第2章 パーラ王国
第13回「パーラの王都へ」
上弦の月が空に見える。今は夜。春というにはまだ肌寒い3月の夜である。リウィアは1人、そんな夜更けに馬車を飛び出して、街道の真ん中で仁王立ちになって屹立していた。
リウィアが腰に下げた剣の柄を力強く握るのは抜剣するためではない。緊張を抑えるために掴む。その程度の意味合いである。もし、相手が攻め寄せて来てもすぐに対応できる構えでもあった。如何なる時制でも警戒はするものだ。
ルキウスの言う通りなら軍旗は10はある。つまり10の部隊である事は間違いない。じっとして目を凝らすと本当に旗が見えた。複数の馬影が見えるから騎馬した者がいるのだろう。まとまった騎馬は軍や国など大きな組織に関連する者だと相場が決まっている。ルキウスは目も良い。となると、あの旗がパーラ軍の可能性が高まってきた。いまは夜が完全な真っ暗闇と化す数世紀前のユーラニカ大陸ではない。民家のない街道でも街灯は少ないがそれなりにあるのだ。街灯とは言ってもユーラニカ大陸における街灯は基本ガス灯か魔石を消費して明かるさを示す
エレナや馬車に残る者たちに啖呵を切って出たからには腑抜けた姿は見せられない。少なくともルキウスは確実に見ている。御者だもの。そう考えを巡らしていると、馬蹄が石畳の街道に響く音がする。10騎どころではない。100人はいる気がする。リウィアの頬に冷や汗が一滴。静かに浮かんでいた。
「そこの馬車!止まれい!」
尊大な態度。堂々とした大きな男の声音。軍人らしく軍服に身を包んだ40前後の男は馬上から釣り上がった濃い髭と眉を見せびらかすように生やしている。リウィアを見下ろすように立ち塞がった男をすかさず睨み上げるリウィア。男はリウィアの存在を認めて声をかける。
「その方が、馬車の所有者か?」
「だったら貴様らは何のようだ?」
「む、私はピエトロ・ゼロス男爵である!我等は勇者殿を迎えに行く使者である!日中、ハイグレード・ゴールデンターキーの討伐があったと報告が来たのだ!陛下曰く、容易く倒せるのは聖騎士を連れた勇者殿であろうとの仰せだ!」
「なるほど」
リウィアは声を低くして返事をし、剣の柄から手を離した。だらりと無気力におろされた両手は敵意を持っていないと見せつけるためのもの。どのような反応を示すか知るためにもリウィアは視線をパーラ軍人から逸らさない。
「それは喜ばしい事だ!我々は先日ハーメルン聖騎士団に特設された特務部隊である!隊長たる勇者殿の指揮下に入り、護衛を聖下より仰せつかった!これより王都ゴールに向かう道中である!しからば、案内を頼まれよ!」
「なんと!」
ピエトロが旧知の者と再会した時のように嬉しそうにリウィアに言葉を送ったが、リウィアの身体はその一瞬に身の毛のよだつ寒気を感じた。殺気である。
慌てて身をかがめる。リウィアから見て左から右へと剣が頭上すれすれの距離を通過した。ピエトロが馬上から横薙ぎに剣を振ったのである。
鳥肌が立つ。初陣を思い出させる殺気を感じた。リウィアは馬上のピエトロを睨み、剣の柄を持つ手に力を入れた。
「今のお前ら悪魔教徒にある3つの罪を教えてやろう。ゴールデン・ターキーの群れが暴れる前に悪魔教徒が王都から聖遺物を強奪した。これが1つ!さらに、昨日の夕刻、再び戻って来て金貨を多量に強奪した!これで2つ!そして、こう言ったのだ!まだ、仲間が西からゴールに来るぞと。これで3つ!」
ピエトロは堂々とリウィアを悪魔教徒だと決めつけて言う。誤解があるようだが、剣を向けられた以上、引くわけにはいかない。呆れたようにリウィアが言葉を返す。
「悪魔教徒のような賊の言葉を信じるのか?貴様は!」
「なんだと!?」
リウィアの言葉は正論。驚くピエトロに一瞬の迷いが生じた。
「勇者殿は馬車の中だ。疑うなら検分くらいしたらどうだ!すぐにわかるぞ」
「………最もだが、闘った方が早い」
リウィアの言葉は無視された。ピエトロの剣は「ひゅん」と音を立てて空気を斬る。剣はリウィアの首を刎ねようと迫ってくる。薄暗い中、リウィアは右に左に避けるだけで精一杯。街灯があるとはいえ、夜は視界が不明瞭。無闇に斬り込むのは無謀である。
「投降せよ。さすれば、命は保証しよう」
「ほざくな!髭もじゃ!」
「むむむむ!!よく言った!!小娘ぇええええ!!」
ピエトロは怒りの感情をあらわにして叫ぶ。力強い一撃がリウィアに向かって真上から振り下ろされた。真っ直ぐ、躊躇いなく向けられる剣をリウィアは避けようとはしない。掴んでいた柄をほぼ直角に引き上げ、鞘から剣身をあらわにさせる。リウィアの剣は鞘から抜け、自然と斜めになってピエトロの剣を受け流す。
「むむ!?」
ピエトロの驚嘆する声を聞きながら、リウィアは剣を頭上に構えて右から左下へ斜めに振り下ろす。
馬が嘶くと、馬上のピエトロが体勢を崩した。ピエトロの上体がよろめいて、横に倒れようとしている。これを好機と捉えたリウィアはすかさず剣を振り上げる。ピエトロの腹を斬るために。
「ふんッ!!」
ピエトロは両脚で馬の腹を力強く締め付けて上体を起こす。体勢を直したピエトロは忌々しそうにリウィアを見下ろしている。同時にリウィアの剣は空を斬った。
「しぶとい」
狩りに失敗したような感覚がして、リウィアは歯痒そうに顔をしかめる。
ピエトロが馬上から再び剣を振り上げ、リウィアがこれに対応する。2人の剣が重なり金属音を鳴らす。その直前に戦闘を静止する声が聞こえて来た。かなりの大声だった。2人の剣は衝突すれすれのところで停止した。
「待て!待て!待たんか!ピエトロ、そなたは剣は抜かぬと言ったではないか!莫迦もの!」
「む、カーローンの爺さま!これは………」
「御託はええ!猊下のご息女に斬り込むやつがあるか!」
「む!?」
「よう顔を見れ!わかるじゃろうが!」
「なんと………リウィアさまだ」
現れたカーローンと呼ばれた老人は色素の抜けた白い髪をオールバックにした目元の優しげな人だった。リウィアはゆっくりと剣を下ろして老人に声をかける。
「カーローン子爵、お久しぶりでございます」
「母君の葬儀以来ですから、12年ぶりですか。大きくなられましたな。子どもの成長はあっという間で驚かされます」
カーローン子爵は真っ白な歯を見せて大仰に笑った。
「ええ、あの時は子爵やステュクス公にも助けていただきました。父や妹共々、感謝しております」
「いや、カイルス公や夫人には世話になりましたから」
そう言って寂しそうにリウィアを見たカーローンは既にない故人を思った。2人の悲哀な空気にピエトロはおずおずとカーローンに尋ねる。
「あのー」
「ん?なんだ?」
「馬車から出た方々はどうしたら?」
ピエトロの言う馬車は勇者一行の乗る馬車である。そこからニナが飛び出しユキトキが慌てて右腕を掴み、ニナの左腕をケルサスが掴んでいる姿がうっすらと見えた。ニナがだらんとぶら下がっている。
出入口から地面までの高さがそれなりにある勇者一行の乗る馬車から出て足を踏み外したニナは今、地に着かぬ足をばたつかせている。ユキトキとケルサスがそっとニナを地面に下ろす。
「ニナさ………」
リウィアが呼びかけ、駆け寄ろうとした時、ユキトキとケルサスの怒声が響いた。
「バッキャロー!!あぶねえだろうが!!」
2人とも同じ荒い言葉でニナを嗜める。
「いきなり飛び出さない!」
「外に出るなら一言でも言いなさい!」
ユキトキが言い終わるや否やケルサスも説教を垂れる。馬車の上からの声にニナは目を丸くして見上げている。余程、怖い体験だったのか、ニナは動悸がした。
「……はい……しない。必ず言う」
ニナは状況と現状を理解すると、赤べこのように首を上下に降っていた。それを見て、ユキトキとケルサスは同時に言った。
「よろしい」
と。リウィアはそれを見てクスリと笑う。今までの緊張感が嘘のように晴れていく。当初、思っていたより面白い旅になりそうだと予感させた。
(第14回へ続く。)
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