第24話 戸惑いと動揺

「肇ー? 何かすごい音してるけど大丈夫?」


 肇は、とりあえず見えない所へ隠しておけ、と衣装やらミシンやらをクローゼットに押し込んでいると、ドアの向こうから湊の声がした。


「だ、大丈夫……うわぁ!」


 無理に押し込んだせいか、バランスを崩した生地がワサワサとなだれてしまう。


「肇? 大丈夫!?」


 肇の叫び声で心配になったのか、湊がドアを開けて部屋を覗いてきた。


「わっ、バカ、見るなよっ」


 なだれた生地を抑えていると、湊は「それどころじゃないでしょう」と、生地を上手いこと積んでくれる。


「……サンキュー……」


 汚い部屋を見られて恥ずかしいのと、ありがたいのとで複雑な気持ちの肇は、ボソッとお礼を言った。


 だからウチは嫌だったんだ、と肇は内心で愚痴ると、湊は「これ、こっちでいいの?」と手伝ってくれる。


「お、おう……あ! やっぱりダメだ、そこ触んな!」


 え? と湊が振り返る。乱雑に置かれた漫画の山の中には、湊に見られたくない本がある。


 湊は大人しく言うことを聞いてくれたが、肇がそこを整頓し出すのをじっと見ていた。


「あ、あんま人の物ジロジロ見んなよ……」

「ごめん、どんなの読むのかなって思っただけだよ」


 ただ単に興味本位だって事は分かっているけれど、肇にやましい部分がある以上、できれば触れてほしくない。


 しかしこういう時に限って、不可抗力でバレてしまうのが定石で。肇の手が当たってその本の山が崩れてしまった。


「わっ、うわっ」


 まずいまずい、と慌てて崩れを抑えるが、それも虚しく全部崩れてしまう。そして、下の方に隠してあったBL本とグラビア雑誌が露になってしまった。


「わー! 見んな!」


 肇は慌てて、それらをまとめてベッドの下に押し込む。しかし湊にはしっかり見られてしまった。


 顔が熱くて固まっていると、湊が苦笑する気配がする。


「やっぱり肇も、普通の男子高校生だね」

「……っ、か、からかうなよっ」

「……でも、こっちのは俺は未知の世界だなぁ」


 そう言った湊は、事もあろうに今しがた隠したBL本を取り出した。


「わ、何してんだっ!」


 慌てて取り返そうとするけども、湊はひょい、と肇の手を避ける。そしてパラパラと中身を見た。


(もうやだ、何の羞恥プレイだよ……)


「なるほど、少女漫画っぽい感じだね」

「……」


 肇は無言で湊が持っていた本を奪う。そして、元の場所に戻すと湊を睨んだ。


「もういい。からかうなら帰れ」

「からかってないよ。ただどんな本なのかなって思っただけで……」


 ごめんね、と本気で困った顔をした湊に、肇はそれ以上怒る気になれなかった。


 肇はベッドを背もたれにして床に座る。とりあえず、二人が座れるスペースは確保できたのでもういいか、と隣に湊を呼んだ。


「……」


 しかし、話がしたいと言った湊は、肇の隣に座っても、話し出す気配がない。どうしたんだろう? とチラリと横目で湊を見ると、同じタイミングで湊もこちらを見た。しかし、すぐに視線を逸らされ、その耳が赤くなっていく。


 照れていると分かった瞬間、肇もまた顔が熱くなった。ドキドキして、何も言葉が出てこない。


「お、お前、いざという時に照れるとか……ずるいぞ」


 しばらく無言でいたが、肇が耐えられなくなってそんなことを言う。


「じゃあ言うけど……俺、肇からちゃんとした言葉、聞いてない」

「……っ」


 かあっと全身が熱くなった。そして、確かに肝心な言葉を言っていない事に気付く。筋が通らないことは嫌いな肇だから、言わなきゃとは思うけれどなかなか言葉にして言う事ができない。


(緊張し過ぎて苦しくなってきた)


 心臓が爆発しそうで胸が苦しい。でも言わないと、湊の事だから気にしてしまいそうだ。


「……っ、す、…………好きだよ」


 肇は言った、言ってしまった、と膝を立てて顔をうずめる。片想いの時は悶々として苦しかったのが、今度は相手の言動に緊張して苦しい。どちらにしても苦しいのが続くのかと思って、肇は顔を伏せたまま、湊を見た。


 湊も照れているのは赤い耳で分かる。二人して照れて、何だこの状況、と肇は笑った。


 肇は顔を上げると、湊をまた見る。目線が合って、どちらからともなく笑う。


「何か……緊張するな」

「そうだね……」


 二人の間には微妙な隙間がある。湊が片想いの時は、もっと距離を詰めていたのに、と思うと彼の緊張がいかほどなのかが分かる。


「お前、もっとグイグイ来てたじゃねーか」

「片想いだと思ったら、こっち振り向かせようと必死になれるんだけどね。俺も両想いは初めてだから……」


 勝手が分からない、と湊は苦笑した。確かに、湊は「段階を踏む」、「もうちょっと仲良くなってから」と言い、肇の様子をうかがいながら距離を縮めてきていた。


「お前が必死? 意外だな」


 肇は笑うと、湊は視線を逸らす。


「俺、暴走しちゃうと止まれないみたいで。初めは嫌われていたから、気持ちを抑えるのに必死だった」


 そういえば会って間もない頃に、湊が苦しそうな顔をした事があった。言ってしまいたい、けど今はまだダメだ、と抑えていたのだと知ると、湊の忍耐力に感謝だ。あの時に告白されていたなら確実に断っていたし、その後の関係もどうなったか分からない。


「普段抑えている分、タガが外れると止まれないのか」

「……抑えているつもりは無いんだけどなぁ」

「そうか? 誰だって、普段からあれだけ視線を浴びれば嫌になるだろ。それをお前はヘラヘラと……」


 肇はそう言って、笑顔を貼り付けた湊を想像してイラッとした。その様子を見て湊は笑う。


「それ、純一にも似たような事言われた。そうやって、分かってくれる人がいるだけで十分だよ」

「あっそ……」


 肇は視線を逸らした。湊の笑顔は心臓に悪い。


 その後は他愛もない話をする。学校で純一たちとお昼ご飯食べてるから、一緒にどう? と誘われて、頷いた。


「あ、そろそろ帰らなきゃ。なぎさに怒られるの嫌だなぁ」


 荷物放って来ちゃったから、と湊は眉を下げる。


「お前でも妹には敵わないのな」

「結構ワガママに育っちゃってるからねぇ」


 苦笑する湊。最近この顔ばかり見ているな、と肇は思った。


 二人は立ち上がると、湊は肇の方を向く。肇は彼を見上げると、湊は何か言いたそうにして、でも口を閉じた。


「何だよ、言いたいことあるなら言えよ」


 ここにきてまだ言いたいこと言わないのか、と肇はイラッとする。


 すると湊は口元を押さえ、顔を赤くした。何で照れてるんだと思っていると、口元から手を離した湊はそろそろと息を吐く。


「あの………………抱きしめてもいい?」

「え?」


 それを聞いて肇も身体が熱くなった。先程は勢いで外でも抱きしめられたけど、改めて言われると恥ずかしい。


「お、…………おう」


 肇も小さく返事をすると、湊がそっと近付いてその腕に包まれる。


(……湊の心臓、早い……こっちまで緊張するっ)

「肇……」


 はあ、とため息をつくように名前を呼ばれる。それが妙に色っぽくて、肇はドキドキした。


 先程抱きしめられた時も思ったけれど、湊の身体は程よく筋肉が付いていて、なるほど、どうりで力も強い訳だと納得する。


「湊? お前、見た目に寄らず結構鍛えてる?」

「ん? ああ……まあね」


 何だか上の空っぽい湊の返事に、肇は疑問に思って離れようと胸を押すと、だめ、と腕でぎゅうぎゅう締め付けられる。


「ってか、首とか痛くなってきたんだけど」


 そろそろ解放してくれ、と頼むと、湊はまた生返事だ。


「何だよ、まだ言いたいことあるのかっ?」

「…………言っていいの?」


 湊の心臓が、落ち着きはじめていたのに再び早くなる。この体勢は、彼の緊張がすぐに分かるから嫌だ、と肇は照れた。


「何だよ? 言えよ」

「うーん……」


 頭上で彼が苦笑する気配がする。首も痛いし、本当に離せ、と肇は言うと、湊はごめん、と謝った。


「何が?」

「もうちょっと落ち着くから……今離れられると困る」

「だから、何でだよっ?」

「言わなきゃダメ? 鈍いなぁ……」


 どうやら湊は本当に言いたくないようだ。はぁ、とまたため息をついて、小声で、しかも消え入りそうな声で言う。


「……っ」


 その湊の言葉に、今度こそ肇は石のように身体が固まった。


「ああもう……そういう反応するから言いたくなかったのに」

「な、何かごめん……」


 肇は素直に謝る。言い淀むのも当然だし、無理やり聞いた罪悪感と羞恥心で顔が熱い。


「謝らないでよ……何かしたくなるじゃん」

「……っ、お前、帰らなきゃいけないんじゃないのか?」


 とりあえず落ち着け、と肇は自分にも湊にも言い聞かせた。しかし湊は、黙って何度目かのため息をつくばかりだ。こうしてくっついているよりも、離れた方が落ち着くんじゃないか? と言うと、それはそうなんだけどね、と湊は言う。


「離れたくないんだよねぇ……どうしよ?」

「し、知らねぇよっ。……はい、離れよう! なっ!」


 肇は切り替えるように言うと、湊は離してくれた。本当に、これ以上くっついていたらどうなるか分からない。


 彼の身体の向きを変え、背中を押して無理矢理足を進めさせる肇。湊は何も言わずにされるがままになっている。


「じゃあな、真っ直ぐ帰れよ!」


 外まで湊を送り出すと、肇はそう言って、彼の挨拶も待たずに玄関のドアを閉めた。

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