くだらない

 四時限目終わり、教室に鳴り響いたチャイムで、私は眠りから覚め、身体を伸ばす。机に突っ伏して寝ていたせいか、身体のあちこちから音が鳴る。

 先程まで眠っている私に向かって授業を行っていた古文の教師……初老で背の低い男性教師は私が起き上がったのを見て。

「次、小テストだから、ちゃんとカンペ……あー……カンニングの準備しておくんだよ」

 彼はそう言いジャケットを着直し、そのまま教室の外へ出て行ってしまった。私は髪の毛をそっと整えながら、まだ消されていない黒板を見つめる。そこには暗号のような古文がずらずらと並んでいる。

 私は、出すだけ出した教科書とノートを、廊下に並んでいるロッカーへしまいに行く。途中、ちらりと江藤の席を確認する。そこには誰もおらず、数日前のプリントが机の中から漏れている。

 バレー部による前髪切断事件から、江藤は学校を欠席することが多くなった。先生たちの目を盗んでは、ことあるごとにバレー部総出でいじめられているんだ、ここへ来たくなるのもわかる。彼女の過去の言動を知っていると、あまり同情はしたくないが……ほんの少しだけ可哀想だなとも思える。結局のところ、自業自得なのだが。

「うへー……カンペ作るのめんどー」

 そんな声と共に、私の肩に体重が掛かる。私の肩に体重を掛ける不届き者はこのクラスには一人しかいない。私は肩を小刻みに振動させ、みっちゃんを震わせる。

「おがががががが」

「……重いって」

「重くない」

「重いっての」

満月みつき重くない」

「このっ、しっつこい子だねぇ!」

 私はみっちゃんを肩に乗せたまま、ロッカーへ向かい、教科書とノートをロッカーの中へ叩き込む。そして、みっちゃんの顔を両手で掴み、ぐにぐにともみほぐす。

「このっ、このっ」

「やめろぉっ! 化粧が落ちるだろうが!」

「みっちゃんがしつこいのが悪いっ」

「貴様っ」

 私とみっちゃんがじゃれ合っていると、騒がしかった廊下が少しだけ静かに、私たちを中心にそっと人がいなくなる。

「ほら、みっちゃんが暴れるから、引かれたじゃん」

「飯田がウチの顔を揉みくちゃにするからだろうがっ」

 みっちゃんはそう言って、私の脇腹をくすぐるように触る。しかし……。

「私にそれは効かないと何度言えば学習するのかな、みっちゃんは!!」

「くっそぉぉぉ!! なんでこちょこちょが聞かないんだ貴様はぁ!!」

 みっちゃんは物凄く悔しそうな声を上げながら、私に顔を揉まれ続けていた。



「……なんで警戒してるの?」

 昼休み、モモへあげるために購買で買ったサラダパスタを持っていた私は、フェンス付近、無表情で自分の顔を両手で包んでいるモモを目撃する。モモはそんな私の声を聞き、言葉を返す。

「…………月見里やまなしさんにやってたこと、ボクにもやるつもりでしょう?」

 月見里と言うのは、みっちゃんの苗字である。『やっていたこと』とは、おそらく私とみっちゃんのロッカー前でやっていたじゃれ合いを目撃していたのだろう。私は少しだけ溜息を吐きながら、モモに近づく。

「モモにはやらないから大丈夫だよ」

 私はそう言いながら、モモにサラダパスタを渡す。モモは警戒しながら、私からサラダパスタを受け取る。代わりに私はモモのやたらと大きな弁当を受け取る。中身を開いてみると、一段目の中はびっちりとチキンカツとナポリタン、二段目には白米がぎちぎちに詰まっている。私はまずチキンカツから取り掛かる。中濃ソースが掛かっているが少しふにゃふにゃになっているが、全然美味しい。しかし如何せん数が多い。鶏もも肉一枚以上入ってないか?

 するとサラダパスタを食べていたモモがそっと私に近づき、チキンカツを一つ取り、口に頬張る。

「大丈夫?」

「少しなら」

「そっか」

 私はモモがモソモソチキンカツを食べているところ見ながら、ナポリタンを少しずつ食べる。

 ……今度からみっちゃんにも手伝ってもらおうかな。私は自分のお腹をさすりながら、モモの弁当を食べ進めていく。

「無理は、しないで」

 口の中の揚げ物の衣と戦っていると、モモは私が着ているカーディガンの袖を引っ張りそう言う。私は腰を左右に捻りながら、自分のお腹を叩く。

「……大丈夫、モモよりかは身体、大きいから」

 私はそう言い、モモに微笑みかける。するとモモが一瞬目を見開き、私を凝視する。しかしすぐに目を細め。

「身体の大きさはあまり関係ないと思う」

 そう言って、サラダパスタを一口食べ、ナポリタンを食べる。

「麺に麺だけど」

「大丈夫」

「そっか」

 私は即答したモモにそう返す。まだまだ昼休みはある。それまでに食べきってしまおう。私の横でハムスターのようにモソモソと口を動かすモモは、やっぱり女の子だった。



 モモのお弁当を平らげ、屋上の地面に座る。このままだと土やらコケやらでお尻が汚れてしまうため、家から持ってきたゴミ袋を敷き、汚れないようにした。気のせいかもしれないが、何だか身体がずっしりと重くなっている気がする。そんな私はさておいて、モモは相変わらずフェンスの向こう側を覗き続けている。私はそんなモモを眺めながら、少しだけ音を風に乗せる。

 タイトルなんてない、ただ風や小鳥や車などの雑音、生徒たちが発しているであろう生活音を混ぜ込んだ、何気ないハミングだった。

「飯田さん?」

 いつの間にか振り返っていたモモが少しだけ驚いたような表情を浮かべている。一瞬、何故モモが驚いていたのかわからなかったが、すぐに私がハミングしていたことが原因だと気が付く。慌てて私は。

「ごめん、うるさかった?」

 と言う。するとモモは首を横に振り。

「気にしてない。ただ、ちょっとびっくりしたから」

「びっくり?」

「そう、びっくり。飯田さん、いつも音楽の授業、嫌そうな顔をしているから」

 ……モモはよく見ているなぁ。私は自身のカフスを触りながら、息を吐き。

「まあ、うん。音楽の時間は退屈……と言うか、同調させられるのがね」

「巻き込まれるのが嫌?」

「うん、嫌」

「そう」

 再び、モモはフェンスの向こう側へ身体を向けてしまった。

 私はそんなモモ見ながら、再び空中に漂っている音に色を付け始める。昔はよくやっていた、色付けを。

 しばらく日常へ色をつけていると、モモが振り向き、その場にしゃがみ込む。

 そろそろ昼休みも終わりか? そう考え自分のスマートフォンを見てみるが、まだ時間に余裕はある。早めに移動したいのかもしれない。そう考え、立ち上がろうとした瞬間。

 ざり、ざり、と何かを擦りつける音が屋上に響いた。私はその音につられ、モモに視線を向ける。そこには左人差し指を地面に擦りつけているモモの姿が。

「何してるの?」

「…………」

 モモは何も言わずに左人差し指を屋上の床に擦りつけ、土やコケが手に馴染んだことを確認すると、自分の右手のひらに擦りつけ始める。はじめのうちは何をやっているのか全くわからなかったが、ゆっくりとした動作でモモは私に向けて手のひらを見せる。

 そこには……。

「うぉ。葉っぱ!?」

「そんなところ」

 そこには土とコケで彩られた葉っぱが出来上がっていた。まるでモモの手のひらの上に乗っているかのように錯覚する。

「ボクの得意技」

 彼女はそう言い、右手をくしゃっと閉じる。ああ、勿体ない。スマートフォンで取っておきたかったのに。

 すると、そんな思考を読み取ったのか、モモが口を開き。

「飯田さん、貴女の音色を録音させて……って言われるの、嫌でしょう?」

「あー、うん、確かに、ごめん」

 モモの言う通りだ、撮ってほしくない、録ってほしくない、そう思う気持ちはわからないでもない。私は手持ち無沙汰になった右手でスマートフォンを開き時間を見る。

 あと七分くらいでお昼休みが終わりそうだ。私はモモからゴミを受け取り、空っぽになったお弁当をモモへ返す。お弁当を返した瞬間、モモは身体を丸め、表情を一変させる。まるで不良に脅されている生徒のように。そしてそのまま屋上への出口へ向かう。そんなモモに私は声を掛ける。

「またね、モモ」

 すると大袈裟に肩を震わせながらモモは。

「ええ」

 と小さく返した。



 モモが絵を描いた次の日、体育の時間、体育館。カフスとピアスを外した私はみっちゃんとバスケットに興じていた。

「へいパス」

 金髪をふわりと浮かせながら、みっちゃんは私に向けてとんでもない速度でボールを投げる。私はそのボールをさっと避ける。相手を見失ったバスケットボールは体育館の壁にぶつかりどこかへと転がっていく。

「避けるなっ」

「人が受け止められる速度で投げて?」

「それは、ほら、状況によるじゃん?」

「一対一のパス練習に全力を注ぐ方がおかしいって」

「ウチは妥協しないからさ」

「思いやりはあって然るべきだと思うよ?」

 そんなくだらない会話を挟みながら、みっちゃんが吹っ飛ばしたバスケットボールを取りに行く。すると体育館の壁際に三角座りをしているモモの姿。一応学校指定のジャージは着ているが体育には参加する気はないらしい。そんなモモの三角座りの膝裏にバスケットボールが挟まっている。

 私が近づくと、モモは私に向けてバスケットボールを転がす。

「い、飯田、さん」

「ん、ありがと、モモ」

 私はバスケットボールを受け取り、みっちゃんの元へ戻り、ボールを全力のショルダーパスで渡す。

「ちょおい!!」

 みっちゃんは奇妙な声を上げながら避ける。私は腰に手を当て。

「避けるな」

「馬鹿!! 死ぬ!! いくらウチでも死ぬ!!」

 そうみっちゃんに抗議の声をあげられた。小さく笑いながら、私はみっちゃんからのパスを待つ。みっちゃんは助走をつけ、全力で投げようとする。

 しかし。

「おいコラ月見里! ドッヂボールじゃないかんなー」

 体育教師にそう怒鳴られる。みっちゃんは助走をやめ、バウンドパスでバスケットボール渡してくる。

「命拾いしたな……」

「真面目にやろ?」

「お? 喧嘩か?」



 次の日、曇り空の昼休み。

 今日は山盛りソーセージのモモの弁当の対処を考えながら、モモと過ごしているととあることが気になり、モモの脇の下に手を通す。

「……?」

 モモはすごい訝しそうな表情を浮かべたが、私のなすがままに持ち上げられる。

「で、ボクを持ち上げて何がしたいんだい?」

「……あ、いや、前も言ったけど、たくさん食べさせられるわりには小さくて軽いなって」

「男の子としては小さすぎる、か」

 モモは声を低くしながら、そう呟く。私は……。

「持ち運びに便利……」

「人間に向かって言う言葉じゃない」

 思わず零してしまった言葉に対してすぐにモモは言葉をかぶせる。モモを見てみると、頗る《すこぶ》不機嫌そうな表情を浮かべている。

「あ、可愛い……あいた!?」

 可愛い、と呟いた瞬間、モモに頭突きされる。目の前に星が瞬き、すーっとひたいが熱くなるのを感じる。血は出ていなさそうだが、結構な力で頭突きされた。

「離して」

「くぉぉぉ……」

「悶絶してないで離して」

「モモのお馬鹿っ、本気で痛いって……っ」

「お馬鹿は貴女でしょう? もう一撃欲しい?」

「ご遠慮します!!」

 私はゆっくりとモモを屋上の床へ降ろす。モモは猫のように伸びをすると、私があげた、いちごが挟まっているパンを一口放り込む。

「本当に貴女は……ボクの身体をなんだと……」

「拗ねてるの可愛い」

「…………」

「ごめんって」


 ◇ ◇ ◇


 日の光が瞼に当たり、私は目を覚ます。ここはいつもの灰色の小さな部屋。私は髪の毛を整えながら、寝床から立ち上がる。そろそろ女看守の点呼の時間だ。着替えて準備しないと。

 私はすぐに着替えをし、女看守が来るまで扉の前で待機する。すると程なくして外から施錠されている扉をノックされる。

「開けるぞ」

 くぐもった女看守の声を聞きながら、私はその場で待機する。すると、解錠の音と共に、女看守が部屋の中へ入る。

 手にはボールペンと筆記用のボードを持っており、私の様子を書き込んでいる。

 すると、看守は少し意外そうな顔をする。

「……飯田?」

「はい、なんでしょうか?」

「ああ、いや。別に悪いことじゃないんだ。ただ、何だかいつもより表情が明るい気がしてな」

 看守はそう言い、ボールペンを走らせる。私は何のことだと自分の顔をぐにぐにと触る。そんな明るい顔をしているのか?

 それからは定例通り、女看守とのやり取りを終わらせ、扉が締まり、施錠がされた瞬間、私は椅子の上に座り込んだ。自分の身に何が起こったのか、考える。

 良い旋律を描けた? 否、まだモモの音色をほぐせていない。

 幸せなものを見た?

 ここまで来て私は思い当たる。

「ああ、そっか。くだらない夢を見てたんだ」

 くだらなくて、当たり前で、退屈で。

 幸せだった日々を夢見ていたんだ。

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