できそこない
鉛筆を触り、楽譜を撫で、音を五線譜に置いていると、こんこんと扉がノックされる。そして、ゆっくりと扉が開かれる。私は鉛筆を置き、そっと机から離れる。扉の向こう側に立っていたのは、以前もここへ来た清潔なスーツ、緩めのポニーテールの女性、確か女子少年院の……。
「ヤマモトさん?」
私がそう声を掛けると、山本さんは小さくうなずく。山本さんの後ろにはパイプ椅子を持った女看守が控えている。私は両手首を合わせ。
「移動します?」
と問う。すると看守は頭を横に振り。
「ここでやる。席について」
私は看守の言葉にうなずくと、椅子をひっぱり扉とは反対側の壁に椅子をくっつけ、椅子に座る。私の一連の動きを見ていた看守はパイプ椅子を広げ、山本さんの隣に設置する。山本さんは小さく「ありがとうございます」と言い、椅子に座る。彼女は私の顔をじっと見つめ、何かを探ろうとしている。
「……
「はい」
「もう一度、教えて。貴女は何故、
「ウザかったから」
私は即答する。何度も問われた……大人たちから耳に
「嘘」
と小さく言葉を紡ぐ。私は足を組み、そっぽを向く。このまま彼女の顔を見ていると、何だか脳内を見透かされてしまいそうだと、そんな不安がよぎったからだ。
「ああ、ごめんなさいね。ジッと人を見つめるクセが出ちゃった」
山本さんは笑いながらそう言うと、体勢を少し変え、私に再び問いかける。
「貴女だったら……そうね、蔵本李をどんな音楽にするのかな」
私は再び足を組みなおす。
危なかった、思わず反応してしまいそうになった。冷静になって考えてみると、机の上に置いてある楽譜を見て、質問を投げかけたのだろう。私はゆっくりと目線を山本さんに戻し。
「できそこないの音楽になりますよ」
そう返した。
◇ ◇ ◇
「めっちゃ寝るじゃん」
蔵本のお弁当のお肉をたくさん食べ、昼休みと五限目が終わったあと、みっちゃんに起こされた私は不機嫌な表情を作り顔を上げる。人がせっかく眠っていたのに。
「お腹いっぱいで眠気に勝てなかっただけ」
実際、普段食べないような量を食べたのもあって、とてつもなく眠たかった。五限目が寝ても大して怒られない教師で助かった。
「蔵本とのランチ、そんなによかったんだ」
にやにやしながらみっちゃんはそう言う。私は頬杖をつきながら。
「普通だよ普通。誰かとつるんで食べるなんて普通でしょ」
と返す。
「あー、それもそっか」
みっちゃんはそう言うと、スマートフォンをいじり始める。SNSでも見ているのだろう。私はもう一眠りするため、腕を組み、机に突っ伏す。教室の雑音、外の車の音と風の音。様々な音を色分けしているうちに私は、再び深い眠りに落ちる。
五線譜と記号が脳内を駆け巡り、メトロノームの規則正しい音が脳内に鳴り響く。
『何で言うとおりにしないの!!』
『
『違う、違う違う違う違う違う!!』
『何て出来が悪い子なのかしら!? 信じられない!!』
『もっと、正しく、正確に!!』
『音亜!! あなたは……!!』
「飯田音亜お嬢様」
「んあっ」
頭に軽い衝撃、それと共に担任の声が私の耳に突き刺さる。顔を上げ、大きく欠伸をする。
「おふぁようございます」
「もう帰りのホームルームだよ。しゃきっとしろ、しゃきっと」
担任はそう言うと、教壇へと歩き始める。私はもう一度大きな欠伸をしながら、鞄の中を整理し始める。
「文化祭の出し物についてだが……、演劇だっけか? 演目とか……配役やら係やら決めたのか?」
どうやら担任は文化祭の話を進めていたらしい。私は頬杖をつきながら、教師を見続ける。するとクラスメートの一人が。
「演目は決まってます。ブラスバンドの青春モノで……」
そう興奮気味に台本を持ち出す。担任はそんなクラスメートの情熱的な説明を受けながら、うなじを掻いている。
「良いのか? 他のクラスは、何というか……もっとファンタジーな演目やってるぞ?」
「我がクラスはクオリティ重視なので!」
「……まぁ、衣装代浮かせる分、他のことに回せると考えれば……でもなぁ」
「絶対に大好評間違いなしなんですって!」
「わかった、わーかった! だからそんなに詰め寄るな暑苦しい!」
担任は手でクラスメートを払いながらそう言う。
「配役と当番は後日決めるから、自分が何をやりたいのか、ちゃんと共有してもらえよー。以上、連絡終わり解散解散」
担任がそう告げると、クラスメートは各々席を立ちあがり部活や自宅へと向かっていく。
私も時間を潰して帰ろう。
学生カバンを持ちながら、席を立とうとした時。
「飯田ー、ちょっと付き合ってくれない?」
クラスメートの一人に声を掛けられる。顔を覗き見ると、そいつは普段会話することがない女子……確か。
「遠藤? 私に話しかけるなんて珍しい」
「かもね」
前髪を上げ、ピンで止めている遠藤と言う女子は、私の言葉に小さく笑う。
「あと蔵本も」
遠藤は振り返り、蔵本にも声を掛ける。声を掛けられた蔵本は肩を揺らす……素振りを見せ、教室の入り口で固まる。
本当に演技上手だな……そんなことを考えながら、私は立ち上がり。
「場所移す?」
と遠藤に問う。私の問いに遠藤は首を横に振り。
「別に聞かれても困る内容じゃないし、ウチは別にここで話しても良いよ」
彼女はそう言い、教室の壁に背中を預ける。何を伝えたいのか全然掴めないが、何だか嫌な予感がする。本当に何となく、もっと簡単に言ってしまえば『勘』だ。
「今日さー? こいつとお昼食べてたみたいじゃん」
「私が誰と食べたって問題なくない?」
「あははー」
遠藤は曖昧に、へらへらと笑いながら、近くの机の上に座り足を組む。踵を踏みつぶされた上履きが、ぷらんぷらんと彼女の足に引っ掛かり揺れる。
「こいつとはさ、同じ中学だったんだよねぇ」
そう言い遠藤は蔵本の肩に手を回す。蔵本はわざとらしく身体を震わせている。それを見てか、遠藤は気味の悪い笑みを浮かべている。私は手首の包帯を少し調節し、髪の毛を整える。
何のつもりだ?
そんな言葉が頭の中に広がる。私は警戒を緩めず、少しだけ息を吐き。言葉を紡ぐ。
「同じ中学、へぇ?」
「そんでさ友達になってあげようとしたんだけどさ~。こいつ、ま~~~~~じできもいやつで」
遠藤の言葉に私はきゅっと手首の包帯を締め付ける。感情を表に出してしまいそうだったからだ。そんな私の様子に気が付かなかったのか、遠藤は言葉を続ける。
「いつもこんな感じでオドオドしているから、中学でも友達いないでやんの、ウケるでしょ」
「はあ」
心底どうでも良い。昔話なんて大人たちの話だけで十分だ。しかも特段お話が面白いわけでもない。遠藤は構わずよく回る口を回す。
「まあ、ウチもそれなりに努力してさ? 一緒に移動教室とかで声掛けしてたんよ」
そう言って、遠藤は口角を上げる。
「んでさ、体育の着替えの時に見ちゃったんよ。こいつは出来損ないなんだって。友達にしてあげようとしたけど、こいつのきったない身体を見てたら、そんな気も失せるって」
言われた蔵本はおどおど……している振りをしている。よくよく観察してみると心底どうでも良いと言った表情……目? をしている。実際何を言われようが知ったことではないのだろう。
私は椅子を引き、背もたれに寄りかかると。
「汚いだの何だのさっきからいじめの言い訳並べているけど、正直ダサいよ?」
思わず私はそんなことを言ってしまった。目の前の遠藤は、顔を強張らせる。実際本当に、くだらない。
「さっさとどっかに行ってくれない? さっきから後ろでイライラしてる金ピカいるからさ」
「誰が金ピカかこらっ」
金髪のクラスメート……みっちゃんが、遠藤と私の間に入り込むなり私に向かって軽くチョップしてくる。当たり前だが、痛くはない。
「ってかさ、ちょっと話聞こえたけど」
みっちゃんはケラケラと笑いながら、遠藤の首根っこを引っ掴む。
「友達にしてあげようと、した? 何様だあんた」
睨み付けながら、みっちゃんは遠藤を吊し上げる。遠藤は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。
「そんなつまんねーソントクカンジョーで友達選びなんてしてねーんだわ」
みっちゃんは顔を近づけ睨み付ける。遠藤は気まずくなったのか目を逸らし、一言。
「これだから不良は」
と零す。
それを聞いたみっちゃんは眉毛を吊り上げて。
「どっちつかずの中途半端な人間に言われたくないね。勇気もないくせによく吠える」
と詰め寄るように言う。
そろそろ止めないと。
私はみっちゃんの横っ腹に人差し指を突き立てる。みっちゃんはほんの一瞬身体を震わせ、肩をすくめ遠藤を解放する。
「金ピカが悪かったね。さっさと消えろ」
私はそう言い、みっちゃんの横っ腹をもう一回突く。
「何故もう一回突いた」
「……太った?」
「おう、喧嘩なら買うぞー?」
みっちゃんが私の頬をむにむにと触っている間に蔵本へ目線を送る。蔵本は小さく頷くと、そそくさとその場から去る。日頃の行いのせいか、小さな体のせいか、誰にも呼び止められることもなく、蔵本は教室から離れる。その姿を見届けた私は、自分の学生鞄を持ち上げ。
「ほんじゃ、さよなら」
遠藤とみっちゃん、二人に向けてそう言い、蔵本の後を追いかける。遠藤とすれ違う際に、ちらりと横顔を見てみたが、下唇を噛みしめ、心底悔しそうな表情を浮かべていた。
蔵本はどうやら私が追いかけて来ることがわかっていたらしい。途中までは他の生徒に紛れて移動していたが、さりげなく集団から外れ、屋上へと歩き出していた。
本当に誰も蔵本に気が付かない。私も慌てて屋上への階段を上ったが、背後で。
「うわ、あそこでたむろするつもりなのかな? 最悪」
なんて言葉が聞こえてくる。余計なお世話だ。わざわざ振り返って抗議の目線を飛ばす気力もなく、私は手首の包帯を巻きなおし、屋上へと向かっていった。
屋上の扉は相も変わらず施錠がされておらず、簡単に開く。一応誰かに後をつけられていないか確認してみたが、誰もいない。私はそのまま扉を開き、屋上へと足を踏み入れる。
蔵本は屋上の扉のすぐ近くにおり、学生鞄を抱え込み、しゃがんでいた。
さっきの遠藤のことは気にしなくて良い。私がそう声を掛けようとした時。
「遠藤さん、急にどうしたんだろう」
私が屋上に到着するなり、蔵本はそんなことを零す。
「今まで無視してきてたのに、急にボクにちょっかいをかけてくるなんて」
彼女はとても不思議そうな顔で言う。私は蔵本の隣に立ち、雲が多い空を見上げる。
「遠藤なりの善意、だよ」
「善意?」
「自分が気に食わない人間から人を遠ざけようとしただけだと思う」
私の言葉を聞き、蔵本は立ち上がりフェンスへ近づく。そして、向こう側をじっと見つめながら言葉を紡ぐ。
「ボクのことなんか放っておけば良いのに。一人で居たいのに」
蔵本はそう呟く。……ん、待って?
「……あれ、それ私も含まれてる?」
「かもね」
「えぇ……」
蔵本の言葉に私は
「でも、飯田さんは、ボクが何を言ってもついてくる……でしょう?」
そう言い、蔵本は私にぐっと近づく。やせ細った身体、くせっ毛の黒髪。間近で見ると、意外にも長い睫毛に、陶磁器の様に綺麗で白い肌。
こう見てみると、蔵本って……。
「ついてきてもいいけれど、ちゃんと、ボクのことを殺してね」
そう言いながら蔵本は私の両手を掴み、自身の首に巻き付ける。細くて骨ばっている首を触りながら私は……。
「努力する」
そう、返した。私の言葉に蔵本は少しだけ目を細め。
「時間切れになる前に、お願い」
落ち葉の音よりも小さな声でそう呟いた。
次の日。朝のホームルーム前。いつも通り遅刻ギリギリで教室へ滑り込んだ私の前に不思議な光景が広がっていた。
なんと私の席に蔵本が座っているのだ。机の上にはコンパスやら三角定規、それにカッターなど微妙に殺傷能力のある筆記用具が並んでいた。
「お、おはよぅ……」
声の震え方からして、演技している蔵本が私に挨拶をする。私は並んでいる筆記用具を片付けながら。
「おはよう、モモ」
と返した。すると、蔵本……いや、モモは一気に瞳から光をなくす。
「なにその呼び方」
他のクラスメートに聞こえないような小さな声でモモは抗議する。それを見ながら私は言葉を返す。
「愛称だけど? 李だから、モモ」
「……愛称に意味があるとは思えないけど」
「せめて愛情を持って殺したいからさ」
私がそう言うと、モモはため息をついて。
「そう」
と興味なさそうにそう返した。
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