第2話 オレは間違ってない

(い、忙しい……!)


 夏休みが始まってから二週間。毎日ディナータイムに出勤していた肇は、目が回るような忙しさにロッカー室で座り込んだ。


 ちょっと待て今までこんなに忙しかったか? と考える。でも、原因は一つしか思い当たらない。


(多賀が来てからだ……こんなに忙しいの)


 湊がアルバイトに入ってから、女性客の数が大幅に増えたのだ。ホールスタッフの女性たちが、湊がよく客に声を掛けられているという話をしているのを聞いて、モテるとか本当に嫌な奴だな、と思う。


(あと二週間ちょっと……それまで頑張れオレ)


 お盆の時期には肇にとって、とっておきのイベントがあるのだ。それまでは何としてでも耐えなければならない。


(でもヤバいな、まだ材料揃えてないし)


 そろそろ材料を調達しに行かなければ、とても間に合わない。明日の朝から行くか、と肇はスマホのメモに買うものを書いていく。何せ日本最大級のイベントだ、肇としても気合いを入れたい。


 普段なら仕事場では、こんな事を考えたりはしないのだが、あまりの忙しさに現実逃避したがっている脳は、すっかりイベントの事でいっぱいになる。


 そう、夏と冬に行われる、日本最大級の同人誌即売会に、肇はコスプレイヤーとして参加する予定なのだ。


 ここでアルバイトをしているのも、コスプレのための軍資金を貯めるためで、肇の周りは、彼にそんな趣味があることは知らない。いわゆる隠れオタクなのだ。


(最悪三日……いや、二日あればできるか? でも今回布の量多いからな……)


 そしてコスプレ衣装は自分で作るという、割とガチ勢である。コスプレするキャラクターの性別も問わない肇は、割とSNSで人気だったりするのだ。


 あれこれ考えていると、ロッカー室に湊がやってきた。肇は慌てて思考を停止し、心のシャッターを閉める。


「あ、小木曽くんも休憩? お疲れ様~」

「……っす」


 なんだよ話しかけてくるなよ、と思っていると、彼は肇の隣に座る。他にも席はあるのに何故そこなんだ、とものすごく居心地が悪くなった。


「忙しいねぇ。今日は特に」

「……」


 やはり湊も思うところは同じらしい。持っていたペットボトルのお茶を飲むと、はぁ、と大きなため息をついていた。


 肇は会話する気が無いので黙っていると、いつもこんなに忙しいの? と質問がくる。さすがに質問されたら答えない訳にもいかず、うんざりと口を開いた。


「あんたが来てから余計に忙しくなった」


 一人の店員でこれだけ集客できるとはすごい事だと思うけれど、リピート客が増えなければ意味が無い。ちやほやされたいのならよそへ行け、と肇は言うと、湊は意外にもまさか、と声を上げた。


「俺、そんなつもりでバイト入ってないよ? 確かに、声を掛けられる事には慣れてるけど、男子とつるんでいた方が楽だし」

「……」


 肇は黙る。何だよ今のは自慢か? と思うけれど、喋るのも面倒だ。


「だからこうして、一番歳が近い小木曽くんと交流を持とうと……」

「オレは仲良くする気ない」


 湊の話を遮って肇は言う。特に湊はいつもヘラヘラしていてイライラするので、できれば避けたい人種だ。


「…………もしかして俺、本当に嫌われてる?」


 しかし湊の声色は変わらず優しいままだ。外面が相当良いんだな、と肇はイラッとする。先日嫌いだと言った事は、彼にとってそんなにダメージは無かったようだ。


「俺、小木曽くんに何かした?」

「あんたを見てるとイライラする。心にもない事言ったり……自分を抑えてるのを見るとムカつく」

「……」


 湊は黙った。その沈黙が気になり、肇は彼をチラリと横目で見ると、思いのほか真剣な顔をして、口元に手を当て考えているようで、ドキッとした。


(ん? 何だ、ドキッて?)


 肇は慌てて今の感情を捨てる。仲良くなる気はないので、今の感情は不要だ。


「小木曽くんは、やっぱり優しいね。初めやたら視線を感じたけど、ちゃんと見てくれてるんだ」


 そう言われて、カッと顔が熱くなる。肇が言ったことに対して湊が否定しないのは、その通りだと肯定していることにも、この時の肇はテンパってしまって気付かない。


「やっぱり俺は、小木曽くんと仲良くなりたいよ。こんな嬉しい事を言われるの、純一じゅんいち以来だなぁ」


 湊の言葉の後半は、肇には分からなかったけれど、顔が熱いと意識してしまって、どんどん顔が熱くなる肇は何を言ったら良いか分からなくなった。


「は、はぁ? あんた、人の話聞いてたか? 大体、俺の視線を感じたけどって、そんな見てねーし」

「湊って呼んで欲しいなぁ」


 肇はテンパって口数が多くなる。しかし、何故か肇が喋れば喋るほど、湊の優しい笑みが深くなっていくのだ。肇はそれに耐えきれなくて、立ち上がった。


「お、オレ、そろそろ休憩終わりだっ」

「え? あと5分あるよ?」

「うるさいっ、終わりったら終わりだっ」


 そう言って、肇はロッカー室を出た。すると、何故か厨房にいるはずの志水とすれ違う。


「ちょっと、志水さんどこに行くんですか?」

「あ? トイレくらい行かせろよ」


 そう言って、志水はトイレとは違う方向に行く。裏口の方へ行ったので、たぶんタバコだ。


 そうなると、今厨房には誰もいないことになる。客足が落ち着いているからとはいえ、ガラ空きにするのはどうなのか。


(マジかよめんどくせぇ!)


 肇は慌てて厨房へ戻る。すると、丁度オーダーが入ったところだった。


「ちょっと、志水くんどこ行ったの?」


 ホールスタッフから文句を言われる。それは直接本人に言ってくださいよ、と肇は言うと、お局様つぼねさまがちゃんと監督しといてよね、と嫌味を言われた。


 肇は誰がお局様だ、とカチンときたけれど、客を待たせる訳にも行かないので、無視してすぐにオーダーされた料理を作る。


 それから二十分、タバコ休憩にしては長い不在に肇がイライラしてきた頃、のんびりとした足取りで志水が戻ってきた。


 肇は彼を見つけるとすぐにつかつかと歩み寄る。


「どこに行ってたんですか、あなたの休憩はこの時間じゃないですよね」


 肇は睨むと、志水はあからさまに面倒くさい顔をした。


「だから、トイレだって言っただろ」

「これだけタバコの臭いさせといて、よく言えますね。味が分からなくなるので、その臭いで厨房来ないでもらえます?」

「良いだろべつに。お前もいたから結果オーライじゃん?」


 どうやら志水は反省どころか、悪気は全く無いらしい。どうしてこんなやつを店長は雇ったのか、と頭が痛くなった。


「……フリーターの癖に使えない奴だな」


 肇は思っていたことを口にした。案の定、志水の顔が怒りに変わる。


「あ? てめぇ口の効き方に気をつけろよ?」

「気をつけるもなにも、本当の事じゃないか。週二でしか入らないクセに、事あるごとにタバコ休憩でバックれて……」

「ほんとてめぇ、お局様だな! 毎回毎回細けぇんだよ! 厨房スタッフが長続きしなくなったの、てめぇのせいだって店長が言ってたぞ!」


 肇はカッと顔が熱くなった。図星ではあるけども、それは仕事をする上で望ましくない行動をする人が多くて、注意してきただけの事。意図して辞めさせようとしている訳じゃない。


「それはルールを守らないヤツが多かったからだ! 注意して何が悪い!」


 肇の声もヒートアップしていく。自分がこの店のスタッフに嫌われていることは知っている。でも、悪いものは悪いと言わないと、店は立ち行かなくなるじゃないか。


「年下のお前に言われる筋合いねぇんだよ!」

「年上だという自覚があるなら、少しはそれらしく振る舞えよ!」


 肇がそう言った瞬間、志水は肇の胸ぐらを掴み、作業台に肇を押し付けた。ガタン、と派手な音が鳴り、肇は打ち付けた腰が痛くて顔を顰めて呻いた。


「志水さん、落ち着いてください。小木曽くんも」


 横から声がして見ると、湊が肇の胸ぐらを掴む志水の手を握っている。


 長い沈黙がおりた。湊は真剣な眼差しで、志水の手を握っている。肇は痛む腰を耐えながら志水を睨んだ。


 志水は湊を睨んでいたけれど、手を離し、「覚えとけよ」と肇に言って去っていく。


「お前、まだ仕事あるだろ!」


 肇は叫ぶが、湊に止められた。何故止める、と湊を睨むと、思いのほか真剣な顔にぶつかり、続きの言葉が出なくなる。


「小木曽くん、志水さんに突っかかるのは止めた方が良い」


 お前までそう言うのかよ、と肇は言うと、確かに目に余る行動だけど、と湊は前置きした上で話す。


「多分あの人、ケンカ強いよ? あまり怒らせるように言わない方が良い」

「本当の事だろ!」


 うん、だからね、と湊は諭すように言う。


「店長に逐一報告しよう。店長も理由があって志水さんを雇ってるんだろうし」


 確かに、どうして雇っているのかと思った事はある。しかし、肇は納得できなかった。


「オレは間違ってない」


 すると、湊は苦笑する。肇は湊のその態度にもムカついた。正しい事をしているのに、どうしてこちらが諭されるのか、分からない。


「……そうだね」


 湊は諦めたようだ、ホールに戻るね、と言って去っていく。


 肇は最後まで、腑に落ちなかった。

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