第3回「最後の勇者③」
「急げ」
「ぐはっ!?」
エレナの右足がユキトキの背中を蹴り上げた。ユキトキは階段を5段ばかし飛ばして塔の1階の地面に倒れ込む。思ったより痛みは感じなかったが、衝撃はあった。少なくとも痛みはあったのである。
「なんだ。あんなので倒れ込むとは情けない。受け身くらい取れ」
「そんな、理不尽な!?」
ユキトキはそう言ってゆっくりと立ち上がる。エレナは呆れたように笑う。笑って満足したのか、小走りでリウィアらの横に行く。それを横目に服に着いた埃を両手で払い落とすユキトキ。白いTシャツを着ていたからか汚れが目立つ。払っても完全には落ちない。ため息が出る。
「勇者殿、こっちだ!ん?転んだのかね?」
「ええ、足を滑らせまして」
「ヨハネス、適当な服を持ってきてくれるか?」
ユリウス13世はヨハネスにユキトキの服を持ってきてもらうように頼むと、ユキトキを手招きする。ヨハネスは一礼して去って行く。ユキトキは小走りでユリウス13世の元に向かった。
「服はあとだ。まずは勇者殿、君には武器がいるだろう?」
「武器?銃とかですか?」
「もっと良い物だ」
銃より良い武器ってあるのか、とユキトキは考えたが特に浮かばなかった。一瞬、核かなと思った。それはさすがに一介の高校生に託すには過ぎたる代物である。あり得ないと決め付けた。そもそもこの世界に銃はあるのかと思ったが、銃より良い物が何かは想像する事が出来なかった。
「ここだ。足元に気をつけなさい」
「あ、はい」
石の階段があった。ここは塔の1階。目の前にあるのは地下に向かう階段である。途中で左に曲がっている。ユリウス13世が壁に手を当てながらゆっくりと降り始める。それを見て、ユキトキも壁に手を当てながら降り始めた。
「あの聖騎士の人たちはいいんですか?」
「ここの地下には教皇と枢機卿しか入れない。聖暦始まって以来の教えだ。あと、入れるのは召喚された勇者だけだから、あの子らには待っていてもらうしかない」
なるほど、と納得するとともにどんな部屋かという好奇心がユキトキの中で勝った。階段をこつんこつんと子気味良い音を立てて歩いていく。螺旋階段を30段ほど降りた頃である。長方形の穴があった。本来はここに扉が置かれるのではないかと思わせる穴だ。奥は真っ暗で何があるのか見えない。目を凝らしても何一つ見えない。ここの立ち入りが制限されていると言うのに戸もなにもない。これでは簡単に入れるのではないかと思った。ユキトキが怪訝そうにしているのを悟ったのかユリウス13世は言った。
「結界があるんだよ。入ってはならない者をはじき返す魔法と部屋に何があるか見えなくする魔法が仕掛けられているんだ。何も見えんだろう?」
「魔法・・・」
ユキトキは納得する。召喚だのなんだのと言っているのだからあるのだろうとは思っていたが、やっぱりあるのだと。ユキトキが少しわくわくとした高揚感を覚えたのは召喚されてよりこの時が初めてであった。
「そこらの小石でも投げてみなさい。よくわかる」
ユキトキは無言でこくりと頷いた。しゃがみ込んで寄って見ると小石がちらほらある。石段の破片が散らばっていたのだ。
「えい」
小石を1つ。小指の爪より小さい石粒をユキトキは下からそっと投げた。小石はゆっくりと長方形の穴に吸い込まれていくかに見えた。小石が穴に入ったと思った時、バチッと静電気が起きたような音がして、カメラのフラッシュのような光が見えた。ユキトキは眩しさに目を隠すように自然と腕を顔の前に持っていく。光が薄れて消え、ゆっくりと目を開けると小石は弾かれてユキトキの足元に転がってきていた。本当に弾かれたのか、と小石に意識を向ける。ころころとユキトキの左足に転がって来た小石が触れた瞬間、サアーッと砂になってしまった。はっきりとそれが見えた。不安が一気に込み上げてくる。自分も灰になるんじゃないかと冷や汗が止まらない。
「え?」
「わかったね?さあ、行くよ」
本当に大丈夫なのだろうか。先程の高揚感は一気に失せてしまい、青ざめた顔になったユキトキ。ユキトキの方を一切振り向かずにユリウス13世は再び歩き始める。
「君は勇者だ。ただの人ではない。この魔法は効かないよ」
「そういう、もの、ですか?」
「そうだ。早く来なさい」
ユキトキはギュッと目を閉じて、ユリウス13世の後に続く。先程のバチッという音はしなかった。そっと目を開き、自分が無事だとわかるとユキトキはものすごく安心して息を吐く。大きめの部屋のようだ。入ってもかなり暗い。真っ暗な中を迷わずユリウス13世は進んで行く。すると、途端に薄暗い部屋が少し明るくなった。仄かな灯りが見える。7本の蝋燭に火が灯ったのである。
「あれ、ここって」
非常に見覚えがあった。見えやすくなった部屋は全てが石造り。窓はなく、殺風景な部屋である。どことなく不気味で、異様な雰囲気があった。
「ここは勇者を召喚するための部屋。聖暦の前の時代、王政アトラースの頃には既にあったそうだ」
「それってどれくらい前です?」
「3000年くらい前だね」
「そんなに!?」
「嘘は言わないよ。
ユリウス13世は「天文台」という単語を発してから少し不機嫌になった。一瞬のことで語調が少々つよくなった程度であったから、ユキトキには目の前の老爺が怒っているのか定かではなかった。
「これだ!」
ユリウス13世が怒っているのかわからなかったのは、彼の背丈ほどの細長い物体を手にしてから機嫌が良くなったためでもある。よく見ると、それは白い布で覆われている。真っ白で、ユキトキのTシャツより白い。純白と言える見事な白さだ。武器というからには何が出て来るのだろう。夜目がきくようになってきたユキトキはゴクリと唾を飲みこんだ。
バサッ、と音をたてて布が取り払われ、銃より良いという武器が露わになる。蝋燭の火に照らされてそれは鈍く光を反射する。中世の騎士が持っていそうな剣だ。鏡のように部屋の壁と蝋燭の火、そしてユキトキをぼんやりと映し出す。目の前にある銀色の剣。この剣に驚くのは剣身だけでなく、柄まで銀色の剣であったという点だ。
「これは王政アトラースより前の時代にあった
この剣が3000年以上前からあるとは眠気も吹き飛ぶ思いである。おっかなびっくりと聖剣の柄を利き手で握る。ユキトキの利き手は右である。聖剣の柄をユキトキが持つと、ユリウス13世はパッと手を離す。聖剣の重みが右手にドッと加えられた。途端、光が聖剣の全体から乱反射する。ユリウス13世は待っていたとばかりに何処より取り出したのか丸渕のサングラスをつけている。わかっていたなら俺にもくれよ、と嘆きたい気持ちでいっぱいのユキトキの瞳に光線が直撃した。眩しい。眩しい。眩しすぎる。叫ばずにいられようか。ユキトキは反射的に息を大きく吸い込んだ。
「ああああああああああ!!目があああああああああああ!!」
ユリウス13世は耳栓までは用意していなかった。咄嗟に両手の親指で両耳をふさぐ。それでもユキトキの声は聞こえてくる。今年で80歳になり、若い頃より耳が遠くなった。それでも日常生活に問題は生じない。ユキトキの絶叫はそんな老齢のユリウス13世の鼓膜に容赦なく襲い掛かった。もう迷っている暇はない。ユリウス13世は耳をふさぐ手を下ろし、固く拳を握った。
「うるさい」
「ぐふっ!?」
指輪に装飾されたユリウス13世の拳が綺麗にユキトキの右脇腹に当たった。手ごたえを感じた。眼下にはむせて静かになったユキトキがいる。それを見てようやく騒音が止まったとユリウス13世は安堵した。
「1日、2回も、殴らないで、くださいよ。うえっ!」
「止めるなら1発入れた方が早い」
「ぼうりょくはんたい・・・」
聖剣を持ったままユキトキはしゃがみ込んでいる。項垂れて、まるで二日酔いに頭を痛める大学1回生の如き様相である。
「落ち着いたようでなにより。ほれ、聖剣を見て見ろ」
ユリウス13世はひと仕事して疲れたといった顔をしている。ユキトキは左手で右脇腹を抑えながら、右手に掴む聖剣を見た。そこには柄が赤くなった聖剣があった。
「あ、色がついてる!」
「柄だけだと?」
2人の反応が別れた。聖剣の反応に関心していたユキトキはユリウス13世の反応を見て困惑する。剣も色とかついたのだろうか。それとももっと違う剣になったのだろうか。またも不安がユキトキを襲う。
「失敗、ですか?」
「わからん」
ユキトキは絶句した。事情に詳しい筈の眼前に仁王立ちする老爺が知らないってどうなんだ。もうわけがわからんと思ったら、ユリウス13世は言葉を続けた。
「聖剣は形状や質量まで握りしめた当人によって変わる。ここにある聖剣を使った者の記録にこのような例はない」
「だから失敗かわからない?」
「そうなるね」
ユキトキは頭の中がモヤモヤとして、釈然としなかった。諦めたようにまた項垂れると、ユリウス13世はあっけらかんと笑った。
「まあ、剣が少しは変化したんだ。なんとかなるよ!たぶん!」
「そんな曖昧な・・・」
「渡したい物は渡したし、1階に戻るよ。あの子らも待っている。ああ、そうだ。蝋燭の火は消しとくれ」
ユキトキは口をへの字に曲げて薄暗い天井を見上げた。左目の端から一滴、雫が零れ落ちる。
「おうちかえりたい」
ユキトキの悲痛な声はユリウス13世に届く事はない。
(第4回へ続く)
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