ひまわり色の夏詣
朝凪 みこと
8月13日(土)#1
ガタン!と大きく電車が揺れたとき、ハッと目が覚めた。
プシュー……と炭酸が抜けるような音がして、開いた扉の向こうに見えた、人のいないホームとペンキの禿げた古ぼけた看板。
馴染みのある駅名が目に飛び込んできて、慌てて身体を起こした。
「あ、お…降ります!」
私以外乗客のいない、たった一両のオンボロ電車。半分寝ぼけた頭で、誰への宣言か理解していないまま、膝上に置いていたボストンバックを引っ掴むと電車を飛び降りる。無人のホームに降り立つと同時に、身体にむわっと熱気がぶつかった。
ガタガタと今にも壊れそうな音に振り返ると、元の色が分からないほどに塗料が落ちてしまった扉が閉まる。同時に、今までこの終着駅の名前を示していた行き先が「回送」へと変わった。
老体に鞭を打って一仕事を終えたかのように、緩慢な動きでレールが軋ませて引き返していく。ガタンガタン、と音が遠ざかっていくのに反比例して、蝉の声がジーーッと大きくなり耳を突き刺した。
―― 久しぶりだ。
大きく息を吸い込み、みずみずしい空気と肺の中の澱んだ空気を入れ替える。ふーっと吐き出すと同時に肩の力をストンと抜いた。
この空気、この光景、この匂い。
帰ってきたのだ。こんなにも生き物の声が近く、沿線に畑がずっと続き、一面に広がる田には青々とした稲が揺れ、夏風に木々がざわめく音が耳に届く、この田舎に。
約3年ぶりのふるさとは何も変わっておらず、すぅ、と呼吸のたびに新鮮な緑の匂いが鼻をくすぐった。
バスケ部の推薦枠で日本屈指の強豪大学に入学した私……
これまでずっと部活一色の生活で、まとまった休みがなかったこともあり一度も帰省していなかった。
それが今、大学3年生の夏になって突如降ってきた1週間の休み。休みに入ったら、何があっても絶対に実家に帰る!と私の心は決まっていた。向こうでの生活に、すっかり心が疲弊していたのだ。
そんな私を出迎えてくれた田園風景は、記憶にあるものと何も変わっていなかった。
駅員は1人もおらず、電子定期券も使えない無人駅。街には当然のようにある自動改札も、ここでは無縁のもの。電車に乗る際、車掌に判子を押してもらった切符を回収箱に入れて、錆びた改札を通り抜ける。
「んーーーっ!」
田んぼに囲まれた道に出ると、数年ぶりの新鮮な空気に身体が喜んだのか、自然と大きな伸びが出た。
古びた駅舎から出ると、目の前にあるのは歩道と車道の区切りなど無い道。通るのは、農具を積んだ軽トラックばかりだ。容赦なくコンクリートに照り返す灼熱の太陽が体感温度を一気に上げていく。つぅ、と一筋の汗が背中を伝った。
時折うしろを気にしながら道の端を歩いていると、真横を自転車に乗った老人が通り過ぎていった。荷台には紐で括り付けた段ボール。そしてカゴに突っ込まれた鎌と軍手。ゆっくりではあるけれど、危なげなく走っていくその背中をぼんやり見送りつつ、その先に見えるのは稲田と道の境目に座り込んで井戸端会議をする老齢の女性たち。この暑い中、庇のある農業用の被り物をして、それぞれタオルを首に巻きながら、口に当てながら、楽しそうにおしゃべりをしていた。
―― 変わってないなあ。
たった3年弱ぐらいでは、大きくは変わらないだろうけど。相変わらずのんびりとした町だと思う。町というよりも、表現としては集落に近いのかもしれない。
久しぶりの景色を懐かしく思いながら歩いていたその時、ポケットに入れていたスマートフォンがぶるりと震えた。取り出すと、画面に浮かんだのはグループメッセージの通知。
送り主は部活の顧問で、「リフレッシュ休暇中も各自で自主練は怠らぬように」といった内容が届いていた。
「……」
そのまま画面を開くと、部活に関わるものすべてをシャットアウトしたかった私は無表情でグループメッセージの通知を切る。そして今度はポケットではなく、ボストンバックのサイドポケットに突っ込んだ。
「リフレッシュ休暇ねえ…」
自嘲するようにひとり呟く。こめかみを伝った煩わしい汗を、肩をぐいと持ち上げて横着にも袖で拭いた。
〝リフレッシュ〟なんて、聞こえはいいけれど。この予定外な1週間もの長期休暇が突然降って湧いた理由は、みんな普段からよく頑張っているから、とか、世間はお盆真っ只中なのだから、とか。決してそんな単純なものではない。
その実態は、「部内の人間関係が拗れたために、強制的に休むようにと顧問から指示が出た」という大学生の集まりとは思えない何とも情けないものだった。
リフレッシュというとても良い響きに聞こえるその裏には、「一度部活から離れ、部員とも離れ、各々気持ちをリセットするように」という念が込められている。試合で良い結果を残したのだから、というご褒美の意味であったならどれだけ爽快感があることだろう。
「自分たちで自分たちの首を絞めてるんだぞ。よく考えろ」
連休前の最終練習日の昨日、顧問が私たち全員に対して放った言葉を思い出し、苦いものを食べたかのように無意識に顔が歪んだ。
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