8月14日(日)#2
「えぇー買い物ぉ?」
今までテレビにぼんやりむけていた意識を、ようやく母に向ける。気づくとソファーの背もたれの向こうから私を覗き込んでいた。
「暇でしょ。する事なさそうだし」
「暇……だけど」
間違いではない。むしろ大正解。「暇だけどさあ」と言い返す私を全く気にも留めず、母は買い物メモを突き出す。
「ほら起きて!このソファーも掃除したいんだから」
「えー……」
渋々起き上がった私の膝上に問答無用でメモを置くと、勢いよく掃除機をかけ始める。その背中に言い返そうとして、反論が思い浮かばず口をつぐんだ。
確かにリフレッシュのために家に帰ってきたはいいものの、何をしていいか分からない。
向こうにいる時は平日は授業と部活があるし、単位をとって授業が減ってもその分、部活に費やす時間が増えるだけ。朝起きたら走り込み、それが終わったら授業に行って放課後は部活、土曜日になれば1日練習、日曜日は課題に筋トレに買い物に…と毎日フルで動いていたのだ。
それを全部向こうに置いてきた今、時間がありすぎて何をしていいか戸惑っていたのも、事実。
「ほらぁ、邪魔だから早く!」
掃除機を持ち上げた母に半ば足蹴にされるように追い出されて、このままここで寝そべっていたらその掃除機で本当にぶん殴られそうな気がして。
仕方なく、買い物メモを手に私は家を出た。
「よろしくー!気をつけてね!」
「いつものスーパーでいいんだよね!」
「そう!っていうかここにはそこしかない!」
ヴィーーン!と唸る掃除機に負けない声でやりとりを交わしながら、最後の言葉に思わず笑ってしまう。
外に出た途端に、耳に迫ってくる蝉の声。むわっとした蒸気のような熱が身体を這う。「あっちぃー」と声に出さないとやっていられない熱気だ。
コンビニなんて便利なもの、こんな田舎にはない。母の言う通り、ここには買い物をする場所が1箇所しかないのだ。
私が生まれた時からある、古びたスーパー。たった3年弱で道を忘れるはずもなく、私の足は家を出て自然と東へ進む。
田んぼに囲まれた一本道を歩き、あの大木が視界の先に見えてきた時、ふと昨日会った彼のことを思い出した。
私のお節介な忠告に素直に頷き、分かったと答えてくれた不思議な親しみやすさが頭をよぎる。
このまま行くと、あの木の下は通らない。そう思った時、私の身体は何かを考えるより先にルート変更をしていた。
―― ひょっとしたら、あの人がいるかもしれない。
もしかしたらと、そう思って。
こんな田舎には似合わない、あの綺麗な顔が浮かんでは消える。会いたい、と思ったわけではない、と思う。何となくあの掴みどころのない、今までに出会ったことのない雰囲気が気になっただけ。
こちら側から見える範囲に、彼の姿はない。「さすがに2日連続はないか…」と思いつつ木の下までやってくると、たまたまここが通り道ですといった風にさりげなく幹を回り込むように歩いた。
が、本当に昨日と同じ場所にいた彼に「あ」と思わず声が出てしまった。しまった、と口に手を当てるのと同時に顔を上げた彼と目が合う。
同じように、「あ」と向こうの唇が動いた。
「また会った」
「…ですね……」
偶然を装うには、準備ができていなさすぎた。まさか、本当にいるとは思わなかったのだ。
今日も昨日と同じ、ぶかぶかの白いシャツ。木の幹にペタンと背中をつけて、萌え袖になった手で眠そうに目を擦っている。
「えっと……」
その場から立ち去るのも気まずくて、かといってここに突っ立っているのも、と思いながらどうしたものかと固まってしまう。
わざわざルート変更までしたくせに、会えた時のリアクションを全く装備していなかった。
どうしようかと考えている私と、対照的にマイペースに小さく欠伸をしている彼。
「あの……」
私がここに来たことも、この場にいることもまるで空気みたいに気にしていなさそう。数秒だけ躊躇って、そろそろと自分から近づいた。
「いつもここにいるんですか?」
木陰に入ると、微かな風が気持ちいい。この暑い中、建物内以外で涼を求めるのであればここは大正解だと思う。ここに住んでいた頃はお気に入りだったから、その快適さはよく分かる。
「んー。大抵」
「ここで、何してるんですか?」
「ボーッとしてる」
「ほぉ…」
―― やっぱり変わった人…。
淡々としていて、表情が動かない。
ただ、感情が無いわけではなく、面倒そうでもなく。なんとなく(都合よく考えすぎなのかもしれないけれど)私のことも受け入れてくれているような気がする。答え方も投げやりな感じではないし。
ただその先の会話をうまく繋げられず、しばらく黙ったままその場に立ち尽くしていたら「座る?」と初めて向こうから疑問形で尋ねられた。
「気持ちいいんだよね、ここ」
そう言って、「涼しいの」と上を指差す。その指に導かれるように見上げたら、昨日と同じように風に揺られて動く緑の間から、微かに日がキラキラと射し込んでいた。
ぽん、と空いた場所を叩くように手を置かれて、迷ったのはほんの一瞬。
―― なんかこの人、気になる。
不思議と警戒心は無かった。綺麗な外見以外なんの情報もない、得体の知れない人なのに。
どこかで、近づきたい気持ちもあったのだろう。
誘われるがままそろりと近づき、彼から人ひとり分ほど空けた、出っ張った根っこに腰掛けた。
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