を開いて本殿の中を守るように置いてきた、ような。朧げな記憶が泡のように、今にも消えそうな微かな映像と共に浮かぶ。
もし本当に中に誰かいるのなら、濡れてしまったら風邪を引いてしまうかも、と子どもらしく純粋に心配したのかもしれない。
確か雨が上がった次の日に様子を見に行ったけれど、結局あの傘は見つからなかった。恐らく、強い風に飛ばされたのだと思う。
あの日のように、外に通した雨樋に川のように溢れる水。ボトッと屋根から縁側に落ちて跳ねる。
しばらく雨は、止みそうにない。
「おばちゃん、今日の夜花火できる?」
「うーん、このまま止まなかったら無理かなあ」
「えぇー!」
「やりたいー!」
母と子どもたちの賑やかな声を背中で受けながら、重苦しい空を見上げた。
毎年お盆にこうして集まると、日が落ちたあと、蔵の前で手持ち花火をするのが恒例だったよう。彼らはそれを楽しみにしていたようだけれど、地に容赦なく打ちつける雨と、空を覆う黒く混沌とした雲を見る限りしばらく止む気配はない。
―― こんな雨で、はくびはどうしてるんだろう。
不意にそう思ってから、いやいや普通に家にいるでしょと思い直す。
生活感が全く見えず、屋外にいる以外の姿が想像つかないから。そんなわけないのに、まるで帰る場所がないかのように思ってしまう。
結局フルネームも聞いていないままで、母にも彼のことは話していない。一体どの辺りに住んでいるのだろう。
「てんじんさまにお願いしたら止むかなあ?」
「それいいじゃん!お願いしよー!」
「みゆもするー!」
「でもさあ、天神さまなんてほんとにいるのかなあ」
背後でキャッキャと続く、なんとも可愛らしい会話。
それらを嘲笑うかのように、今にも窓を突き破りそうな勢いで降り続ける横殴りの雨が、ガラスに垂れ庭の緑がじわりと滲んだ。
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