第29話 湊の傷※

 それから季節は少し変わり、すっかり外は冬模様だ。


「湊」


 肇はバイト終わりに、店の前で待っていた湊の元へ駆け寄る。


「悪い、寒かっただろ?」

「ううん、大丈夫だよ」


 ニッコリ笑う湊は、肇と一緒に歩き出した。そこに無理は無いか確かめた肇は、ホッと息を吐く。白い息が浮かんで、すぐに消えた。


 今日は大晦日、珍しく外出許可が下りた湊は、肇の家で年越しをしようと言い出した。そのために肇は、両親に年越し旅行をプレゼントし、二人きりで家で過ごす計画を、湊から話があった時から画策していたのだ。なので、今回の冬コミも見送った。


(急だったけど、何とかなったな)


 チラリと湊を見ると、彼は上機嫌で歩いている。初めてのお泊まりデートってやつだね、と彼が言ったのを思い出して、顔が熱くなって視線を戻した。


 いつも通りの道なのに、今日はやたらと静かで、一年が終わる特別な日なんだと、実感させられる。


 真っ暗な家に帰ると、リビングでお笑い番組を見ながら、軽食のまかないを食べる。店長の好意で二人分くれたのだが、何も言っていないのに何故二人分だったのだろう、と今更になって疑問に思った。


 まかないを食べ終わると、やっぱり物足りなかったので、買っておいた蕎麦を茹でて食べる。それもあっという間に食べ終わり、肇はソファーに身体を預けた。


「あー、食べたー」

「あ、肇、片付けるよー」


 湊が丼を持つ。彼は整理整頓が好きなようで、食べ終わって一息もつかずに片付け始めてしまうのだ。肇の部屋も色々と収納を考えてくれ、片付けてくれた。


「ちょっと待ってくれよ。一息つきたい」

「そう言って、ずっと動かないじゃない。ほら、動くー」


 肇は仕方なしに丼を持ってシンクへ運ぶ。


「意外と家庭的だよな、お前」

「今どきの男子は、家事もできないとモテないよって渚が言うんだ。……渚の代わりにやらされてる感ある」

「ああ……」


 どうやら、家では完全に妹の尻に敷かれているようだ。肇は苦笑すると、湊はその頬にキスをしてきた。


「何だよ?」


 食器を洗おうとスポンジを持った肇の後ろに、湊は立ち、腰に手を回して抱きついてくる。


「ん? こうしてるとカップルみたいだなーって」

「カップルだろ?」


 何言ってんだ、と肇は熱くなる顔を誤魔化すためにぶっきらぼうに言った。お湯を流すと、湊がうなじにキスをしてくる。


「ちょっと、邪魔すんじゃねぇよっ」


 食器を洗いながら、身体をよじって文句を言うと、彼は大人しくなった。それでも離れようとしないところを見る限り、肇は湊が言おうとしている事が分かってしまう。


(結局、コイツはしたいだけなのか……)


 肇はため息をつく。


 あれから性的な接触は度々しているものの、触り合いに留まっていた。湊が顔を真っ赤にして、最後までしたいと言い始めたのは、つい最近だ。


 肇も興味が無いわけじゃない。かといって、BL漫画のように上手くいかないのも知っている。


(でも……)


 肇は顔がまた熱くなる。湊の希望に応えたいと思う自分がいる。オレが腹をくくるだけか、と息を短く吐いた。


「洗い物終わったら風呂入って……寝るか?」

「……うん」


 湊は小さく頷く。その後彼の体温が分かるほど高くなったので肇はいたたまれなくなった。


「な、何だよっ。今更照れるとかずるいぞっ」

「ごめん……」


 湊は肇の背中に額をくっつける。はあ、と少し長めに息を吐き、怒らないで聞いてくれる? と言った。


「何だよ? 怒るかどうかは、内容次第だ」


 う、と湊は息を詰める。いずれにせよ、ポジティブな内容ではなさそうだ。


「俺、中学生の時に付き合った子がいるんだけど、同じ学年の子で、告白されて……顔も可愛いかったから付き合う事にしたんだ」


 肇は手を動かしながら、どうして湊が後ろから抱きしめているのか分かった。多分湊が肇以外には言わないであろう、彼の心の深い所にある傷の話だ。


 かしゃん、と食器を置く音が、妙に耳障りに聞こえた。


「たくさん遊びに行ったりしたけど、どうも気持ちが盛り上がらなくて……多分彼女も気付いてたんだろうね、身体の関係も持ったけど、やっぱりダメで」


 湊はそんな気持ちでしてしまった事への罪悪感が拭えず、それを感じ取った彼女に号泣され、湊の初カノとのお付き合いは終了した。


(だから、女の子はあまり泣かせたくないのか)


 ある程度打たれ強い子ならあしらえるけれど、肇が盗み聞きした時の子のような、一生懸命な子は断るのもしんどいと言っていた。


 それ以降は誠実に、自分が好きになった人と付き合いたいと、ずっと願っていた、と湊は言った。


(湊は優しい……彼の願いって、俺のような存在だったって事か。自惚れかもしれないけど)

「念願叶ったら、あの時の虚しい行為が嘘だったかのようだよ。もっともっとって、どんどん気持ちが膨らんで……でも、肇に引かれたらどうしようって思いもあって……」

「……あー……」


 俺も普通の心の持ち主でホッとした、と湊は笑う。


「司の事むっつりだって言ったけど、人の事言えないなぁ……」

「……そうなのか?」


 肇は洗い物を終えた。しかし話はまだ続くようなので、そのまま彼の話を聞く。


「自分で処理するのもそんなに興味無かった筈なんだけど、肇と両想いになって、抱きしめた日から毎日その事ばっかで……」

「……っ」


 ぎゅ、と腰に回った腕に力が込められ、肇は息を詰めた。

 するとうなじにキスをされる。甘い仕草に戸惑い、肇は声だけで制した。


 湊は形の良い目をこちらに向ける。いつも笑っていて優しい彼の瞳は、今は静かな熱をチラつかせていてゾクリとした。


「こんな風になるの、初めてだよ……」

「そっか……」


 湊も初めてのことで戸惑っているのだと分かると、彼のことがかわいいとすら思えてくる。分かったよ、と肇は彼の頭を撫でて言うと、彼は笑った。


「何か、肇って順応早いし、結構肝が据わってるよね」

「そーか? うだうだ言うのが嫌なだけだ。これ、お前が言いたいのを我慢して話してくれなかったら、こっちから聞き出してたかもな」


 お前も結構言いたいこと言えるようになってきてるじゃん、と肇は笑う。以前の湊なら、確実に言い淀んで肇をイライラさせていただろう。


「でも、優しいから言えないってのも、少し分かる気がするから……オレは何でもキツく言うから、二人を足して二で割ったらちょうど良いよな」


 いつか湊が言っていた、周りに肇の意見を言う時は、俺にその役割させてという言葉を思い出した。本当に、自分たちは正反対でいいコンビだと思う。


 肇は自分から湊の唇に軽くキスをすると、湊と二人で笑いあった。

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