第11回「最後の勇者⑪」

 馬車の中、クッションに腰を下ろすケルサスのため息が溢れた。それと同時に馬車が移動を始める。乗員が全員乗ったのを認めたルキウスが馬車を作動させたのである。車輪が回り出し、速度が、徐々に、徐々に、上がっていく。馬車は加速している。

「明朝にはパーラの王都に着きそうですね」

「ルキウスは判断が早いからな。あとは任せて問題ない」

 リウィアとエレナは暗い雰囲気を払拭しようと話題を変える。少し空気が和らいだところで、ユキトキは先ほどのレンテイらの会話を思い出して引っかかっている言葉を呟いた。

「そういや、レンテイが気配がしないからもういいかっても言ってたけど、あれなんだったんだろ?」

「ああ、それは、この馬車の特性ゆえでしょう。中に人が居ても魔法による障壁が邪魔をしますから感知は難儀しますよ。まあ、意識して見られたら即座に破りよる猛者もいますが………」

 リウィアはユキトキの疑問を即座に解消するも、その顔には無事で生きているという事に対する安堵と数分前まで知らず知らずのうちに命の危機にあった事への恐怖が入り混じっていた。青ざめた顔を見れば一目瞭然である。

 今回はレンテイらが興味を持たなかった事が無事に繋がったのは明白である。悪魔教の大幹部などというのは列強国でも手に余ると云われる手練れという話だ。危ないところだった。そう感じるため、この場にいるユキトキ以外は事の深刻さに項垂れるばかりであった。

「暗い話はこれくらいにして、この娘の事を考えましょう?」

 パンッ、と手を叩き、合掌するように手を合わせたアウレリアが話題を再び変更させる。これには皆が納得して、暗い表情が少し明るくなっていた。

「起きないと何も聞けませんよ?」

 ユキトキは当然の事を言い、周りも頷いて腕を組む者もいた。10分ほど前に寝た髪の長い少女に目をやると、周囲も自然と心地良さげに小さく寝息を立てる少女を見た。これほど会話をしていても起きないとはたまげたものである。

「ですよね」

 リウィアがユキトキに同意し、右手のひらを頬につけて嘆息する。これを見ていると、起きるまで特段する事もないのだという気がして皆が肩の力を抜き、脱力する。

「でも、まあ、起きるのを待つのも焦ったくて困りますからね」

 皆が気を抜いた時である。人のいい笑みを浮かべていたリウィアは少女が起きるのを待つのが焦ったくなって、早く起きろと言わんばかりに「えい」と言って少女の頬を人差し指で2、3度つついていた。

 少女の頬にリウィアの人差し指が浮き沈みを繰り返したが、少女はそれでも起きなかった。起きないからリウィアはさらに頬をつつく。少女はやはり起きない。

 それをじっと観察していたエレナが静かに、勢いよく、立ち上がる。姉の歯止めが効かなくなると踏んだエレナは少し低い声でアウレリアを呼ぶ。2人の妹たちは姉の暴走しがちな悪癖をよく知っている。止めなくては少女が痛い思いをして終わるのが目に見えていた。

「おい、アウレリア」

「はい」

 途端に立ち上がるエレナとアウレリアを、ユキトキとケルサスは何事かと見上げる。姉妹の少し焦った様子には鬼気迫るといった風情があった。ユキトキとケルサスは揃ってごくりと唾を飲み込んだ。

「起きて下さい、な!」

 リウィアは人差し指を平手に変えて「ぺちん」と少女の右頬を軽く叩いた。右を叩いたかと思えば左を、左を叩けば右を叩き、また、左を叩くというのを繰り返した。リウィアの手を振る力が少しずつ微妙に強くなっていこうとした時、エレナがリウィアの正面にしゃがみこんで両腕を掴み上げた。

 リウィアとエレナ、2人の両腕は小刻みに震えている。少女の頬へと向かわんとするリウィアと、止めて押し上げようとするエレナの力が拮抗しているのだ。

 その2人の姉の下でアウレリアが少女に覆い被さるようにしてリウィアから守っていた。

「姉上!また悪癖が出ましたなあ!」

「え?あ!しまった!」

 リウィアは現状がわかると、自らの行為に驚嘆した。しかし、リウィアが驚き慌てたことが問題であった。リウィアは青ざめると同時にエレナを背負い投げてクッションに叩き落とし、アウレリアを眠る少女から片手で引き剥がした。皆が唖然とする中、リウィアは少女の両肩を掴んで勢いよく左右に揺らして謝罪の言葉を叫んだ。

「申し訳ない!失礼を致しました!!」

 これをリウィアは無意識のままに行った。リウィアにしてみれば咄嗟に動いた反射的なものである。この一瞬の出来事は、リウィアが体術の訓練を続けた賜物といえた。

 ただ、この時、現場にいた誰もが状況など理解できなかった。エレナは何が起きたのかすぐに理解できず寝転んだまま呆れたように目を閉じ、アウレリアはそのまま倒れ伏して動くのをやめた。

 妹2人を倒したリウィアは少女の方に向き直り、心の底から謝辞を述べると同時に少女の両肩を掴んで大きく揺らしていた。次第に気持ち悪くなったのか、少女は唸るようなうめき声をあげ、苦しげに眉根を寄せる。

 それを見かねたのは意外にもユキトキであった。ユキトキは訳もわからず立ち上がってリウィアの前に行ってしゃがみ込む。勢いよく動いたものの、出た声は少し震えたものであった。

「り、り、リウィアさん!」

「はい?」

「その子、うなされてますよ………」

「え?」

 ユキトキは言葉でリウィアを静止させる事が出来た。リウィアがゆっくりと自分の両手に視線を下ろすと、その先にはユキトキの言う通り少女がうなされていた。自分のせいでこうなっているのだとわかった瞬間、少女の肩からリウィアの手が外れる。再び少女の身体はクッションに沈んでいった。また、安定した「すー、すー」という小さな寝息が聞こえてくる。それを確認した一同は安堵のため息を吐いた。

「起こすならもう少し穏便にしましょう」

「そうですね。水をかけたら………」

「クッションが濡れますよ?」

「それは嫌ですね」

「なら!他の方法を考えるべきです!絶対に!うん!」 

 ユキトキの力強い言葉と勢いに気圧されてリウィアはぎこちなく頷いた。

「リウィアさんがここまでして起きないんですから、いまは寝かせておきましょう」

「……そうしましょう」

 自分のした行為に恥ずかしげに俯き、そっとつぶやくように返事したリウィア。よくないとわかっていてもこう暴走することがよくある。妹たちが止めに来なければと思うと後悔に苛まれる。

「この子は寝ましたが、俺たちが寝るにはまだ早い。俺はパーラ王国がどんな国かが気になります。教えてくれませんか?」

「どんな国と言われましても………」

 リウィアが腕を組んで言葉を選んでいる。どこから説明したら、ユーラニカ大陸の諸事情に詳しくないユキトキに伝えられるかと思案しているのだ。自分たちの常識は異界から呼んだユキトキとは違うのである。それを理解は出来てもどのようにして説明すべきか。リウィアはそれに悩まされた。

 それを見かねたケルサスが口を開く。

「パーラ王国は長い歴史を持つ国でね、数千年ここパーラ半島を支配している。パーラ王はハーメルン市国の守護者を名乗るティベリア教色の強い国。これくらいの基礎知識があれば無知と知られて笑われることは防げますよ」

 ケルサスはにっこりと柔和な笑みを浮かべてユキトキに向ける。ユキトキはここが半島である事すらよくわかっていない。ケルサスはそれも承知の上である。ベルトの隙間に挟んでいた30cm程に細長く折り畳んだ紙を取り出してユキトキの前で広げる。それは地図であった。

「これは我々のいる西方の地図です。クーシラント帝国時代の代物なので今と異なる箇所もありますが、大体は同じ」

「クーシラント?」

「500年くらい前に西方一帯を統一していた帝国です。当時の諸侯が王を名乗り、今に至っているのが大半なのです」

「ごひゃ!?そんな前の……」

 ユキトキの驚きには2つある。よくそんな古い地図を持っていたなということと、今見える地図は想像していたより広大であったからだ。

 驚く間もなくケルサスの指がL字に飛び出た半島を指さす。ユキトキは視線を指さすところに集中したが、英語のような表記があるが、英語ではない。ユキトキの知らぬ文字であった。だが、今の話から察するにここがパーラ半島なのだろう。それくらいはわかった。

「ここがパーラ王国。その中央部に王都ゴールはあります。それから、勇者殿が召喚されたハーメルン市国はここ」

 やはりユキトキの予想通りであった。L字の半島がパーラだった。さらにケルサスの指はL字の上の端っこを示した。そこがハーメルン市国だと言うのである。

 今までの移動してきた経路がわかり、不思議と未知の恐怖が霧が晴れていくように消えていくようだった。ユキトキはようやく今いる世界が見えてきたような感覚がして、不安が少し和らいで落ち着いた気がしたのである。無知と未知は恐ろしいものである。ユキトキは内心でそう思えた。

「ありがとうございます。いやー、これで一安心だ!」

 ケルサスは怪訝な顔をして説教する教師のようにユキトキを睨む。

「勇者殿、知って終わりではない。これから貴方は多くを見聞きするでしょうが、最初にパーラ王国に行くことは後の経験より未知が多い。覚悟なさい」

「は、はい」

 ケルサスの覇気に気圧され、ユキトキは冷や汗をかいた。そして、唾を飲み込むと不安が一気に身体全体に広がるような錯覚に囚われた。




(第12回へ続く。)

 

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