第11話 漢帝国の最期

 諸葛亮、字は孔明。

 荊州けいしゅうにおいて劉備に見い出され、以来ずっと劉備の幕僚として仕えている。仙人になりたいのだろうか、白の道衣に妙な形の冠をかぶり、常に白羽扇を手にしている。そんな一種異様な風体の男だが、意外に堅実な内政の手腕を発揮していた。


 その孔明は浮かぬ顔で執務室に籠っている。

「劉備さまにも、困ったものだ……」

 日に何度もため息をつく。関羽の死後、劉備は事あるごとに呉への復仇を公言しているのである。


「なぜです。呉の裏切りによって、関羽さまは亡くなったのです。復讐するのは当然ではありませんか」

 決裁文書を届けに来た廖化りょうかが孔明の愚痴に反応する。廖化は関羽のもとで事務官を務めていた。呉に対する怒りは他の誰にも負けていない。


「そうではない。こういう事は密かに計画し、一気呵成に行わねばならぬ。事前にぶちあげては、呉はしっかり準備をしてしまうではないか」

 孔明は両手を横に拡げ、やれやれ、と首を振った。

「あの方は戦略を分かっておられぬなあ」

「……想像以上に卑劣な事を考えておられたのですね、孔明さま」

 廖化はぼそっと呟いた。


「何を言う。だまし討ちも立派な戦略だぞ。そこで、何か呉に対して、今この蜀はそれどころではないのだ、と誤魔化せるような手段はないかな」

「だまし討ちって、自分で言ってるし……」

 もちろん廖化にもそんな案は思いつかなかった。


「では仕方がない。廖化、そなたは名医の華陀かだどのと知り合いでしたな」

 いよいよ危ない名前が出て来た。廖化は逃げ腰になる。

「変態幼女医師の華陀さまなら存じておりますが。一体なにを」


 関羽に仕える前、廖化は華陀の従者をしていた事がある。なので彼女の医術に対する変態性は熟知しているのだ。

「うむ。華陀どのに頼んで、劉備さまの頭の中を改造してもらおうかと思うのだが、どんなものだろう」

「ダメに決まっています!」


 ☆


 ところが、本当にそれどころではない事態が起きた。

「曹操が、死んだ?」

 劉備は絶句した。

 関羽の葬儀を行って間もなく、酷い頭痛に襲われ倒れたのだ。世間では関羽の祟りだというが、おそらくは関羽の死に落胆し、病が篤くなったのが原因だろう。


「華陀どのの治療を拒んだからだとも言われております」

 孔明が報告する。治療と称し頭蓋を切り開かれそうになった話は伏せておく。

「なんと。せっかく華陀どのが傍に居たというのに惜しいことだ」

 がっくりと肩を落とし、劉備は北方の空を見上げた。宿敵として戦い続けて来た二人だが、どこか通じ合うものが有ったのも確かだった。


「ですので、劉備さまが華陀どのの治療を受ける機会があれば、素直に受けられることです。それが、ひいては蜀のためになるのですから」

「ああ、そうだな。そうしよう」

 力なく頷いた劉備。孔明は拱手した袖で表情を隠した。

 だが華陀は投獄され、すでに処刑されたという噂が届き意気消沈する孔明だった。



 そんな孔明にまた新たな報告が入る。

「これは?!」

 孔明は慌てて劉備のもとへ走った。


 その報を受けた劉備は顔色を失い、その場に立ち尽くした。


「漢帝国が、滅んだというのか……」


 曹丕は献帝を廃し、自らが皇帝となった。

 国号は『魏』である。


 ☆


「今こそ北伐を行うべきです」

 孔明と黄権こうけんは左右から劉備に詰め寄った。曹操を失い動揺しているだろう魏に対し、蜀は北方の最前線に、張飛、馬超、魏延という錚々たる勇将を並べている。

「この機を逃してはなりません」

 旧都 長安ちょうあんを主邑とした関中かんちゅう地方を西から征し、函谷関かんこくかんの要害に拠りつつ東の魏と対峙するのである。

 だが劉備の反応は薄かった。


「それは、荊州に関羽が居てこその戦略ではないか。呉に頭を下げて後方を攪乱してもらうのか。そんな事は断じてできぬ」

 それに、と劉備は口のなかで呟く。

「あるじを失ったばかりの国を攻めるのは、わしの性に合わん」



「あの方は『宋襄そうじょうじん』という言葉を御存じないようだ」

 広間を退出して黄権は孔明に言った。

 宋襄の仁とは、宋の襄公が行軍中の敵を攻撃することをよしとせず、布陣が終わるのを待って正々堂々と会戦に及び、その結果大敗した故事による。


「われらには、相手に情けを掛ける余裕など無いというのに」

 だが孔明は微かに笑みを浮かべ、首を横に振った。

「そういう方だからこそ、われらは劉備さまに仕えているのではありませんか」

「……もっともです」

 黄権も苦笑するしかなかった。


「ところで黄権どの。新たな国を建てたならば、陛下はどうなったのでしょう」

「陛下?」

 さきの皇帝、後に云う漢の献帝である。今回の急報にはそこまでの内容は含まれていなかった。

「おそらく、追って詳細な情報が入るのではありませんか」

 

 ふむふむ、と孔明はひとり頷いた。

「報せが無いのは悪い知らせと申します」

「は?」

 黄権は孔明の顔を覗き込んだ。にやり、と孔明は笑ったように見えた。


「陛下は逆賊、曹丕によって弑逆されたのです。そうに違いありません」

「ちょっとお待ちください。そんな事、使者は一言も……」


「いいえ。これは決定事項です」

 くくくっ、と肩を震わせ歩み去る孔明の背中を、黄権は茫然と見送った。









 


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