わからない
灰色の小部屋。目の前には、女子少年院の山本さん。彼女は私の目を見つめたまま、言葉を発する。
「貴女の家庭の問題。
「……山本さん、私は」
「ええ、それも聞きました。貴女はもう飯田家の長女ではない、でしょう?」
彼女はそう言い、自身のこめかみに左人差し指を当てる。
「貴女の証言次第で、貴女の罪の重さが変わる。いくら未成年者だったとしても、一定の制裁はあるので」
「まるで弁護士さんみたいなことを言うんですね?」
私は彼女の目をしっかりと見据えながら、言葉を紡ぐ。すると山本さんは少しだけ笑いながら。
「そう? 私なりの気遣いだったんだけどなぁ」
と言う。茶化しているわけではなさそうだが……。山本さんは息を深く吐き、女看守に目配せをする。
「しばらく二人にできますか?」
そしてそんなことを言い始める。私は首を傾げ、彼女を見つめる。彼女の真意がわからない。一体何を考えているのだろう。
「……規則ですので」
看守は少々困った顔をしながら、言葉を紡ぐ。すると山本さんは小さく「だよね」と呟き。
「仕方ないですね……また今度にしますか」
そう言い椅子から立ち上がる。私は安堵の息を漏らしそうになったが、何とか呑み込む。彼女が何を考えているのかわからない以上、あまり感情を見せたくない。
山本さんはスーツを整えながら。
「今度は二人で話せるような場所を用意してもらいます。ほんの少しだけ聞きたいことがあるので」
と言う。その言葉に私は。
「はあ」
と曖昧に返す。すると山本さんは左人差し指を再びこめかみに当て、言葉を発する。
「貴女が彼女を救った……そう解釈したいですからね」
その言葉に一気に頭が怒りで沸騰しそうになった。雑音がシャットアウトされ、私の心が怒りで騒音を上げ始める。私は机の上に置いてあった鉛筆を握りしめ……。
「…………すぅ」
一気に息を吸い込み、自分の手の甲に鉛筆を突き刺す。鉛の部分が私の左手に食い込む。
「飯田!? お前、何をして……!!」
痛みとじわっと湧き上がる血。自身の血を見て、私の頭は徐々に冷静さを取り戻す。
わかったような態度を持つ大人なんて、山のように居たじゃないか。自分こそが理解者だって顔をした大人を何人見てきた? 私が自分に向けてそう言い聞かせていると、山本さんは小さな声で。
「やっぱり信じられない」
そう言い、部屋から去っていく。私は看守から鉛筆を取り上げられ、説教を受ける。
その説教の内容は、覚えていられなかった。
◇ ◇ ◇
『蔵本? あいつはうーん……普通? の子だよ』
『蔵本さんかぁ、私、蔵本さんのこと、あんまり詳しくは知らないんだよね』
『同じ中学だったけど……あ、成績は良いみたいだよ』
『そういえば体育に出席してるところ、見たことないかも』
初秋になってから気が付いたのだが、私はモモのことをよく知らなかった。私にとってのモモは居ても居なくてもわからない、クラスメートくらいの認識だった。そのため、色んな人間にモモのことを尋ねてみたのだが、結果的に、モモはとにかく空気だった。良い印象も、悪い印象もないと言った感じ。誰に聞いても好いていなければ、嫌われてもいない。むしろ、江藤との一件はあくまで例外のようだ。何故私が今になってまでモモのことを認識していなかったのか、何となくわかったような気がする。
彼女は学校の中では『普通』と言うものを徹底的に演じているような気がする。
しばらく私はクラスメートや、クラスメートから聞き出した同じ中学だった人間を捕まえてはモモのことを聞き出すことに専念した。
……結果的に成果はなかったけれど。
そんな私をモモは不思議に思っているようで。
「い、飯田、さんっ」
三時限前の休み時間、教室でモモにそう話し掛けられた。人前で見せるあのオドオドした態度のモモに私は。
「何?」
と腰を屈め、目線を合わせる。私とモモの身長差は、決して短いものではなく、彼女と目線を合わせるためには、屈んであげないといけない。
するとモモは低く小さい無機質な声で。
「何でボクのこと探っているの?」
と呟く。私もモモに倣って小さな声で返す。
「……モモのこと、知りたいから?」
「だからなんで知りたがっているのか、聞いているんだけど」
「殺す相手のこと知りたいじゃん」
「相手のことを知りすぎたら、変な情を抱くんじゃなくて?」
モモの言葉に私はぽんと手を打つ。
「確かに」
モモは呆れたように小さく息を吐き。
「確かに、じゃない」
そう言って、私のお腹へぽすっと拳を突き立て、自分の席へ帰って行った。その様子を見守っていると、私の背中にトンと軽い衝撃が。
「蔵本としゃべってたん?」
そこに居たのはにやにやと笑っているみっちゃんだった。私はそんなみっちゃんの頬を人差し指で突く。
「そうだけど、何でにやにやしてんのさ」
「いや~、飯田が他人に関わろうとするなんてねぇ~」
みっちゃんは私の頬を突かれながらも言葉を続ける。私は鼻を鳴らし、教室後方の自席に戻ろうとする。そこには自分の学生鞄。
あ、そうだ。
「モモー、後で例の場所ね」
私はモモに向かってそう言う。モモはわざとらしく身体を震わせ反応する。返事くらいしてくれてもいいのに。私は自分の学生鞄を机の横に引っ掛け、机に突っ伏し、眠りにつこうとしたその時、ドンッと肩に衝撃が走る。
何事だろうか? 文句でも言ってやろうか?
私は眉を吊り上げ、顔を上げると、そこにはびっくり顔のみっちゃんの姿が。
「……蔵本のこと、モモって呼んでるん?」
「響きが可愛いし、私がどう呼んでいたって、別に良いでしょうが」
「はゃ~、いつのまにそんな仲良くなったんだか」
みっちゃんは心底驚いた顔でそう言う。私は頬杖を突きながら。
「ちょっと、ね」
「え、なにそれ意味深~」
みっちゃんが私の席に近づいた瞬間、教室に授業開始を告げるチャイムが鳴り響く。みっちゃんは少しもどかしそうな顔をした後。
「あとで! あとで聞かせろよ!」
そう言い彼女は自席に戻る。
やっと静かになった……。私は頬杖を崩し、再び机の上に突っ伏す。すぐに眠気の波が押し寄せ、私の意識は雑音と共に沈んでいった。
屋上。
教室だとモモが演技をしてしまうため、本当のモモと会うには、屋上へ連れ出すしかない。
「不良に屋上へ呼び出されるなんて、かつあげでもされるのかなボク」
屋上へ来るなり、モモは真顔でそんなことを言う。
「人聞きの悪いこと言わないで」
「冗談」
彼女はそう言うなり、落下防止のフェンスに近づき、フェンスの向こう側を見続ける。
「ねぇ、モモ」
「何?」
「なんでモモは……何と言うか、普通? にこだわっているの?」
聞き込みをしてきた中で抱いた疑問をモモへ問いかける。私の言葉にモモは。
「母さんがそう望んでいるから」
と返した。母親……か。
「モモは母親想いだね」
「そう? 死のうとしているのに?」
彼女の言葉に私は。
「親の期待に応えられず、燻っているのが私だから」
私はそう返し、苦笑いを浮かべる。モモは振り返り、私の瞳を覗きこむ。
「期待?」
「そう、私の家族さ、父親も母親もわりと売れてる音楽家でさ、昔から二人に音楽を叩き込まれていたんだ……だけど、私は挫折してしまった」
「……挫折」
「うん挫折。私、妹が居るんだけど、妹が本っ当に優秀でね。ある時を境にピアノで妹に勝てなくなったんだ」
「そう」
モモはそう言うと、興味を失ったようにまたフェンスの向こう側を見始める。私は自嘲気味に笑いながら。
「ごめん。自分語りしちゃった」
と言う。すると、モモは。
「別に良い。気にしないから」
と返してくれた。ぶっきらぼうだが、彼女なりの優しさ……だと思う。思いたい。
「……本当、妹が羨ましいよ」
「そう」
モモは本格的に興味を失ったのか、言葉少なに返す。そんなモモを見ながら、私はカーディガンのポケットの中にお菓子を詰め込んでいたのを思い出し、ポケットの中から市販のプレッツェルを取り出す。午後三時のおやつ用に買っていたのだ。
「お菓子、食べる?」
「いらない」
「そっか」
私はプレッツェルの封を開け、一人ぽりぽりと食べ始める。
一本、二本、ぽりぽりと食べながらモモを見ていると、何となくいたずら心が働く。私はフェンスの向こうを見ているモモに近づき、肩をとんとんと叩く。呼ばれたのかと思ったのか、振り向いた彼女の口の中に、プレッツェルを突っ込む。
「ふぐ」
「意外と可愛い声……痛!?」
軽くだが、モモにお腹をパンチされた。モモは口をもそもそと動かしながら、真顔でこちらを見続けている。怒って……いるのかな?
「………………」
「ごめん。ごめんって」
無言の抗議に耐えきれず私は思わず謝る。しかし、モモは真顔を崩さず口をもそもそと動かし続ける。その姿がなんとも可愛くて思わず私は笑ってしまう。するとモモは追加でお腹を殴ってくる。
「痛い、痛いっからっ」
「………………」
ひとしきりモモは私のことを殴ったあと、再びフェンスの向こう側へ身体を向けてしまった。私が肩を叩こうが、頭を撫でようが全くの無反応になってしまった。なので私は……。
「肌白いなー、羨ましい」
「…………」
モモの身体を触ることにした。遠くからだとわからないものだが、近くで見てみると驚くくらい白い。私は日焼けしやすく、日焼け止めクリームを、ケーキの生クリームのように塗りたくらないと、すぐに真っ黒になってしまうため、モモが本当に羨ましい。
「くすぐったい」
モモは一言そう抗議をする。そんなモモに私は。
「ほら、殺す時にモモの身体のこと知らないと不便になるかもじゃん?」
と言ってやった。
するとモモは「屁理屈」と言いつつも、私に触られるがままに身体を揺らしている。
私はさわさわと触りながら、モモのタートルネックに手をかける。一瞬、ほんの一瞬だけど、モモの音に違和感が走る。私は慌てて手を離す。
「……飯田さん?」
そんな私を不思議に思ったのか、モモは首を傾げ、私の顔を見る。そんなモモに私は誤魔化すように笑い。
「ごめん、やりすぎた」
そう言い、立ち上がる。もうそろそろ休み時間が終わってしまう、教室へ戻らないと。
雨が降ってない日の、少ない休み時間、それとモモの気分の乗ったときだけ、私とモモは少しずつだが、お喋りをすることが多くなった。
少しずつ暑さが引き、肌寒い風が微かに吹き始めた頃。ふとモモが私に声を掛ける。
「飯田さんって、なんで髪の毛染めているの?」
モモは不思議そうな表情で私の髪の毛を触わる。モモが私について質問するのは本当に珍しい。普段は私から声を掛けることが多いのに。しかし、私はそんなモモの手を払いながら。
「黒のままが嫌だった。それだけ」
とぶっきらぼうに返した。
モモは酷くつまらなさそうな表情を浮かべたがすぐにいつもの真顔に切り替える。おそらく、興味を失ったのだろう。
嘘は言っていない、私はただ、家族と一緒の黒髪が嫌だったのだ。
「黒、似合いそうなのに」
モモにそう言われたが、私は聞こえないフリをした。私は髪の毛の先端に触れる。ケアはしているのだが、何度も何度も色を差し込んでいるため、毛先が傷んでいる。そんなボロボロな髪の毛を見ながら私は。
「……ごめん」
そうモモに謝る。モモは私の顔を覗き込みながら。
「なんで謝るの?」
と疑問を投げかける。私は一瞬、どんな言葉を紡げば良いのかわからなかったが。
「私、ちょっと、嫌なやつだった」
と返す。すると、モモはほんの少しだけ息を吐き。
「気にしてない」
そう返す。
次の日、曇り空の屋上。
昼休みにモモを屋上へ呼び出し、相変わらず茶色だらけであるモモのお弁当の消費を手伝っていた。
「モモはさ、どうやって殺されたいの?」
口の中のからあげを呑み込み、ふと、私は疑問に思ったことを聞く。フェンスの向こう側を見ていたモモは振り返り、私の瞳を見つめる。
「……どうやって?」
「そう。モモの要望を聞いておきたくて」
私がそう言うと、モモはフェンスに背中を預け、軽く俯く。真顔のままだが、どうやら深く考えているようだ。私はそんなモモをじっと見つめる。
すると、モモは顔を上げ。
「
「や、やくさつ?」
「そう、絞殺。手で首を絞めて殺すこと」
モモはそう言い、タートルネックに包まれた首を両手で包む。
「できるだけ苦しく死にたい」
「……焼殺や溺殺じゃあ駄目なの?」
「それでも良いけれど、飯田さん、そんな手間を掛けてくれるの?」
モモの言葉に私は考え込む。
焼くことになれば、ガソリンとかそう言う燃料が必要だろう。そうなれば途轍もなく目立つだろうし、ただの女子高生である私が、燃料を用意するのは難しい気がする。モモを殺せなかったらそれこそ本末転倒だ。
代わりに、溺れさせることになったとしたら、水が多い場所……例えば、海とか。段々と寒くなっている今の季節の海はとんでもなく寒いだろう。
最悪私は構わないが、モモが大変そうだ。殺されるというのに場所移動を強いるのは……。
「やくさつ? にするべきかもね。確かに」
私がそう言うと、モモは首から手を離し。
「でしょう? で、いつやってくれるの?」
モモの言葉に私は……。
「まだ」
そう返し、モモの弁当に詰まっている冷凍食品らしきハンバーグを口の中へ詰め込んだ。
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