第31話 初詣

「肇、おはよう」

「…………おー……」


 次に目が覚めたら、湊の顔が一番に見えて、そう言えば一緒に寝たんだっけ、と思い出して肇はもぞもぞと布団に潜る。


「って言うかもう昼だけど」

「んー……」


 まだ頭が働かない。もう少し寝たい。


「初詣、行くんでしょ?」

「んー……」

「肇、実は寝起き悪い? 純一たち待ちくたびれて、ここに来ちゃったけど」

「………………え?」


 湊の言葉を理解できないまま、肇はむくりと起き上がった。頭がボーッとする。

 そんな中、湊は近付いてきて唇にキスをくれた。


「可愛いなぁ、もう」

「ん……湊、いつ起きたんだ?」


 肇は大きなあくびをする。だんだん意識が覚醒してきて、動けるようになってきた。


「二時間くらい前だよ。肇、寝相悪いんだね、何度か起こされた」


 ニコニコと嬉しそうに言う湊。何故そこで嬉しそうに笑うんだ、と肇は疑問に思う。


「あー……悪ぃ」


 動きが鈍い頭で謝ると、湊はいいよ、と上機嫌だ。


「何でそんなにニコニコしてんだ?」

「ん? 可愛いから」


 笑顔でまっすぐ言われ、じわじわと顔が熱くなる。


「ね、純一たち来てるけど、もう動ける?」

「は? 何でアイツらがここ知ってるんだよ?」

「俺が教えたからね。肇、起きるの遅いから」


 思えば至極当然なのだが、肇は慌ててベッドから降り、着替えてリビングに向かった。


 案の定純一たちはリビングにいて、肇の姿を認めると、やっと起きたか、と純一が言う。司は本を読んでいた。


「二人とも、いつ来たんだ?」

「三十分くらい前だよー。なぁ、早く外出ようよ」


 暑いからさぁ、と純一は言った。それもそうだ、純一は暖房の効いた部屋で、コートもマフラーも、手袋さえ着けたままなのだ。


「何で脱がないんだよ」


 もっともなことを肇が言うと、純一は分かりやすく慌て始める。


「お、俺、初詣が、とっても楽しみで待ちきれなくて!」


 それを聞いて、肇はなるほどね、と思った。


(脱がないんじゃなくて、脱げないんだな)


 だったら、と肇は急いで出掛ける準備をした。司の噛みグセの話を思い出し、彼を見るとどことなく満足気に見える。


 すると、司が不意にこちらを見た。


「昨日は、何かいい事があったのか?」


 いつも通り、真顔で聞かれて肇はカッと顔が熱くなる。


「べ、別にっ」


 何で分かるんだ、と肇はカバンを肩に掛けた。準備できた、行くぞ、と歩き出すと、三人は付いてくる。


 外に出たら思いのほか空気が冷たかった。司が人混みが苦手なので、この近くの小さな神社に行こうとなったのだ。


 神社に着くと、さすがに無人ではなかったが、チラホラ人がいる。手と口を清め、作法に倣って手を合わせると、顔を上げたところで湊と目が合った。


「肇は、何をお願いしたの?」

「……そういうのは、自分が言ってから聞けよ」


 肇はいつか湊に言われたセリフを言う。彼は耳を赤くして答えた。


「……来年も、肇と初詣、来れますようにって」


 肇はそれを聞いて、全身が熱くなった。そして、自分と同じ事を願っていたと分かって嬉しくなる。


「肇は?」


 境内の階段を降りながら、肇はボソッとお前と同じ、と答えた。


「ちょっと、ずるいよ? 恥ずかしい思いして言ったのに……」

「だって、本当にそう願ったんだからしょうがないだろっ」

「はいはいー、そこ、いちゃつかない」


 純一にそう言われ、二人はハッとして黙る。彼は笑った。


「お前ら、意外とラブラブカップルだよな」

「俺らもラブラブだろう」


 純一の隣で司が本を開いた。よく歩きながら本を読めるな、と感心する。


 しかし純一は司を睨んで何も言わなかった。どうやら純一は、司に対して怒っているらしい。それもそうか、と肇は苦笑する。


「純一」


 肇は純一を近くに呼んで、声を潜めて言った。


「傷跡を目立たなくする方法なら教えてやれるけど?」

「……っ、何でっ?」


 知ってるんだ、と純一は小声で続けた。その顔が赤くなっていくので、どうやら図星らしい。


 見せて、と言うと、純一は素直に手袋を片方外して見せてくれる。わざわざ見える所に付けるんだよ、と彼は司をまた睨む。痛々しい歯型が、手だけでも数箇所あった。でも、コンシーラーだけで何とかなりそうだったので、帰りに肇の家に寄るように言う。


「司」


 今度は司を呼んだ。


「純一が困ると知ってて何で噛むんだよ?」


 司は読んでいた本を閉じると、目を伏せる。


「……感情が溢れてしまった時に、どうしようもなくなるんだ。純一は俺のものだと、どこかへ行ってしまわないように」

「そんな事しなくても、純一はお前のそばにいるだろ」


 どうやら司は、意外と不安に思っていたようだ。落ち着いているように見えるだけで、感情が表に出ないのも困りものだな、と肇は思った。


「司……俺は累さんみたいな事はしないよ」


 そこで純一が、二人にしか分からない会話をする。司は司で、過去に何かあったらしいことは分かるけれど、それは彼らの問題だ、放っておく事にする。


「肇ー」


大人しく会話が終わるまで待っていた湊に呼ばれた。


「ね、今度女の子の格好してデートしようよ」

「は? 嫌だね。何でイベントでもないのに女装しなきゃいけないんだ」


 それを言うなら、湊もコスプレしてくれよ? と言うと、湊はそれは嫌だなぁ、と苦笑した。


 そういえば以前、湊ならイケメンキャラのコスプレができると言った時に、曖昧に返事をした答えが、今なら聞ける気がする。


「前にコスプレ似合うぞって言った時に、考えとくよって言ってただろ? 本当の答えは何なんだ?」


 肇が聞くと、湊はああ、あれね、と思い出したように話した。


「これ以上目立ちたくないし、肇の前限定ならしてもいいかなって。でも、あの時は肇の気持ちがまだ俺に向いてなかったでしょ?」


 言うタイミングは自分で決める、と言ったのはそういう事だったのか、と肇は納得する。


「肇が女装してくれたら、虫除けになるのになぁ」

「俺にコスプレ趣味はあっても、女装趣味はねーぞ」

「残念」


 湊は笑った。でも、湊の表情からして、割と本気で言っていたようだ。目立ちたくないと言うのは彼の本音だろう。


 肇は湊を見上げた。冬の空気のように透き通った彼の存在は、肇の心を温かくさせる。


 その彼が、また肇を見る。微笑んではいるけれど、真っ直ぐな瞳は肇の心を突き刺す。


「……好きだよ」

「…………さんきゅ」


 肇は思わず手を繋ごうとして、止めた。触れそうで触れない位置でどうしようか迷っていると、湊の方から指を絡めてくる。彼を見ると、湊は真っ直ぐ前を見ていた。その耳が赤い。


 ここは外だし、男同士だし良いのか? と聞くのは止めた。肇はぎゅっと湊の手を握ると、お互いにその手を離す。


「ふふっ……」


 肇は笑う。昨晩あれだけ恥ずかしい事をしておいて、今更手を繋ぐのに照れるのが可笑しかった。


「笑わないでよ、もう……」

「悪ぃ」

「……あーもう……恋愛は惚れた方が負けって言うけど、本当だね」


 肇には敵わないや、と湊は空を見上げる。


「何だそれ? じゃあ、対等でいられるよう俺も努力しなきゃだし、お前も言いたい事言えよ?」

「……」


 湊は黙った。どうした? と肇は言うと、彼は破顔する。


「あはは、ホントに肇って……っ、やっぱりそういう所好きだし敵わないや」


 笑う湊に、肇は多分だけど、と思った。今まで湊に寄ってきた人達は、彼が何でもソツなくこなすので、彼を利用しようとしてきた人たちなのだろう、と思う。だから肇が出会った時から、湊を対等に扱えば嬉しそうにしていたし、彼を色眼鏡で見ない純一を好きになったのだろうと。


(チートの癖に、めんどくさい……けど、オレも好きになっちゃったしなぁ)


 それがどうしようもなく愛おしいと思ってしまうから、肇も負けだと思う。


(ああもう、せいぜい嫌われないように努力しないとな……)


 自分も、湊と同じような事を思っていたことは言わない。その代わり、湊を見つめて笑った。


 湊も笑う。


 この不器用な恋人を不安にさせないように、笑顔でいることは案外悪くないな、と肇は低く晴れた空に、白い息を吐いた。

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