あわない

 吐き気。発汗。手の震え。不協和音。視界には灰色の壁が広がる。自分がどこに居るのか、自分がいつの時間に居るのか、わからなくなっていた。私は何回も深呼吸繰り返し、自分が今どこに居るのか把握する。

 そっか、ここは女子少年院へ行く前に取り調べを受ける場所。私はモモを殺したから、ここに居るんだ。モモを絞め殺したから、私はここに居る。

 寝返りを打ちながら、私は呼吸を落ち着かせる。深呼吸を繰り返し、モモを受け止める。本当はいけないことなんだろうが、モモのことを一瞬たりとも忘れたくない。私の頭の中にモモの音が溢れる。私は身体を引きずりように寝具から離れ、机へ向かう。楽譜に落とし込まなきゃ。モモが居たことを、モモが見ていた景色を、残さないと。

「モモ……モモ……」

 彼女のことを呼び続けながら、私は鉛筆を握る。


 モモが描いた景色を私は色をつけなくちゃ。


 ◇ ◇ ◇


「痛……ぁ」

「おいおいおい……どうしたんだよ」

 登校後、ホームルームを眠って過ごそうとした……が、身体を丸めようとすると、昨日母親に踏みつけられた箇所が痛み、眠ることができなかった。

「昨日親とちょっとね……」

 私は身体をできるだけ動かさないようにしながら、みっちゃんの方へ顔を向ける。そこには私のこと心配そうな顔をしている金髪が。

「あんまり痛むようなら担任に言って、保健室行った方が良いんじゃ?」

「本当にやばそうになったら言う……」

「運ぶくらいならやってやっから」

「ありがと」

 私は身体をもぞもぞと動かしながら、息を吐く。昨日は散々やられたが、音苑ねおんが母親を止めくれなかったら、最悪肋骨を骨折していたかもしれない。

 そう言えば……。私は顔を上げモモを探すが、姿が見えない。傘を返したかったのに……。そんなことを考えながら、机に突っ伏す。すると程なくして、チャイムが教室に鳴り響く。すぐに担任が教室の中へ入ってきて、私たちに声を掛ける。日直が挨拶をしていたのだが、挨拶をする余裕すらも今の私にはなかった。

「飯田ー?」

「ごめん、ちょっと体調悪い」

「……なんで欠席……あー、いやすまん。あんまりにもきつかったら、ちゃんと保健室行くんだぞー」

「みっちゃんに頼みまーす」

「おう。月見里やまなし頼んだぞ」

「へーい」

 声を出すだけでも結構痛い。私は浅く呼吸しながら、痛みを落ち着ける。痛みが激しすぎると、音すらも聞こえなくなってしまう。雨は降っていないが、昨日と同じような曇天が広がっている窓を私は見つめる。昨日のこと、口付けのことを思い出し、ほんの少しだけ心臓が跳ねる。

 そう言えば、昨日は音苑のことと母親に暴力を振るわれたショックで意識できなかったのだが、モモからキスされたんだっけ。

 いつもモモからキスされてるな……。

 何となくもやもやとしていると。

「今日は……蔵本から連絡が入ったんだが、病欠だそうだ」

 私はそんな担任の言葉に顔をあげる。痛みが全身に走ったが、そんなこと気にしていられなかった。そんな私を担任はちらりと見る。

「飯田、頼みたいことがあるから、あとでちょっと来てくれ」

「……はーい」

 私は返事をし、再び机の上に突っ伏す。ホームルームが終わるまで寝ることにする……が、やっぱり身体が痛くて眠ることができなかった。



 ホームルームが終わった後、私は身体を引きずりながら、担任の元へ行く。

「大丈夫か?」

「ちょっと全身がぼろっぼろなだけです……」

「何してんだよお前は……」

 担任は呆れたような声を出しながら、一枚のプリントを取り出す。

「蔵本の家って知ってるか?」

「知らない」

「あー、そっか」

 担任は髪の毛を乱暴に掻きむしりながら、ため息を漏らす。

「本当はこういう情報を渡しちゃいけないんだが……」

 担任は周りの目線を確認しながら、私の耳に唇を近づける。そして、小さな紙きれを私の手に忍ばせる。

「これって」

「蔵本の住所だ。私から聞いたことは内緒にしてくれ、な」

 担任はそう言うと、ウインクをし、私に向かってプリントを差し出す。

「じゃあ、看病ついでに頼むぞ」

「……わかりました。ありがとうございます」

 私は担任にお礼を言うと、プリントを丁寧に畳み、自席に戻り学生鞄へしまう。そして担任から握り締められた紙きれを見ながら、スマートフォンで場所を確認する。

 そこは……。

「……あそこなんだ」

 液晶に移された場所は、モモが良く着替え行っていた、そして昨晩私が行きついたあの公園の近くだった。

「あいたたた……」

 スマートフォンを引き続き操作しようとしたが、全身が軋み、思うように動かない。私はスマートフォンをしまい。

「みっちゃーん、ヘループ」

 とみっちゃんへ助けを求める。みっちゃんは「へいへい」と言い、私に肩を貸す。

「保健室へ直行した方が良かったんじゃね?」

「机で眠れば痛みも治まると思ったんだけどなぁ」

 私は苦笑いしながら、みっちゃんの肩を借り、よろよろと歩く。歩く衝撃でも普通に痛かったが、身体を引きずり、保健室へたどり着く。そこには見慣れた保健室の先生が私の顔を見て、一瞬げんなりした表情を浮かべたが、私の様子を見て、表情を変える。

「飯田、どうかしたの?」

 保健室の先生は私のそばへ近寄り、私の顔を覗き込む。

「ちょっと家族と喧嘩して、ね」

 私はみっちゃんから離れ、ベッドに座る。しっかりと洗濯されているシーツの香り、私はその香りに少し安堵しながら、制服を少しだけたくし上げる。

「うっわ。結構な痣になってるじゃん」

 昨晩母親に蹴られた部分、お腹から鎖骨にかけてのラインが青紫色になっている。普通に過ごしていれば見えない場所だが、派手にやってくれたものだ。

「……飯田」

 一瞬、声が低くてわからなかったが、みっちゃんが私のことを呼ぶ。振り返ると、かつてないほど真剣な顔をしているみっちゃんの姿が。

「大丈夫か? ウチが殴り返してやろうか?」

「え? うん!? あ、ストップストップ! この喧嘩自体は昨日で終わったから」

 今にも暴れ出しそうなみっちゃんを慌てて抑える。みっちゃんは小さな声で。

「どいつもこいつも大人ってやつは……」

 と漏らす。すると保健室の先生が。

「この範囲はさすがに冷やせない、か。しばらく引かないと思うよそれ」

「うへぇ」

 私は呻きながら、上履きを脱ぎ、ベッドの上へ転がる。

「担任には?」

「ちゃんと言った」

「そう、ならいっか……」

 保健室の先生はクリップボードとボールペンを持ち、何かを書きなぐってる。

「昼休みくらいならここに居て良いから。それ以上寝るようだったら、さすがに帰れ」

「はーい」

 私はそう言い、みっちゃんに向かって手を振る。

「ごめん、ありがとね、みっちゃん」

 私がみっちゃんにそう言う。すると、みっちゃんが小さく言葉を紡ぐ。

「……どいつもこいつも、無茶ばかりしやがって」

 どいつもこいつも……? 私は一瞬疑問を抱いたが、すぐに身体を痛みを思い出す。

「じゃあ私、寝るね」

「おう」

 みっちゃんの言葉を最後に私の意識は深く沈んでいった。



「うん、ここだ」

 私はスマートフォンの画面を閉じ、目の前のアパートを見る。そこは学校から徒歩五分もかからない場所。学校から近いながらもなかなか通る機会のない道にそのアパートはあった。

 壁が一部ぼろぼろで、階段や、手すりなど金属部分の錆が目立っている。玄関ドアの隣に掲げられている部屋番号を見て、モモの家を探す。一階、左から二番目。ぼろぼろの表札には『蔵本』の字が。私は深呼吸を繰り返し、心を落ち着かせる。朝、あれだけ痛かった身体も、緊張のためか何故か落ち着いている。

 震える手でインターホンを押す。インターホンの音が鳴り響き、しばらくの静寂。部屋の中から誰かが動く音が聞こえてくる。モモの足音とは……ちょっと違う気がする。

「はい?」

 ドアチェーンを掛けたまま、ドアが開く。そこから顔を覗いていたのは、文化祭の時に見た顔。モモの母親だった。

「飯田と申します。モ……すもも『くん』にプリントを渡されるように言われてて」

 私がそう言うと、モモの母親はニタリと笑い、ドアを閉じ、ドアチェーンを外す音が聞こえてくる。そしてすぐにまたドアが開く。

「李の彼女さんね、わざわざごめんなさいねぇ」

 モモの母親はそう言いながら、私を家の中へ招き入れる。

「男の子のくせに身体が弱くって……」

 早々にぶん殴りたくなったが、何とか我慢する。部屋の中はお世辞にも広いとは言えない。それに……。

 サッカーボール、バット、五月人形……。と雑多に物が置かれており、どれも埃が積もっている。異様なほど、過剰なまでに女の子の形跡がない。いや、正確には……。無理矢理男の子を想起させるグッズしか置かれていないのだ。

 部屋の中へ入っていくと、大量のコンビニ弁当と、大量の衣類。片づけていないことは見てわかる上に、生活導線だけが道となっている。

「李は左の部屋に居るわ」

 彼女はそう言うと、椅子を引き、テレビを見始める。番組は何の変哲もない、ただのニュースだった。

 私は軽くお辞儀すると、モモの部屋へ入っていく。モモの部屋はしっかり片づけられており、玄関付近に比べれば、全然マシだ。部屋に入ってまず思ったことは、グラビアアイドルのポスターが所狭しと壁に並んでいる。これ絶対モモの趣味じゃないやつだ……私はそう思いながら、壁にくっついて設置されている寝具へ近づく。

 ……何だか奇妙な、嗅ぎ慣れない臭いがする。さらに近づき覗き込んでみると、そこには掛け布団と毛布にくるまっている塊があった。私は小さく声を掛ける。

「モモ」

 すると大袈裟に布団が動く。もぞもぞと動いた後、顔がにゅっと掛け布団の隙間から出てくる。そこには疲れ切っているモモの顔が。

「……ボク、熱で幻覚見てる? ここに飯田さんがいるなんて」

「幻覚じゃないよ。先生に頼まれて、プリントを届けに来た」

 私はそう言い、プリントをモモへ渡す。モモはそれを受け取り、プリントの中身を確認する。

「私のせいだよね」

「何が?」

「風邪を引いたの」

「かも、ね」

 モモはそう言った直後、ごほごほと咳をする。どうやらまだまだ万全ではなさそうだ。

「あー……飯田さん、ごめん。近くにタオルがあるから、ちょっと取ってくれない、かな」

 弱々しく彼女は言う。私は頷き、近くに置いてあった赤黒いタオルを手に取り、モモへ渡す。

 ……赤黒い?

「まだ、塞がらないか」

 モモはそう言いながら、ベッドの中でもぞもぞと身体を動かしている。

「塞がらない……塞がらないよぉ……」

 徐々にモモの声が涙声になる。私はちらりと部屋の入口を確認したあと、モモの布団をそっと開く。

 モモは一切抵抗しなかった。ほとんど諦めてしまっているような、そんな様子にも見えた。

 布団をめくった先、ソレを見た私は、言葉を失った。


 あるはずのものが、片方、削ぎ落されていた。そして、布団の中は赤黒く染まっており、モモの身体に刻まれている傷痕にその赤が染み込んでいた。


「……なつ」

 叫び声を上げそうになったところをモモに口を塞がれる。私は慌てて、叫び声をしまい、泣きそうなモモに向かって頷く。

 血の匂いとモモの香りが鼻の中に広がる。寝具へ近づいた時に感じた奇妙な匂いの正体はこれか。こんな、こんな残酷なことって……。

 実の子供、娘にここまでするのか? 私は辺りを確認する、寝具の近くにある学習机の上、そこにあった赤黒く染まった大きな裁ちばさみが目に入り、眩暈を覚える。

 モモはタオルを布団の中へしまいこみ、弱弱しい声でつぶやく。

「このままだと、きっとボクは、お母さんに殺される」

 比喩表現ではない。本当にモモは……。

「肉体的には死んでなかったとして、心はもう、壊れきってしまうだろう」

 モモはこんな拷問をずっと、ずっと一人で耐えきっていたのだろう。

「そうなる前に、せめて、飯田さんの手で、ボクを殺して」

 心はずっと昔に破綻していて、身体も徐々に破壊されていっている。

「お願い」

 モモは私を見ながら弱々しく言葉を続ける。

「変わってしまった、ボクを殺して」


「貴女に恋してしまった、ボクを殺して」


 私は……私は……。

 景色が歪み、吐き気を催す。

 血を見たから? 違う。

 モモの言っていることが気持ち悪いから? 違う。

 込み上げてくる吐き気を抑え、私はモモの瞳を見る。今にも泣きだしてしまいそうなモモの瞳をしっかりと見る。


「モモ、私が、殺してあげる」


 震える声で告げる。数ヶ月前に言った時よりずっとモモが大好きだ。だけど、モモはもう耐えきれない。私はモモを救うことはできない。現状を変えることなんてできない。

 だから。

「……飯田さん」

 モモは鼻をすすり、笑顔を浮かべる。今まで見たことがないくらい穏やかな笑顔。数ヶ月の間、モモと過ごしてきて初めて見た安堵に満ちた笑顔。

「ありがとう」

 そう言って、彼女は私に口づけをする。笑顔の彼女はとても魅力的で、とても可愛い。ずっと、ずっと一緒に居たいくらい。

 だけど。


 私は。


 彼女を。


 殺すことにした。

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