第9回「最後の勇者⑨」

「起きたか!」

 ケルサスは驚いたように背負った少女へ呼びかける。寝起きの声のまま、寝癖だらけの腰まで届く長い黒髪をそのままにして少女は澄んだ声で呟いた。

「あなた、誰?」

 真っ先に目があったのはユキトキ。寝ぼけ眼というやつで少女はユキトキを見る。人差し指で自分の顔を示すユキトキに少女は、「そう、あなた」とだけ言ってユキトキをじっと見つめていた。

「俺は、ユキトキです」

「ユキトキ。ここはどこ?」

 ユキトキは言われて思った。いま、自分はどこにいるのだろう。ハーメルン市国を出てそれなりに時間は経っているだろうが、検討がつかない。そもそもどんな国があるのか、どんな地理かもわからない。助けを求めるようにリウィアを見ると、すぐに答えてくれた。

「ここはパーラ王国です」

「パーラ王国のどこ?」

「どこ……西側だと思うけど……エレナ、わかる?」

 すかさず問い返す少女にリウィアはたじろぐ。細かい座標など一々覚えていられないし、測ってなどいられない。困ったようにエレナに救援を求めるリウィアだが、エレナも知る筈はない。当然のようにアウレリアを見た。

「お前はわかるか?」 

「王都ゴールの西に30kmぐらい?」

「わかるのかよ」

 エレナが少し引き気味に、驚いたように言った。

「そう…………あいつらはいないのね」

 満足したのか、安心したのか、少女は「疲れた」とだけ言うと、またケルサスの背に身体を預けて目を閉じた。

「え?寝るの⁉︎」

 ケルサスは少女を呆れたように一瞥すると、リウィアに向かって言った。

「あー、あの馬車で暫く休ませてはくれまいか?」

「はあ……」

「護衛もやろう。賃金はいらない。王都まで連れて行ってくれるだけでいい。どうだろう?」

「いいですよ。どうぞ中へ」

 リウィアはぼかしていた返事をはっきりと言った。ユキトキやエレナたちの現金なやつだという視線を無視してリウィアはケルサスを馬車の中に案内する。

「ねえ」

「あん?」

「あのケルサスって人が馬車に乗るってことは、俺の寝る場所が狭くなるってこと?」

「………そうだな」

「やっぱり………」

「あきらめな。これもヴァルナ神のお導きよ」

 エレナは珍しく気まずそうにユキトキの背をバシンと叩く。力加減は変わらない。毎回必ず痛いのは考えものである。

「いぎゃ⁉︎」

 エレナはユキトキが悲鳴をあげている間に魔法具を回収して、3つとも馬車に片付けに戻っていくところであった。気まずそうに見るアウレリアにユキトキが視線を向けると、アウレリアは自分の両手を握ってこう言った。

「勇者殿、がんばって」 

 アウレリアの言葉を聞いてユキトキは愚痴を言う。いま、思ったことを口にするのだ。

「うん。釈然としない」

 不満はあるが、これ以上を言い出す勇気はユキトキになかった。軟弱なところは生来のものであると割り切るも、こういう時に自分を情けなく思うユキトキ。

「あ、そうだ。ゴールってとこが目的地なの?」 

「え、そうですね。最初の目的地はパーラ王国の王都ゴールです。パーラ王が勇者を最初に接待するのが古来よりの習わしですので」

「へえ、そうなんだ………」

 ユキトキがそう呟いた直後に風は吹いた。強く激しい風である。ユキトキの眉毛に届かぬ程度の短髪が揺れる。思わず目を閉じていると、覆い被さるような気配と風の勢いが弱くなったのを感じてユキトキはまぶたを再び上げる。

 眼前にはアウレリアが立っているのが見えた。アウレリアの背が頼もしく見えたのをはっきりと覚えている。肩に触れる程度の金髪は激しく揺れている。風は先程より弱くはなったが確かに吹いていた。ユキトキがアウレリアの横に立とうとした時、怒声がした。アウレリアの声である。

「立たないで!私の防御魔法は1人を守るので精一杯ですから」

「は、はい!」

 叫ぶアウレリアの手には抜き身の剣がある。何事であろうと視線をアウレリアの視線の先に向けるとユキトキは身の毛がよだつような不気味な気配を感じた。突然、冷水を頭からかけられたような感覚である。それは恐怖とも驚嘆ともいえる奇妙な感覚。気が付けば「ごくり」と唾を飲みこんでいた。

「君たち、少しいいかな?」

 黒い外套に身を包んだ五十人前後の人々。男かも、女かもわからぬ程にフードで顔を隠している。そんな見るからに怪しい集団の中から陽気な声がした。

「人を探しているんだ。君ぐらいの歳の少女に背丈の少々高い男だ。見なかったかい?」

 黒い外套の集団の中で一人、艶やかな極彩色にぜんまい文様を散りばめた意匠の外套に身を包んだ男が前に出てきた。彼もまたフードをしていて顔は見えない。

「おやぁ、剣とは物騒だね」

「レンテイ、驚かせたのではありますまいか?」

「なるほど。さすがボクトツ」 

 極彩色の外套男、レンテイは納得して満足気に微笑んでいる。横に出てきたボクトツと呼ばれた男は無言で会釈するように頭を下げて後ろに下がる。

 黒い外套をしている集団の中で唯一、フードらしきものをしていないのがボクトツであった。逆立つ黒髪と目の下に縦に3本線があるのが特徴的な優し気な目をした男だった。

「気配を感じないし、もういいか」

「西へ行くのもよいかと」

「アルビオン、それともしんかい?」

「両方」

「………うん、いいね」

 レンテイとボクトツ、この2人の会話にユキトキとアウレリアは置き去りにされていた。ユキトキらは逃げ出したいけど逃げ出せない現状に目眩がしそうである。

「あの、風を止めて下さりますか?」

 アウレリアは絞り出すように言った。これに初めて驚いたという風な顔をしたレンテイは口を開ける。間抜けな面である。

「ああ、すまないね。強すぎたみたいだ」

 そう言ってレンテイは手を軽く挙げ、手のひらをユキトキらに見せた。直後、吹き荒れた風は一瞬の内に消えていた。

「え?」

 驚きのあまり声が出たのはユキトキ。その声が言い終わらぬ間に怪しげな連中の姿も消えていたのである。不可解な出来事に理解ができない。

 ユキトキはアウレリアを見て尋ねると、アウレリアの顔には大粒の汗が大量に流れていた。ゴールデンターキー討伐時には見せなかった汗が何滴も頬を流れ落ちる。

「なにあれ」

「悪魔教徒です。しかも、幹部クラスのヤツら」

「あれがケルサスさんの言ってた」

「はい。姉さまに伝えなくては」

「急ごう」

 アウレリアの鬼気迫る顔にユキトキも気圧される。つかつかと急ぎ足で2人は馬車に向かって行った。


 レンテイらが現れてからユキトキとアウレリアが馬車に辿り着くまでの時間は5分となかった。




(第10回に続く。)

 

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