第16回「平和な街並み」
ユキトキが大理石きらめく迎賓館に入ったのは朝も早い頃で、ルキウスから自分の使える部屋を与えられると聞いて気分が高まっていた。
馬車での寝床というのはケルサスやルキウスと同じくクッションの上である。柔らかく心地が良いとはいえ不可思議な寝床であったのは確かだ。何か事があれば壁から三姉妹が出てくる危険が常にあったのも落ち着かない。それが左右と後ろどこから出てくるか分からないのだから尚更に恐ろしいと言う他にない。下手したら蹴られるか踏まれてしまう。ユキトキはゴール市に来るまで密かに震えていたのだ。この危険に満ちた寝床で毎夜を費やすと思うと憂鬱である。されど、この問題から間もなく解放される。ユキトキの胸は静かに高鳴っていた。
「気分が悪いのですか?」
迎賓館の扉の近くで馬車を止めた時、心配そうに向けられたルキウスの視線にユキトキはうっすらと笑みを浮かべながら応える。
「馬車より良い宿に期待しているんです。1人の部屋があるんでしょう?それが楽しみでならない」
意気揚々と声を高らかにするユキトキを見てルキウスは納得したように息を吐いた。それは憐憫の情を含んだ視線と共にだった。
「勇者殿、おそらく…」
悲観的な未来を告げるルキウスの言葉はガコンという音を合図に遮られる。馬車の戸が開き、金髪の聖騎士が飛び降りて御者台の横まで来ていた。
「恐らくそれは無理だ。勇者殿の近辺には必ず護衛を入れるからな。我ら聖騎士もやるとはいえども、私達はこれから教会に用がある。迎賓館にいる間の夜はケルサスとルキウスで相部屋にしてもらう事になる筈だ。なに。護衛としては十分だろう」
ルキウスが申し訳なさそうに答えるのを遮って声がした。ユキトキもルキウスも声の方を見下ろすとそこには肩に届く程度の稲穂を思わせる黄金色の髪が見えた。三姉妹の次女エレナである。
「勇者殿、貴方が一人部屋を得る事は当分ない。私たちはこのまま夕刻には戻る。ルキウスは護衛として残すから」
エレナは言うだけ言うと馬車の中に戻り、ガコンと馬車の戸を開ける音が聞こえた。
馬車から降りていく三姉妹を横目にユキトキもゆっくりと御者台から飛び降りる。ユキトキが地面両足をつけて、顔を上げた時に三姉妹の姿は確認できなかった。
「あれ?もう行っちゃった」
「とりあえず、部屋に参りましょう。勝手知ったところでございますから私が案内をしましょう」
「そうなの?じゃあ、よろしくね」
ユキトキがルキウスの言葉に従い迎賓館に入る。壁一面を入口にした扉を抜けていくユキトキの背後にはニナとケルサスが続いていた。馬車は館の者が寄せてくれるという。
「でかい」
ユキトキは入って思わず感嘆のため息が溢れた。荘厳というに相応しい輝かしい高い天井に描かれた絵はユキトキの記憶にない生物が散りばめられている。ケルサスから絵にいる生物は実在する物と聞いてここが日本とは違う異界なのだと改めて思った。ユキトキは見慣れぬ絵を見ないではいられなかった。ひとたび嘆息すれば、数秒は視線が釘付けである。
ケルサスがユキトキの脇腹を小突いて正気に戻る。
「2人は上に行った」
「あ、置いてかれてる」
「そうだ。さあ、急げ」
うん、と言って頷くとユキトキは視線をケルサスの示す方に向け、小走りに広間の正面にある階段を小走りに駆け上って足音を響かせる。その背後をケルサスがゆっくりと登ってきていた。
「あ、いた」
ユキトキがルキウスを見つけて申し訳なさそうに頭をかくと、ルキウスが視線をユキトキから移す。ユキトキも追いついたケルサスと視線を追うと、ニナがベッドで跳ねているのが見えた。
「ここは?」
「勇者殿の寝室です。寝台は今、彼女が跳ねているところですが…」
「え?それは困る!布団がぐちゃぐちゃじゃないか。ニナ!やめてくれええ!!」
ユキトキが小走りにニナをベッドから引き剥がそうとすればするほど、ベッドにしがみついてニナは離れない。ベッドのシーツを余計に乱していた。
「賑やかだこと」
歩いてきたケルサスは他人事のようにユキトキとニナの攻防を眺めて言った。溢れ出た言葉は遠くの景色を眺めるようで、どこまでも他人事だった。それもユキトキのこの言葉までであったが。
「ニナはそこのベッドで我慢しなさい!ここは俺の!!」
ユキトキは勢いよくシーツを奪い取る。テーブルクロス引きを成功させたようにニナだけがベッドに乗っかっていた。
「あっちにあるのにしなさいな!」
ユキトキが示したのはひと回り小さな寝台。ニナは目を細めて視線を移し、再びユキトキの寝台を見るのを数度繰り返して諦めたようにのっそりと歩き出した。
「あれはケルサス殿のベッドになりますね」
「え?」
ケルサスは他人事で居たのが終わった。聞き返すケルサスの顔には困惑の二文字が見える。その様子を理解してルキウスは言う。
「私はお嬢様方と交代で寝ずの番をしますから、ベッドがあっても私は基本的には使用しません」
「な!?それを早く言え!!」
言って、ケルサスは小走りにニナが跳び移ったベッドに向かう。ケルサスも少しの旅路で寝床に多少の不安を抱いていたのであった。
暫くベッドの攻防を眺めていたルキウスは、ここまで、と呟き、ユキトキの側に寄る。
「勇者殿、ニナ殿はお嬢さ……ああ〜、リウィア様たちにお任せする事になると思いますので、あまり心配なさらず。ここでニナ殿が寝るのは御三方が不在の時になりましょう」
ユキトキはルキウスの顔を振り向き、失念していた事を思い知った。ユキトキが頷くのを見て、ルキウスはニナに振り回されるケルサスにも声をかける。
「ニナ殿はリウィア様たちが泊まる部屋になりましょうから、後で好きなベッドを選んでもらいましょう。それよりも、皆で朝の市に行きませんか?王都に着いてすぐに何かあるわけではありませんから」
ニナが動きを止め、ケルサスが少し疲れたように肩を落として背後の蒼い瞳の騎士を見つめた。ルキウスは無言で微笑み、ケルサスが安堵の溜息を深く落とした。
「それは良き提案ですね。歩いてすぐなので?」
「すぐですよ。馬車を使うまでもなく」
「なるほど。だそうだ!勇者殿!行きますか?」
ケルサスはルキウスから答えを得ると、油断していたユキトキに言葉を投げつける。
「え!?あ、うん。良いんじゃない。暇になるなら」
「よし。行こう!じゃあ、あとは案内を頼んだぜ。ルキウス殿」
ルキウスが3人のベッド争奪戦が一旦落ち着いたのを見て心底安堵したのは言うまでもない。ほんの少し微細なれど、口角を上げて微笑んだのが見えた。
「朝の市は西方屈指の賑わいですから、逸れないように向かいましょう」
ルキウスが最初に歩き始めた。後には3人が親鳥に続く雛のように後ろを歩いていく。
迎賓館の壁の一面を出入り口とした扉を越えると、馬車は既にない。それを見て仕事が早いと呟くルキウスが先頭を歩いて先導となる。ユキトキ、ケルサス、ニナは周囲に視線を向けながら迎賓館を出て門衛に一礼すると、見慣れぬ街を歩んでいく。
王都ゴールの四方の城門から中央部に向けて十字の大路がある。中央部には宮殿、教会やらが聳え、民衆の行き交う広場が設けられていた。この広場と城門から伸びる道には多くの露店が並ぶ。王都ゴールの名物朝の市である。日曜以外の午前中に露店を出店する事が許される。王都ゴールには諸外国から来た行商人などもここに露店を並べた。申請が受理されれば、国籍問わず出店を許されるために王都の賑わいは国際都市の様相も見せる華やかさで満ちていた。
ユキトキの黒い瞳は輝いて、煩雑とした人混みの中で露店に並ぶ品々を見た。それはアクセサリーなどの装飾品から肉や果物、日常雑貨から嗜好品に至るまで欲しい物が全てあるのではないかと思わせる程の品揃え。
「ここに無いものはどこにも無いんじゃないかと思えてくるよ」
ユキトキの声は感嘆に震えた。まさしく、ゴールの朝に無ければ地上にはないと謳われる栄華を誇っていた。
「西方にある首都の中でも煌びやかな方ですからね。勇者殿の故郷にもこれ程のものはないのでは?」
「賑やかなとこは沢山あったけど、これ程の賑わう市場は見た事ないよ。すごいね」
ルキウスが人混みの中、少し声を大きめに言う。ユキトキも気持ち大きめな声量で返事する。ここでは普段の声量はかき消されるのだ。露店からの声、客の声、通りを歩く人々の会話というのは騒音とさえ言えた。
「色んな物があって、見てて飽きないのは良いね。ケルサスの国よりもここは凄いのかな?」
「カトゥンもここまでの往来は見ませんよ」
「そうか。じゃあ、ここはかなりの繁栄ぶりじゃないか。こんなに物が溢れてるんだ。今夜のご飯が気になるね!ニナ!あれ?ニナ?」
ユキトキから見て左斜め後ろに居たケルサスとニナに声をかけて、ケルサスから返答はきた。ニナは返事がない。逸れたからと思ったら足元から声がする。それは赤色と金の装飾が特徴的な露店の店先からであった。
「なにこれ?」
ニナは呟くように言うのをユキトキとケルサスが気付き、ルキウスも遅れてやってくる。3人が人混みの中で人にぶつかりそうになりながらも何とかニナの声のする方へと向かった。
そこには木で出来た色が薄れてくすんだ色をした腕の半分にも満たない彫刻があった。円筒状から途端に丸みを帯びて、その上に球体である。ユキトキは見覚えのある物体であった。それはまさにコケシ。コケシである。
「なぜ、コケシがここに…」
ユキトキはユーラニカ大陸のあるこちらに来て日は浅い。それでも、さすがに故郷に縁ある物があるとは思っても見なかった。しかも、これほど早く遭遇するとも思ってもみなかった。
「コケシ?これはコケシと言うのね?」
「たぶん、いや、これはコケシだ。米沢にあるばあちゃんの家にあったんだ。これより少し大きかったけど、間違いない」
ユキトキはニナの疑問に答える。自らの中に生じた困惑を落ち着かせながら、目の前の現実を受け入れるしかない。漫画やらゲームの世界だけだと思っていたような魔法があり、ユキトキ自身をこちら側に呼び寄せるような事が出来てしまう世界である。日本に縁ある物が全くない道理がなかった。
「おや、これをご存知ですか?」
「え?」
ユキトキは店先のコケシを見下ろしていたものだからか、店の者の声に驚いて視線を上げる。ユキトキはそこで初めて声の主の顔を見た。純白のシルクハットに白いスーツ、白いネクタイ。髪は黒く、短く肩にかかる程度で、瞳は新緑の葉ように碧い。唇は薄い桜色。不思議と紳士のようだと思えた。ただユキトキの記憶にあるイメージとは黒いスーツだった筈。真逆のように明るい白は鮮明に焼き付いた。
「いきなりで失礼。僕はここで雑貨を売る行商のカズハ・ヨイノ。聖騎士殿は、この品をご存知なのかな?」
カズハと名乗った商人は恭しく一礼をする。大仰といえた。その声音、スーツから見える細い線から女だとわかる。ユキトキは甲高く元気な挨拶に身じろぐも、故郷に似た物があると答えると、カズハは瞼を微かに上げて興味深そうにユキトキを見つめる。目に輝きがあるというのをユキトキは初めて目の当たりにした気がした。眩しかった。
「瀛君国に由来するものだったと思うんだけど、君も瀛君国の人かな?詳しく教えてくれると嬉しい」
「えいなんとかは知らないですけど、自分は日本にいたので」
「ニホン?ニホンというと、確か旧い友人が知ってるような感じだったけど覚えてないや。ああ〜、あの方、辰帝なら故郷はニホンという話だけど、君も?」
カズハは好奇心が高まっている。情報は宝であり、時には生命線。知って損はないと彼女の師から教わっていたカズハに引く理由がなかった。
「ええ、ああ、顔が近い」
「ん?おや、初対面で不作法だったようだ。謝罪しよう。それで、君は辰帝と同じく日本の者という事で相違ないね?」
「そうです。日本です。間違いなく。辰帝は知らないですけど」
「そうか。なるほど」
カズハはユキトキの返事を聞くと聞こえない小さな声でブツブツ念仏でも唱えるようなか細い声で何やら考えを声にしてまとめている。1分と経たずにカズハは1つの結論に至ったようで、恐る恐る問いかけてきた。
「推測なんだけどね。君はもしかして、新たな勇者?いや、まて、彷徨人の可能性もあるか。んんっ!!でも、ここまで会話がスムーズなのはやはり勇者の力だろうか?ええ?どうなんだい!聖騎士殿!」
額に手を当てて悩んだり、ユキトキの方に手を向けて答えを待たせたり、悶々と悩むカズハはユキトキを見上げる。表情の豊かな人だなとユキトキは思った。
「勇者にされたユキトキですけど…」
「え?ほんとに勇者?」
「そうです……カズハさん?ええと、自分も3日くらい前に来たばかりでよくわからないので、そこのルキウスという騎士に事情を聞いて貰えれば……」
一瞬の問答でかなり精神的に疲労が蓄積した思いがした。ユキトキは右手側にいたルキウス指差して押し付けた。勇者という役を押しつけられたのだから、これぐらいは許せよと心中で祈った。同時にカズハは視線をルキウスに向けていた。
(第17回に続く。)
勇者の国 ユキトキ篇 伯鏡 @Sakusiya2
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