8月18日(木)#1



「で、彼氏できた?」

 ザクッと氷に突き刺したスプーンが滑った。カラン!と下に落ちて慌てて拾う。

 静かな店内にはかなり大きな音で響いて、誰にともなく急いで「すみません」と小さく謝った。


 

 帰省して6日目。

 午後5時を過ぎたおやつどきには少し遅い時間に、私はこの町で唯一の喫茶店にいた。

「久しぶりに会って初めに聞くことがそれなの?」

 落ちたスプーンを拾って、紙ナフキンで拭きながら向かい側の友人―― 紗代に呆れた顔で言い返す。

「そりゃね、だって気になるじゃん」

「もっと他にあるでしょ普通!」

 久しぶりに再会した彼女と応酬を繰り広げるこの場所は、私が生まれるずっと前から営業しているという近所の喫茶店。

 古びた看板に書いてあるはずの店名は長年の風雨に晒されて読めなくなっており、正式名称を知る人は少ない。

 扉を開け閉めするときのカランコロンと鳴るベルの音から、「からころ珈琲」という愛称で親しまれている。

 その店内の、窓際から少し離れたクーラーが程よく当たる特等席。隣の革張りのソファーを、ブラインドの隙間から差し込んだ日差しが照らしていた。

「だって穂花って秘密主義じゃん、聞かないと自分から言わないでしょ?帰ってきたことも言わないんだから」

 連絡してよねーと紗代が口を尖らせるが、そもそも彼女がここに帰ってきていること自体、私も知らなかったのだからお互いさまだ。


 

 つい、1時間ほど前。

 リビングでダラダラとテレビを見ているときに、不意に休みが終わるという実感がわいて、私は慄いた。

 今日と明日で、このゆったりした夏休みが終わってしまう。実家に戻って早6日。一切、身体を動かしていない。

―― これまずいんじゃ……。

 毎晩、寝る前のストレッチは欠かさずしていたけれど、走り込みや筋トレは全くしていない。

 よく言うではないか、1日の休みを取り戻すのに3日かかると。その数字が正しいかは置いておいて、身体が鈍っていることは間違いない。

 気づくのが遅すぎる(というより考えないようにしていた)のだけれど、足掻いてもあと2日という残り時間は変わらない。というより、むしろ減っていく一方。

 あと48時間もしないうちに、またあの猛練習の日々が始まっているのだ。リフレッシュしてこいとは言われたけれど、同時に自主練を怠らぬようにとも言われている。

 そろそろ動き出さねばまずい、と、若干今さらすぎるのではとも思いつつ少し日が傾き始めた頃に外に走りに出た。

 そのとき、偶然会ったのだ。道の向かい側からやってきた自転車とすれ違おうとしたまさにその瞬間。

「え……穂花!?」

 直前で急ブレーキをかけ、キキーッという音に混じって驚いた声を上げた彼女は、私の顔を見て「穂花だよね?」と興奮したように尋ねた。

「え、紗代?久しぶり……!」

 私も同じく驚いた。

 数日前、思い出したばかり。母が家中の窓を開け放したままご飯を食べに行っていた友達の娘で、私の幼馴染だ。

 高校卒業と同時にお互いこの町を出てから、一度も会っていなかったから。私が部活一色の生活になってから、遊ぶにもなかなか時間が合わず、連絡も取り合っていなかった。

 大きな目をこぼれ落ちんばかりにさらに大きく見開き、ほぼ同時に嬉しそうに上がった紅い口角。

 私の顔を2秒ほど見つめた後、いそいそと自転車を降りる。「えービックリしたんだけど!いつから帰ってきてたの?久しぶりだよねほんと!」と相変わらず弾けるような声で言うと、自転車のスタンドを立てたあと両手を広げて元気に飛びついてきた。

「わっ!」

「穂花だー。ちょー久しぶりー穂花ー!」

「ちょ、さ、紗代も帰ってきてたの?」

 全身で喜びを表現してくれる彼女を両腕で受け止めて、背中をポンポンと叩く。

「毎年お盆と年末年始は帰ってきてるよ!私」

「ちょ……っ!」

 ぎゅう、と力いっぱい抱きつかれて苦しい。頬をくすぐる艶のある髪からは、とてつもなく良い匂いがした。

―― うわ、まってまって、私、絶対汗くさい!

 可憐な花のような香りを振り撒く彼女と対照的に、自分の汗だく加減に気づいて慌てる。

「穂花いつまでこっちいるの?」

「えと、明日……」

「明日!?すぐじゃん!」

 私の両肩を掴んでガバッと身を離す。いちいち勢いが強い。目を白黒させている私に構わず、「これから時間ある?ちょっと話そうよ!」と続けた彼女。


 

 その言葉で、今に至る。

 さっき走ったばっかり、とは思ったものの、カキ氷だからいいやと自分に言い聞かせてシャクシャクと夏の風物詩を味わっている私。

 そんな中、再会の挨拶もそこそこに「彼氏できた?」と。

「変わってないねえ紗代…」

 色々な話をすっ飛ばしてすぐに恋愛話に一直線に向かうところ。全然変わっていない。

「えー?だって大学ってすっごい広いイメージなんだもん。人も多いだろうし!いろんな出会いあるでしょ?」

 頬杖をついて興味津々といった瞳。彼女は専門学校だったから、大学に対してとてつもなく規模の大きなものというイメージを抱いているようだ。

 間違ってはいないけれど、出会いが無数にあるかというと…そういうわけでもない。

「うーん、広いのはそうだけど。出会いがあるかどうかは人によるよ。私は部活ぐらいしか関わり無いかなあ……」

 スプーンをくわえ、口を尖らせる。

 ほぼ毎日、寮と学内の往復するだけの私。そんな機会は皆無と言っても良い。そもそもあまり異性に対して興味を持って見ていないのもあって、自ら求めに行くこともない。

「そっか〜、まあ忙しいよね、強いとこだもんね部活」

 頬杖をついたまま、紗代が労るようにこちらを見る。

「実は何回か連絡しようと思ってたんだけどね、穂花に。でも寮ってスマホいじれる時間も決まってるんでしょ?忙しいだろうなって」

「ああ……まあ消灯時間とかあるしね」

「でしょー?」

 不思議だ。

 あれだけ毎日会っていたのに、一緒にいたのに。環境が変わってぱたりと連絡を取らなくなった。

 お互いすぐには会えない距離にいたし、私は私で、実習やら何やらで彼女も忙しいと思っていたから。

「でも穂花とはまた会いたいなって思ってたからさー。そういう人とは無理に連絡とらなくてもまた会えるって言うじゃん?」

 いちご味のかき氷を食べながら、こちらに向けたのは数年前と変わらないニッと楽しそうな笑顔。

 ほんとうに、不思議だ。3年近く会っていなかったのに、前と同じ距離感で会話ができる。まるで昨日も会っていたかのように。

 それがなんだか無性に嬉しかった。



 

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