第12回「最後の勇者⑫」
ケルサスの言葉にユキトキは忘れたかった不安が舞い戻って来た。こちらに来てからというもの不安がない事など皆無である。少しでも安心感が欲しかった。しかし、今はまだその時ではない。ケルサスの語気はつよく、その言葉の正しさもわかる。ただ、ユキトキはその言葉の意味を心底理解できたわけではない。頭ではわかっていても現実味が湧かないのだ。それでも、油断できないところなのだと言い聞かせるしか今のユキトキには選べる道はなかった。
ケルサスが言葉を発してから数瞬の静寂が訪れる。動悸がする。心臓の鼓動する音が聞こえそうな程の緊張感がユキトキを襲う。
ケルサスが再び口を開き、ユキトキの心拍数は高まっていく。
「パーラ王は如何なる手を使っても勇者殿をパーラ王国に引き止めようとなさる。これまでの勇者も同じように引き止められた」
「前の勇者たちは…………」
「パーラ王国を抜けて他国へ逃げました。前例はなく、パーラ王国に留まった勇者はおりません。今のところは」
ケルサスはそう言ってユキトキを見たが、ユキトキがその視線の意味に気がつくのは数秒遅れてからだった。あまりに判断基準となる情報が少なすぎる。ユキトキはなんとも言えないなと思った。
「残るなら、残るで、聖下や猊下がお喜びになるぞ?そうしてくれると我々は助かる」
エレナがそう嘯くと、ケルサスが苦虫を噛み潰したかのような露骨に嫌な顔をした。
「勇者殿、聞きましたか?カイルス家はやはりタチが悪い」
「コメントは控えさせていただきます」
「勇者殿!?」
ケルサスとユキトキの会話に次第に皆の顔に笑顔が見え始めた。賑やかと言えばそうなのだろう。自然と声も大きくなっていたようである。少女の睡眠は再び妨げられ、ついには目を覚ましていた。
「うう、うるさい………」
目を覚まして少女は眉根を寄せる。ここがどこかは定かではない。確かなのは寝ていたところが柔らかいことと周囲がうるさいことくらいである。
少女は上体を起こして騒がしい方に顔を向けた。それに気がついたのはエレナであった。
「起きたみたいだな」
その言葉は一同を少女に視線を向けるに至らせた。5人の視線が一斉に向けられ、一瞬、びくりと肩を震わせたが、敵意がないのを知ると少女は少し落ち着いた。こわばった肩から力が抜け、見事なまでになで肩なのがよくわかった程である。
「何も取って食うわけじゃない。安心なさい」
エレナがそう言うと少女の元にそっと近寄って視線を合わせ、安心させるように笑みを浮かべた。
エレナの今までの対応を見て来たユキトキは元よりケルサスも驚いてエレナを見ていた。
こいつ、こんな優しさあったのか、という視線を感じてエレナは一瞬ユキトキとケルサスを睨みつけて、すぐに笑みを浮かべて少女に向けた。
少女は内心で非常に困惑した。だが、少女の表情には一切の動揺がない。表情筋が殆ど動いていないのは寝ぼけているためである。寝ていたからか記憶が煩雑としている。そこの優男におぶされていたことはぼんやりとだが覚えている。覚えていると言えば、もう1人いたのを思い出した。少女はユキトキを見つめた。
「ユキトキ?」
「はい」
「合ってた」
「え?」
「間違えてないならいいの」
「はぁ………?」
少女に呼びかけられて自分かと返事したユキトキは終始間の抜けた返事しかできなかった。互いに困惑しているのだけは確かな事実としてこの馬車に乗る全員が抱くものである。
この状況下でエレナは少女に問いかける。
「貴女、名前はなんていうの?」
「私の?」
「そう」
「私はニナ。みんなは呼んでいたから、たぶんニナが名前」
「そう、教えてくれてありがとうニナ。私はエレナ、よろしく」
「よろ………しく」
ぎこちない挨拶が終わり、全員が一切に自分の名を教えたのをニナはしっかりと覚えた。意識が寝ぼけていた状態から次第に覚醒してくる感覚がした。
ニナは起きてからぼんやりと開けていた目を大きく見開いて、馬車の進行方向にある壁を途端に見つめた。なんであろうか。気配がした。ニナは何かが迫る気配を感じたのである。
「どうかしたの?」
ユキトキが声をかけると、ニナは一言。
「くる」
「なにが………」
ユキトキが「何がくるんだ」と聞こうとした瞬間、御者をしていたルキウスが馬車の進行方向にある壁から現れた。ユキトキだけ心臓が飛び出るのではないかと錯覚させる程たまげたが、周りは誰も驚いた風ではない。少し恥ずかしく思うユキトキだったが、今現れたルキウスは焦っている。それだけは皆が一目でわかった。
「リウィアさま!」
「なにか?」
「パーラの軍旗が見えます。如何いたしましょう」
「どこまで見える」
「旗が少なくとも10は見えました。先程まで300mの距離にいるのが確認できましたので、数分の内にこちらに接近します。月明かりと時折りある街灯だけではこれが限度です」
「よろしい。ルキウス、お前は下がれ」
「御意に」
ルキウスは右手を額の上に持っていき敬礼すると、御者台のある壁の向こうへと音もなく去っていった。
「夜分に来客か」
リウィアは小さく舌打ちをして、顎に手を当てる。思案する時の癖である。ルキウスから得た情報だけではすぐにパーラ軍らしき連中を迎えるわけにはいかない。落ち着いて終始ルキウスの話を聞いていたリウィアは一呼吸してエレナを呼びつける。
「ここに」
「馬車の守備は任せた。私は夜分遅くに参上する連中を見極めてくる」
「御意に」
リウィアが御者台の方にある壁を水面に入るように消えると、エレナは一言だけささやく。
「姉上、暴れませんように………」
この時、外は半分欠けた月が真上に昇る夜であった。
(第一章了。第二章へ続く)
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