8月19日(金)#1
実家で過ごす最後の日には、父が出張から帰ってきた。本当は明日までだったはずが予定より仕事が早く終わり、一日早く戻ってこられたようだ。
ゆっくりできる最後の日だと思い、たくさん寝ようと思った最終日。
しかしこれまでのんびりしすぎた罪悪感が残っていたせいか、それともこの1日を無駄にしたくなかったのか。結局6時過ぎには目が覚めた。
帰る準備をしながらテレビをだらだら見て、少しだけ外に走りに出て、帰ってまたゴロゴロして、時間を贅沢に使っていたら1日なんてあっという間。
晩ご飯は、久しぶりに家族揃って食べた。
私が子どもの頃のように、特に話に花が咲くわけでもなく、キャッキャと食卓が盛り上がるわけでもない。それでも、家族と一緒に食べるっていいなあ、とどこか切ないような、心があたたかくなった夜。
後片付けを手伝って、すっかり暗くなった20時過ぎに「ちょっと友達と花火してくる!」と外に出た。
時間なんて一切決めていなかったのに、なぜか今な気がした。まるで呼ばれたように外に出て、裏の物置に置いてあった花火を持ち出す。それから、たっぷりと水を入れた2リットルのペットボトルとバケツ。
街灯の無い、真っ暗な夜道。
通る車も全くおらず、目的地へ向かう途中に一度光を感じたのは、都会に比べたら随分と早い終電の明かりだけ。
カンカン…と待つ人もいない踏切の警告音を遠くに聞きながら、柏神社と刻まれた石柱の前に立った。
子どもの頃、明かりのない夜にこの鳥居の前を通るのが怖かった。生い茂る大きな木々は、太陽が呑まれた下ではただの真っ黒い影と化す。風に揺れるたびに、入るなと言われているような気がして、行ったら戻ってこれない気がして。
ただ今日は、不思議となんの恐怖も感じなかった。年末年始やお祭りの時以外は、怖くて足を踏み入れられなかったのに。
―― はくび、もう来てるかな。
花火の入った袋にマッチの箱と蝋燭が入っていることを改めて確認して、私は階段を駆け上がった。
場所も、ここだなんて言われていない。それでも、不思議とこの神社で会うのだと感じていた。
何故かは分からない。何となく、としか言いようがない。普段だったら信じられないようなことも、今の私は根拠なく納得してしまっていた。
後ろに流れていく夜の中で、木々がざわめく。こんな真っ暗闇の中、1人でやってきた人間を不思議そうに見てヒソヒソと会話しているようだ。
パタン、と参道にサンダルの底が触れた音が大きく反響した。
階段を上りきって、目の前に開けた境内に足を踏み入れる。闇に覆われた中で、ぴちゃん、とどこからか水が落ちる音がした。
そして、道中ですっかりこの暗さに慣れていた目が、真っ先に見つけたもの。
―― いた。
はくびだ。彼がいたのは、前に一緒にスイカを食べた場所。
賽銭箱の前の石段で、膝を立ててゴロンと仰向けになっている。いつもの白いシャツが、ぼんやりと闇に浮かぶようだった。
―― こんな所で寝るって図太すぎない?
「はくび!」
ぱたぱたと駆け寄ると、ぴくんと肩が動いて目を覆っていた腕がずれる。初めて会った日と同じ、寝起き満載の顔が私を見上げた。
「お待たせしました」
一瞬私が誰か分からなかったのか、何度か瞬きをしてのっそりと起き上がる。首をコキッと鳴らした後、犬のようにふるふると頭を振った。
「おはよう、でいいのかな?」
「ん。おはよ」
グーにした手を突っ込みたくなるぐらいの大口で「ふぁ」と欠伸をして、ガリガリと頭の後ろを掻いている。
これは本当に寝起きのようだ。
―― ほんとに寝てたんだ。
ひとりで夜の神社に来ることの抵抗は無いけれど、昼よりも不気味さが増していることに違いはない。こんなところで呑気に寝るなんてどれだけ強靭な精神力なのか。何かに憑かれそうだ。
「もしかしてだいぶ待った?」
「んー?いや全然」
「寝てたから結構前からいたのかと思って」
「前からはいたけど、待ってないから大丈夫」
「……うん?」
欠伸混じりの言葉に、目をぱちくりさせる。矛盾のある返答に首を傾げたけれど、「寝ていたから待ったうちに入らない」という意味だろうと勝手に解釈した。
アウトプットが少なめな彼と数日過ごして、こうして自分の中で意味を噛み砕いて理解することにも慣れてきた。はくびにしか通じないスキルだけれど。
座ったまま裾や背中についた微かな泥を払っている彼に、「あの、これ!」と気を取り直すように手に持った袋から花火をガサガサと取り出す。「じゃん!」と効果音付きで見せた。
「持ってきたよ、ちゃんと」
目の前にかざしたら、土を払っていた手が止まる。私を見上げて、「ふふ」と笑った。
「はしゃいでんねー」
暗くて日中ほどはっきり分からないけれど、きっとあの呆れた顔で笑っているのだと思う。
そのまま立ち上がると石段を降りて、私の手からひょいとペットボトルとバケツを取る。自然と重いものを持ってくれて、その上でこっちだと目で私についてくるように促した。
「あ……ありがと、あ、ちょっと待って」
急いで何歩か下がると、本殿の正面でペコリと小さくお辞儀をする。そのまま待っている彼の方へ走り寄ると、私の所作を不思議そうに見ていた。
「なに、今の」
「え?なんか、神社の中使わせてもらうし……挨拶?」
「誰に?」
「だれって、え、神様?」
そう答えた途端、彼がふはっ!と吹き出した。「え?」と目を瞬かせる私に、そのまま可笑しそうに笑いながら歩き出す。
「いや、今それやる人いるんだなーと思って」
「え、そんな珍しい?」
「昔はよく見たけど、今はいないんじゃない?」
話しながら並んで本殿をぐるっと回ると、彼は風の当たらない裏側に私を誘導した。
「火、ある?」
「あ……持ってきたよ」
袋からマッチ箱と蝋燭を取り出す。彼は手近に転がっていた拳大ほどの石を三つ寄せ集めると、その隙間に私から受け取った蝋燭を立てた。
その手際の良い動きを見つつ、私はペットボトルを逆さにしてバケツにたっぷりの水を用意。そして、箱から取り出したマッチをはくびに手渡した。
手軽に着火できるライターでも良かったのに、あえて私はこれを選んだ。
子どもの頃、お盆に親戚で集まって花火をしたとき、祖母がよくこのやり方で火をつけてくれていたのだ。
「天神さまにお祈りしたら雨止むかなあ」
おととい聞いた、純真無垢な子どもたちの無邪気な言葉を思い出す。すっかりあの頃のような素直さを失ってしまった今、懐かしい思い出と同じ方法で、童心に戻りたかったのかもしれない。
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