第6回「最後の勇者⑥」

「勇者殿」

 リウィアがユキトキを呼び止める。

「はい?」

「抜き身の剣を持ち歩けば随所で呼び止められる。ち、猊下から鞘を預かっておりますのでお使い下さい」

 ルキウスからリウィアに視線を移すユキトキ。リウィアの手には黒い革製の鞘があった。肩からかける紐はきしめんのような形状で、金色である。受け取って触ってみる。想像以上に固いのがわかった。

右手に聖剣を持ったままでは不自由していたところである。鞘に聖剣を収めて、紐を肩に掛けると両手が自由になった。途端に開放感がユキトキに押し寄せる。

「両手が自由なのは良いですね」

「幸いです」

「これって革製?なんかかなりザラザラと」

「動物の皮を何枚も重ね合わせ、表面に蛇の魔物の革を貼りつけてあります。強度は充分。ご安心を」

 淡々とリウィアは言う。ユキトキが拳で軽くコンコンと叩いて鞘の硬さを確認するが、皮とは思えない。鉄より硬いのではと思うような質感である。

「ルキウス、出る」

「御意」

 未だに片膝をついているルキウスにリウィアが命じた。一言返事して立ち上がったルキウスは馬車の御者としての役割を果たすため御者台に乗る。ぼそぼそと何事か呟くと、ルキウスはリウィアを見た。

「いつでも」

 ルキウスがそう言うと、リウィアは一度頷いた。

「総員、乗り込め」

 リウィアの命にエレナとアウレリアが駆け込むように馬車に入る。一瞬のことに馬車の前でユキトキだけが立ち尽くしていた。

「貴方もです」

「あ、はいィィィィィ!?」

 ユキトキの両手がリウィアの両手に掴まれた。何が起こるのかと考えていたら、ぐるぐると立っている場所で回り始めた。次第に勢いが強くなってユキトキの足が地面から離れた。

「うわぁあああああ!?酔ううううううてええええええええええっ!!」

 ユキトキの悲鳴が響き渡る。ユリウス13世とヨハネスは揃って両耳を手で塞いでいる。それが一瞬見えたかと思うと、リウィアが手を離した。

「ふん!」

「ああああああああ〜!!!!」

 馬車の入口は横にあった。そこへユキトキが飛ばされた。その目には涙が浮かぶ。恐怖心がユキトキにまぶたを閉じさせる。

 吸い込まれるように馬車に放り投げられたユキトキに差したる衝撃はなかった。衝撃を覚悟していただけにユキトキは困惑する。

 ドサッと柔らかい物に落ちたのだ。弾力があってふかふかなクッションの上に落ちたのだ。

「あれ?痛くない」

 ユキトキは心臓をバクバクとさせて緊張していた。大怪我するんじゃないかと心配していた。視線はクッションに移動する。大小さまざまなクッションがそこにはあった。

「なんでこんなに?」

「姉上の趣味だ」

 エレナがすかさず答えた。黒い聖騎士の軍服はボタンや肩章などが金色である以外の特徴はない。いたってシンプルなものである。エレナの髪は三姉妹と同じく黄金色。稲穂が田んぼ一面に実った時のような黄金色である。唐紅の瞳は三姉妹の中でもエレナだけだとユキトキは気が付いた。人の顔をまじまじと見ることがないからか、出会って数時間の手合いだからか、ゆっくりと女性の顔を見ることがなかった。はっきりと確認できたのには馬車の中だというのに、照明がないというのに、明るかったためである。そのため顔がよく見れたのだろう。ユキトキは妙に冷静なことが気になったがそれどころではなくなった。

「姉上!!勇者が乗ったぞ!!」

 エレナは外のリウィアに呼びかける。ユキトキの心中は無事と呼ぶには程遠い動悸をしている。少し落ち着きたいのがユキトキの本音である。

「エレナ!勇者殿と呼ぶように言ってたでしょ!」 

 リウィアが勢いよく入ってくる。クッションにどさりと沈みこむ。

「姉上」

「なんです?」

「その勇者殿が下敷きになっています」

「え!?」

 エレナが右手の人差し指を下にしてクッションの方に向ける。そこにはユキトキがもの言えぬまま苦しそうに悶絶していた。

「うわぁああ!?勇者殿!!申し訳ありません!!大丈夫ですか?起きて下さい!!」

 慌てたリウィアがユキトキに平手打ちを連発する。予想外の事が起こると手荒になるのは幼い頃から変わらないのか、とエレナが嘆息する。

「姉上。余計に衝撃を与えないで下さい。そのようにしては起きたくても起きれませんよ」

「それもそうだ」

 そう言うとリウィアが手を止める。

「そのまましばらく寝かせておこう。ゴールまではしばらくかかる」

 エレナが下で痛みに震えるユキトキを哀れむように見下ろしながら言った。リウィアは小さく頷いてエレナを見上げた。

「そうしましょう」

 リウィアがそっとユキトキから退き、一度深く頭を下げて謝罪の言葉を述べる。それを確認したアウレリアが近寄ってリウィアにささやくようなか細い声で訊いた。

「ルキウスに合図は?」

「あなたが送りなさい」

「よろしいので?」

「はやく」

「はい!」

 元気いっぱいに返事してアウレリアが一旦外に出る。眼前にはユリウス13世とヨハネスが立っていた。ぺこりと軽く頭を下げて御者台にアウレリアが向かう。御者台にアウレリアがひょっこりとあらわれると驚いてハッとするルキウスがいた。

「リウィア姉さまが行ってもよいとおっしゃたの」

「リウィアさまが、という事は、もう出発してもよろしゅうございましょうか?」

「そうだけど、まあいいわ。あとで話しましょう」

「御意」

 アウレリアは不満そうに頬を膨らませる。数秒おいて、「ふう」と息を吐くとまた馬車の方に戻って行った。御者台に乗ってもよかったが、外に出た目的は1つではない。アウレリアは教皇と枢機卿の前で片膝をついて頭を垂れる。

「聖下、猊下、これより出発いたします」

「うん。元気でね」

 ユリウス13世はそっと頭を撫でてやる。ヨハネスもいとおしそうに見つめている。そこには上司と部下ではなく、家族のやりとりがあった。時間は1分程度である。ユリウス13世は最後に命じた。

「役目を果たせ」

「御意」

 ヨハネスが続けるように、「死ぬなよ」とだけ言った。アウレリアは顔を上げて、一度だけ力強く頷いた。確認した2人は行ってらっしゃいという風に手を振る。アウレリアが立ち上がって敬礼すると、馬車に飛び乗った。乗ったと同時にルキウスが馬に鞭を入れる。

 ガコン、と大きな音とともに馬車の扉が閉まる。車輪がゆっくりとまわりはじめ、馬車が動き出す。それを見つめる2人はどこかさびしげであった。

「あ、しまった!」

 ユリウス13世が思い出したように大きな声を出す。突然の事にしみじみとした空気感が台無しである。ヨハネスは動じた気配もないが、視線をユリウス13世に向ける。

「如何なさいました?」

「スキルの確認をさせ忘れていた。あれは持ち運びできる大きさではない」

「ああ、その件ですか」

「どうしようかねぇ?」

「ゴールの教会にも同じものはありましょう。どこの教会でも機能は同じです。司教に知らせておけばよいかと」

「そうだね。それでなんとかしよう。聖騎士がいて、勇者がいる。問題はないさ」

 そう言って声を出して笑うと、2人は普段の政務に戻っていった。


 勇者ゆうしゃたびがはじまる。



(第7回へ続く)

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