8月13日(土)#2
「部停だよね、これ」
顧問から休みを言い渡されたあと、誰かがそう言った。
独り言のように呟かれたその言葉は、皆が沈痛な面持ちをしたその場にやけに響いた。ゆるやかな波紋のように。
そのときは何も言わなかったけれど、今になって私の心にその言葉がじわりと暗い影を落とす。
彼女の言う通り、これは事実上の部活停止だ。
人間関係の些細な揉め事がこんな事態にまで発展するとは初めは誰も想像していなかった。私だけでなく、きっかけを作った当の本人たちでさえ。
私が所属するバスケ部は、同じ学年だけで10人前後、全体で数えると40人を超える大所帯だった。それだけ人数がいれば、性格の相性が合う合わないが出てくるのは当然のこと。
しかしその中でとある1人が、恐らく前から気に入らないと思っていたのだろう、ある同回生に対して嫌味を言ったりあからさまに避けたりと、2年生の中頃から顕著な行動をするようになった。またされた側も負けん気が強く、2人が敵対する形になって自然と二大派閥が出来上がってしまったのだ。
初めの頃は、顧問やコーチの前ではどうにか雰囲気の悪さを隠していた。しかしそれも次第に綻びが出る。共同生活を送る中で溜まりに溜まったストレスは、日々の練習や、その延長線上にある大会の結果にまで大きな影響を及ぼすようになった。
前回の大会ではまさかの決勝にすら進めず、予選敗退。強豪校として名を馳せ、10年以上続いていた連続優勝の記録を止めてしまった。
そしてこの内情を知り、危機感をもった顧問が強制的に距離を取らせた、というワケだ。この部停期間……臨時休暇が果たして正解なのか、おそらく誰もはっきりとは分かっていないまま。
そんな憂鬱な気分を抱えた夏真っ盛りの8月のど真ん中。どこにもぶつけられない怒りや情けなさを抱えながら、私はあの殺伐とした空気から逃げるように地元に帰ってきた。
駅から歩いて、10分ほど経っただろうか。
ゆるやかな坂になった道をのぼると、私が物心ついたときからある巨木が目に入った。
四季をとおして姿を変えながらも、いつもその体に葉をたくさん纏い、堂々とあの場所に立ち続ける大きな大きな老木。蛇のように絡み合い、大人が5人ほど両腕を伸ばしてやっと囲めそうな太い幹は、経てきた時の永さを思わせる。
この小さな田舎町の象徴みたいなもので、小学生の頃、遊びに行くのに友達と待ち合わせるのは絶対にあの木の前だった。何故ここに1本だけ立っているのかも、いつから存在しているのかも、何の木なのかすら知らない。
それでも、ここで暮らす人たちは「迷子になったらとりあえずあの木に向かって歩きなさい」と口を揃えて言うし、祖父が小さい頃にもひとりで出歩くときは目印にしていたというから、きっと気が遠くなるほど昔からこの町で親しまれているものだ。
「懐かし……」
もっさりとした葉の下に入ると、隙間からキラキラと覗く陽の光を見上げて目を細めた。
人なんてすっぽり覆ってしまえるほどに広がった枝葉は、まるで大きな傘のよう。汗ばんだ肌に、木陰を吹き抜ける風は心地よかった。
中学生の頃、夏は部活帰りにここで涼みながら、近くの駄菓子屋で買ったアイスを友達と食べた。自然の風が直接当たるから、屋外なのに家の中にいるよりずっと涼しかったことを思い出す。
ざわ、と風に揺れる音に誘われるように、ひんやりと冷えた木の幹に手を当てた。数年前の記憶と同時に、あの時は純粋にボールを追いかけるのが楽しかったなあ、と当時の感情まで甦ってきてしんみりとしてしまう。
そのまま何気なく視線を木の幹に沿って滑らせた、そのとき。
「――っ…」
大きく出っ張った根のところに白いものが見えて、ヒュッと息を止めた。
心臓がドクンと跳ね上がり、すう、と歯の間から息を漏らす。思わず声を上げそうになったのを、唾と一緒に静かに飲み込んだ。
幹に触れたままの手に力が入る。
―― 誰か…いる?
暴れる心臓を落ち着かせるように反対の手を胸に当て、顔だけ動かして幹の向こう側をそっと覗き込んだ。
自分以外に人がいるなどとは夢にも思っていなかった私の目に飛び込んできたのは、大木を背もたれにして座り込んでいる人の姿。白いと思ったのは、その人が着ているシャツの色だった。
顔は見えない。しかし体格的に、おそらく男の人だと予想できた。
私が後ろにいる事に気づいていないのか、片膝を立てて俯いたまま微動だにしない。
音を立てないよう、恐る恐る身を乗り出して様子を伺うと、穏やかに吹いた風が俯いた後頭部の髪をふわりと靡かせた。
―― え、生きてるよね……?
だらんと力無く下がった首に一瞬ヒヤリとしたけれど、微かに肩が上下しているのが見えてホッと胸を撫で下ろす。
それでも、もしかしたら気分が悪いのではと心配になり、躊躇いながらもそっと正面に回り込んだ。
「あの……」
正面にしゃがむと、丸まった肩を軽くトントンと叩く。もし熱中症であれば、強く揺さぶるのは危険だと思った。
もう一度軽く触れようとしたとき、それよりも早く向こうがふっと顔を上げる。
「あ……」
動いた、と思った次の瞬間には、彼がゆるやかに瞼を上げた。体調を尋ねようとしたその瞬間に、ぱちりと目が合う。
「だ――」
大丈夫ですか、と問いかけようとした私の言葉は、彼の瞳に続きを封じられたようにふつりと途切れた。
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