8月19日(金)#2
そんな祖母に、言われたことがある。神社の中で遊ぶときは、神様の住む場所を借りるのだからお礼をしなさいと。
〝目上の人の前を通るときは軽く一礼するだろう。それと一緒のことだよ〟
そう小学生の頃に言われて以来、ずっとそうしてきた。一緒に遊んでいた友達もやっていたし、祖母だけでなく近所のお年寄りにも言われたことがあるから、あの世代の人たちはみんな口を揃えて言っていたのだと思う。
「はくびはやってなかったの?」
火は彼に任せることにして、次いで私が手に取ったのは花火の袋。ガサガサとビニールの糊付けを剥がして、地面に向けて逆さにする。バラバラッと鮮やかな色の手持ち花火が広がった。
「んー俺?」
「そうそう、おじいちゃんおばあちゃんとかに言……――」
言われなかった?と聞こうとした、その時。
はくびが、シュッとマッチ棒を擦った。
一発でぼわっと灯った小さな炎。風除けなのか、軽く覆うように彼が手を動かすと、何かに誘われるようにその身を震わせて揺れる。
ゆら、と大きく揺らめいた炎が彼の瞳を彩った。真紅に染まった双眸に、ゾクッと私の背中を何かが這い上がる。
吸い込まれそうな、初めて出会った時に感じたものと同じ、畏怖に近い何か。
「――――……どした?」
しかし瞬きひとつする間に、はくびがいつもの顔できょとんと首を傾げていた。
彼の瞳に映り込み、まるで意思を持つかのように見えた火はいつのまにか蝋燭に移されてちろちろと穏やかに燃えている。
「あ、いや……」
もうひとつ瞬きをする。何も変わらない光景に、戸惑いながら目をゴシゴシと擦った。
見間違い、だったのか。
一瞬ぶわりと鳥肌が立ったような気がして、無意識に二の腕をさする。
「じゃあ俺先にやるよ?」
そんな私の様子を気にも留めず、青色の手持ち花火を持つとヒラヒラした先端を火にかざす。間髪入れずシュワッと心地いい音がして、弾けるように足元が明るくなった。
その動きひとつひとつを追うように、私は彼を見ていた。色白な頬がきらめく火に照らされ、燃えるように染まる。
「……見過ぎ」
穴あきそう、と笑う彼にハッとして、私も慌てて花火を手に取る。
恐る恐る火に近づけると、一拍置いてしゅわっと色彩豊かな光が飛び出た。素足に火花が飛ばないよう、あわあわと腕を伸ばす。
1人でアタフタしながら、そっと隣を盗み見ると、楽しそうに自らの手元を見ている横顔。視線を感じ取られないよう、すぐに自分の手持ち花火に目を戻した。
「き、綺麗だね」
なんとなく、間をもたせるように花火を見ながら呟いた。先ほどの余韻で心臓がドキドキしているのを必死に隠そうとしたせいか、少々甘噛みしてしまう。
「うん。……ふふっ」
「え?」
「花火が?それとも俺の横顔?」
ギクッとして花火を持つ手が揺れた。
綺麗だと、100%花火のつもりで口にしたけれど、確かに心の中では彼のことをそう思っていたのも事実。咄嗟に言葉が出てこなかった。
途端にはくびが持っていた花火が力尽き、フッと照度が落ちる。はくはくと口を動かすだけで二の句を継げない私に構わず、彼は何事もなかったように次を手に取った。
―― なんか、手の上で転がされてるぞ私。
冗談にしても、サラッと言えてしまうのがまた憎い。事実、綺麗な顔をしているから否定のしようがないのだ。
「は、花火に決まってるじゃん。ほら、その……久しぶりにやったから綺麗だなって」
うまい返しが思いつかず、たどたどしく答えるのが精一杯。そういう軽口に慣れていないから、簡単に振り回されている自分が情けない。
はくびは可笑しそうに「俺じゃないのかあ、残念」なんて軽口を叩きながら、次の花火を蝋燭にかざした。
「そんな久しぶりなの?花火」
「え?うん。……いつ以来だっけな」
咄嗟に久しぶりだと言ったけれど、嘘ではない。最後に花火をしたのはいつだっただろう。
少なくとも大学に入る前。そして高校生の時も夏は部活の強化合宿に行っていたから、お盆に親戚が集まるとき私は基本不参加だった。
となると、恐らく中学生の頃。7、8年前になる。
その時の記憶なのか、花火といえばひたすらに綺麗で、この独特の焦げた匂いで夏を感じる、ただただ楽しいだけのものだと思っていた。
思っていた、けれど。
お互い花火を手に持って、火にかざす瞬間。
シュッ!と音がして先から火花が弾ける瞬間。
肩が触れ合いそうな距離で「火ちょうだい」と彼が自分の花火を差し出してくる瞬間。
目が眩むくらいに光ってフッと消える瞬間。
これが彼と過ごす最後だと思ったら、すべてが切なくて無性に寂しくなる。
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