第1回「最後の勇者①」
うっすらとまぶたが開き、天井が目に入る。ユキトキは自分が横になっているのだと察した。そして、勢いよく立ち上がる。立ち上がったまではよい。途端にぐにゃりと足元がふらついて、その場に倒れ込む。尻もちをついたのである。ふわりと柔らかい床によって衝撃は殆どなかったのが幸いであった。何かと思えばベッドがある。自分はここに寝ていたのかとようやくわかった。衝撃が吸収されたるはこれのおかげかとユキトキは納得した。納得して仰向けになる。大の字で寝転がっても余裕のあるベッドだ。キングサイズというものであろう。ベッドの事はよくは知らないが、ユキトキは細かい事は考えなかった。
「ふわふわ」
つい思ったことが口からこぼれ出る。家のベッドより上等なベッドにユキトキは感動していた。家族で温泉旅行に行った時に泊まったちょっとお高いホテルのベッドより弾力がある。吸い込まれそうな柔らかい感触を堪能していると、扉がガチャリと音を立てて開いた。2人の人間が室内に入ると再び扉が閉められた音がする。
「おや、目が覚めましたか?」
老爺の言葉が聞こえた。ユリウス13世が入って来たのだ。後ろにはヨハネスの姿もある。ユキトキは声を聞いた瞬間にビクッとして視線を恐る恐る2人に向けた。出会って数分と経たずにトラウマを与えた相手が目の前にいる。あまりいい気分ではない。
「夢じゃなかったんだ」
ユキトキは自分を昏倒させた存在を見て、お腹のあたりが少し痛くなったような気がしてならなかった。それと同時に意識を失う前の出来事が現実の事であったのだともわかった。悪夢であれば目が覚めてホッと一息つくだけで済んだものを、現実となっては諦めたようなため息が出るだけである。
「勇者殿、起きて間もなく申し訳ない。あなたを呼んだのには理由があるからだと理解してもらうしかない」
「え、あ、理由ですか?」
「貴方には
ユリウス13世は人のいい笑みを浮かべたままユキトキを見つめている。まさに好々爺といった雰囲気である。彼の言う内容には聞き慣れない単語が散見している。困惑するユキトキを見つめるユリウス13世の言葉には有無を言わせない迫力がある。ユキトキはうなだれて諦めたようなため息を再び吐くと、ベッドから立ち上がった。靴は脱がされて寝かされていたためか、裸足である。そんなユキトキの様子を見ながらユリウス13世はヨハネスに命じた。
「ヨハネス、あの子らを呼んでおいで」
「御意」
ヨハネスは一礼して一言返事するや否や部屋を去った。何事であろうかとユキトキが視線を扉の方にチラッと向けたのをユリウス13世は見逃さない。
「ここで待って居ればよい」
「はい……」
右肩を軽くポンと叩かれ、気圧されてしまうユキトキ。黙って待てと言われても眼前にユキトキにとってトラウマの権化みたいなものがいたとあっては気が休まらない。会話しようにも何を話題にすればよいのかもわからない。危機とは、この事かと思うと背中に冷や汗をかく。高校の入試にやった面接時に感じた緊張感と同じか、それ以上に心臓に悪い。
「ヨハネスは君の旅の供になる者を呼びに行っただけだ。落ち着いて待って居ればよいのだ」
ユリウス13世が口を開いたのはユキトキが話題を何にしようかと足りない頭で考えていた頃であった。祖父が孫に諭す時のような優しい声音であった。ユキトキはそちらから話し始めるのかと目を丸くしたが、口から「とも?」と疑問がこぼれた。
「そうだ。魔王討伐の旅に加わる君の仲間だ。護衛としての役割も任せる。知らない事はあの子らに聞くといい。博識な子もいる。旅の供は我らがハーメルン聖騎士団から3名選んだ。若く屈強な戦士だ。安心してよいだろう」
混乱ばかりの現状に於いてユキトキにも理解はできた。ただ歴史の授業やゲームとかでしか聞かないような単語があった。
「む、聖騎士は君のいた国にはいなかったか?」
「たぶん?」
「自分の国の事も知らんのかぁ?嘆かわしいな」
「あー、自分の国は騎士じゃなくて、武士とか侍ってのがいましたよ、昔」
「武士だと?」
一瞬、ユリウス13世の声が低く、殺気が混じっているような、怒気が混じっているようなものに変わった。おどけたように返事をしてしまったのが逆鱗に触れたのかと思っておののくユキトキをよそにユリウス13世は両手を固く握りしめ、歯ぎしりをし、忌々し気にユキトキを見るや視線をそらした。そこで大きく、「はあ」と息を吐く。いきなりの出来事にユキトキは焦る。激怒している。絶対そうだとユキトキは思った。
「えっと、ユリウスさん?ふざけてるんじゃなくて、そういう風に聞こえただけで何もふざけているわけではないんですよ?ね、だから落ち着いて?ね?」
これはいかんと思ったのかユキトキは慌てて弁明しようと声を上げた。ユキトキを再び見たユリウス13世の顔は穏やかなものに戻っていた。ユキトキは何が何やら訳がわからない。それを察したようにユリウス13世は言葉を続けた。
「武士ってのにはな。昔、痛い目にあってね。嫌な事を思い出した。すまないね」
「え、あ、そうなんですね」
ユキトキは心底ホッとした。自分に怒っていなかった。よかったと安心した。そこへ再び低くドスの効いた声のユリウス13世にユキトキは震えた。
「ありえないとは思うが、一応の確認だ。違うならそれでよい。君の出身は
不安が強くにじみ出た雰囲気がある。恐る恐る尋ねているのがわかった。瀛君国というのはユキトキの知らない国である。聞いたこともない。日本にそんな呼称があっただろうか。瀛君国とかいう呼称が日本にあったとしても、ユキトキは知らないのだから知らないのだ。
「違いますよ」
ユリウス13世はあからさまに胸をなでおろした。ユキトキはそのまま言葉を続ける。
「俺の出身は日本の埼玉県です!生まれは米沢とか雪国の方なんですけど、育ちは埼玉で」
ユリウス13世は日本という単語を聞いてからユキトキの話しを聴いてはいなかった。ボソッと「またか」とだけ言ってユキトキを見る。出会って半日も経たない目の前の若い勇者に対して目を細くして見る。観察するように、品定めするようにである。かなり生活水準の高い暮らしをしているのだというのは肉付きからして察することができる。農民や平民にしては小綺麗な服に身を包み、見ただけでも背丈は大陸の平均身長170cmより10cm以上も高いのだ。従騎士になっても不思議はない恵まれた体躯をしている。安全な国で育ったことはユリウス13世の拳に受け身を取らなかったのが好例だ。闘いになれてない緩み切った警戒心をしているのだろう。話していると戦士というよりどこぞの商人のお坊ちゃんという感じがする。喧嘩や農作業をしたことがないような綺麗な手をしているのも平和な時代に生きて居た事が窺える何よりの証拠であろう。ユリウス13世のユキトキに対する不安は完全に消えたわけではなかった。ユキトキに魔王が討てるかどうかも正直期待はしていない。討てたら良い程度だ。せめてティベリア教の求心力を高め、人民統合の象徴となるよう適当に諸国を巡らせれば都合はよいだろう。ユリウス13世は短い間に目の前の青年に対して感じた事を整理しても、せいぜい都合のよい駒であれと心中で願うしかなかった。
「聖下、連れて参りました」
扉を3回ノックする音とヨハネスの声が聞こえた時、2人は揃って扉に視線を移していた。
(第2回へ続く)
※「人種」は、「じんしゅ」ではなく、「ひとしゅ」という読みの用語です。
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