第15話 決裂の日

 呉から使者が訪れた。

 正使は諸葛 きん。彼は蜀の丞相、諸葛孔明の実兄である。


「でも全然似てないね、お姉ちゃん」

 物陰からその一団を覗いていたえんは後ろのしょうに話しかけた。

「背が高いところだけは同じですけど。複雑な家庭の事情があるのでしょうか」

 晶も不思議そうに首をかしげた。


 相変わらず変な形の冠に、仙人のような白い道服。手にはいつもの白羽扇という、どう見てもいかがわしい雰囲気の孔明に対し、上質でありながら華美にならない、品の良い装束を一分の隙も無く着こなした、堂々たる風采の諸葛謹だった。

「あっちの方が本当の大臣っぽい」

「そうですね。取り替えられたらいいのですけど」


 えへん、という咳払いに二人が振り向くと、女官長が難しい顔で睨んでいる。

「何をなさっているのです。お行儀が悪いですよ!」

「……ごめんなさい」

「すみません。戻ります」

 二人は渋々、後宮へ向かった。



 諸葛謹は横に立つ孔明には見向きもせず、劉備に拝謁している。

「降伏の使者として来たか、諸葛謹」

 劉備が冷たい声で呼びかける。


 皇帝を称する劉備に対し、諸葛謹の主人である孫権はこの時、呉王ですらない。しかし諸葛謹は動揺する素振りを見せない。


「まずは、蜀帝にご即位遊ばされた事。つつしんでお慶び申し上げます」

 『謹厳実直』という文字を、そのまま人の形にしたような諸葛謹は、劉備に対し公候に対する礼をする。


「使者どの。蜀ではありません。陛下は正統な漢帝国を継がれたのでございます」

 感情を表に出さず、孔明が言う。

「左様でしたか」

 改めて一礼する。しかしそれも、皇帝に対するものではなく、軽いものだ。


「では、此度の荊州におけるお話をさせて頂きます」

「何と……!」

 劉備は思わず腰を浮かしかけた。

「関羽を殺したのは事故だったというのか」


はん城の戦いに於いて関羽将軍が不利に陥ったと知り、我が呉は急遽援軍を派遣致しました。しかしそれも間に合わず、関羽どのは討ち取られ、遺体は魏に運び去られたので御座います。これを不幸な事故と言わず、何と申しましょう」


「き、貴様。よくもそのような白々しい」

 劉備は血の気を失った顔で呻いた。

「この使者を……」

 使者を斬れと言いかけた劉備だったが、俯く孔明を見て思いとどまった。


「そなたらの言い分は聞いた。宿舎にて待つがよい」

 劉備は謁見の間から退出する。

 

 諸葛謹は孔明と目を合わす事無く、案内された宿舎へ下がって行った。


 


「さすが丞相どのの兄だ。豪胆なものよ」

 劉備は孔明だけを居室に呼んでいた。


「恐れ入ります。不愉快な言動、兄に代りお詫びいたします」

 頭を下げる孔明に、劉備は手を振った。

「返書を頼む。必ずや建業の城頭に『劉』の旗を立ててやるから、待っておれとな」


 何か言いかけて孔明はやめた。もはや開戦を留める事は出来ないと悟ったのだ。孫権が荊州全土を差し出して和平を乞うのであれば、まだ可能性はあったかもしれない。しかし呉の側では、そんな事を到底許しはしないだろう。


「無駄な戦をすることになるな……」

 孔明は暗い顔で呟いた。

 たとえ勝利したとしても、蜀は将士ともに大きな損害を被るだろう。まだ産まれたての子供でしかない蜀漢帝国は、その傷に耐えられるのだろうか。


 中華統一を目前にした曹操でさえ、ただ赤壁の敗戦によってその雄図が挫かれたように、この戦いは蜀の前途に大きな禍根を残す事になるのではないか。

 ましてや敗北を喫したとなれば猶更だ。


「だとすれば、必ず勝たねばならん」

 孔明はあえて前を向いた。




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