終ノ語リ

 以後、南波里美は行方知れずとなり、一連の事件は全て迷宮入りになっています。

 それ以後も、犬に襲われたとか、犬らしきものにつきまとわれた、などの被害の報告がありますが、そのほとんどが、かつて里美や史織とつるんで真予をいじめた側の人間であったことは……さて、どこまで気の迷いでどこから事件なのやら。

 当然のことながら、当局は犬憑きの仕業だなんて思っておりませんし。

 ……私の意見、とおっしゃる? そうですな。忌憚なく言わせていただければ、全ては真予の意趣返しだったとしか思えません。

 まさに、復讐ですよ。かつて南波家が仕掛けてきたのと同じく、法が防ぎようのない形で、真予は香ノ木夫妻の、そして愛犬の敵を討ったのです。

 彼女のその後ですか? 一時はそのまま仏門に入るようにも見えたのですがね。奨学金で進学して、今は大学の准教授になっております。民俗学だかの。

 ええ、結婚はしてないようです。相変わらず寡黙で無表情な人なのに、案外学生達には人気なのだとか。

 無明寺も代替わりしました。いえ、総真は別の寺に行きましたので、新たに住職を呼んだらしいですが。

 事件もかなり風化して、南波のお屋敷もとうとう取り壊されるようですねえ。町の様子もだいぶん様変わりして――。

 ……いえ、それはありません。

 真予はまだまだかつての仕打ちを許しておりませんよ。だって、南波家の三人の頭部は、未だに見つかってないでしょう?

 呪っているんですよ。輪廻の流れに戻らないよう、魂を足止めして、今なお地獄の責め苦を与え続けているんです。何十年と続く責め苦を、ね。

 ホラ話、ですか。いえ、真面目な話のつもりなんですがね。

 ある意味、彼女は天の摂理に挑戦している。仏教の教えから見れば、不遜なことこの上ありません。けれど、こうも言えるのです。真予は魂の浄化を代行しているのではないか、と。

 あの因業まみれの人々は、冥界に渡れば相応の報いを受けること間違いなしです。それが、現世にとどまりながらこの世ならぬ苦痛を受け続けているのですから、その分宿業が軽くなっているかも知れないのです。

 ですから、あなたも――。



 ああ、またかりかりという音が聞こえますか? さっきよりも近くで? 痛み? 割れるように頭痛がする、と?

 では、いよいよというわけですか。

 何を取り乱していらっしゃる。ええ、笑っています。私は笑っていますよ。だってね。まだお気づきにならないんですか?

 ほら、鏡です。

 ね? おかしくてしょうがないでしょう? ははは、今気がついたんですか。とっくに首だけになってたのに。むだです。布団の中には最初から何も入ってません。あなたの胴体は、門の脇に転がったままです。

 そう、あなたは頚を噛みちぎられたんですよ。

 なぜ? 今さら何をしらばっくれるんです。犬憑きの友人なんて嘘でしょう? 憑かれているのは、呪いを受けているのは……

 あなただ。

 忘れると思っていたんですか? 見逃すと思っていたんですか? 他の有象無象はともかく、真予があなたを許すはずがない。若さの激情が成したいっときの過ちとは言え、あのコロを、真予の愛犬を、その手で惨殺したあなたをね。

 そうですよ。あなたはここに導かれたんです。どれだけ長く故郷を離れ、呪いから遠ざかったつもりになっていても、必ずここに来ることが定められていたのですよ。

 犬憑きの呪いは誰一人逃しませんから。

 ええ、十日ぐらいかけてじっくり体を食いちぎらせるつもりだったのですがね。これが一気に頚を落としてしまったもので。この場合は仕方ありませんね。

 これ? ああ、あなたには赤い着物の女性に見えるんですね。もう仮相に同調しているわけだ。ええ、現世に生きる者の目には、これは犬にしか見えません。紹介します。今の名前はサトって言います。もう十九年間肉親の魂を三つも食み続け、これからもかじり続ける罪業に汚れた犬、そして――

 これからあなたの魂を、その頭蓋骨をかじることになる犬です。

 ね? おかしいでしょう? さっきから頭の半分もかじられているのに、あなたときたら。

 案じめされますな。すでにあなたは呪いに取り込まれた。実相はないのだから、今さらどんな体を失うものでもない。ですから、かじられた分はすぐに再生します。そして、再生すれば、再びこのサトがかじり取ります。

 あなたは消えません。宿業の相応分まで、ずっとその苦しみの中にいる。悩むことはありません。ただこの劫罰を受け入れればいい。むしろ気が楽になったでしょう? まあ、魂が悲鳴を上げるのは、これから――。

 もし? お客人、もし?


 ……眠りに入られたか。初日はこれぐらいというところか。

 ……これ、サト、もうよい。それよりも、体の方を始末してきなさい。……さっさと行きなさい。どうせ、喰わずにいられるはずがなかろう。せいぜい凄惨に食い散らかしてな。ちぎれた頭にも痛みが響くぐらいに。

 ……これは真予殿。いつから見ておいででしたか?

 はい、今のあなたにことさら汚れた現場を見せなくても、と思いましたもので……すみません。差し出がましいことを。では、今日お越しになったのは、これを予期して……?

 やはりそうでしたか。はは、いいんですよ。私も昔語りを楽しみましたし。

 ただ、よろしいですか? この男も、この男なりに十九年間苦しんだのです。どうか、その分情けをかけてやっても――。

 いや、失礼を。もう申しますまい。

 ……とんでもない、これは私が自分で決心したこと。

 あなたとこの寺にこもり、業を成したあの日から――もとい、仏というものの無意味さを知ったその瞬間から、私は悟ったのです。

 憎しみに生きるもまた、人間、とね。

 衆生を救わず、ただ澄ましているだけの仏など、私は認めません。

 私が身を切る思いで御仏の加護を祈り続けたのに、あなたのご両親とコロは、小悪人にその命まで奪われた。何もできなかった私は自分を恥じ、仏を恥じました。

 あの日々を涼しげに切り捨てて解脱を説く仏などよりも、私は人間でありたい。

 あなたと共に、憎しみを肯定する人間でありたい、そう決心したのです。

 ――はは、今日はどうも感傷的になっていけませんな。

 ええ。まだまだ先は長いですから。

 どこまでも、おつきあいしますよ。あなたの怒りの炎が、この人々の宿業を滅ぼし尽くすまで。憎しみが成就する、最後の刹那まで。

 ……サト、ほれ、まだはらわたが残っておる。

 苦しいか? その苦痛は久々であろうな。他人の体を噛めば、その痛みが全て己に返ってくるお前にとって、この食事はまさに総身を食まれる苦痛そのものであろう。

 十九年前の人喰いを思い出したか? あの時の苦悶を思い出したか?

 泣いておるか、サト。だが、まだまだ許すわけにはいかぬ。お前の業はこんなものではなかろう。

 どのみちお前のその犬の体は、肉と骨をかじらずにいられまい。

 飢えて飢えてしかたがなかろう? 我が身をついばむ痛みを伴ってでも、家族どものしゃれこうべはうまかろう?

 そうよ、お前はまだまだ、「魂喰らいの犬」を続けねばならぬ。

 だが、お前の償いの姿は、私と真予殿が最後まで見届けよう。

 だから、サトよ。忌まわしき宿業の犬よ。

 今は、ただ喰え。



<了>


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犬憑き 湾多珠巳 @wonder_tamami

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