みとめられない

 モモの歪み、その根本原因はモモの母親……それだけは確かだ。モモがあそこまで自分をないがしろにして、自身の不協和音と戦うことになったのも、すべて彼女のせいだ。彼女の歪んだ理念・思想がモモを歪ませた。

 だけど……。

 私は灰色の部屋の小さな部屋で、寝具に顔を埋め、あの日のことを思い出す。確かに楽しかった、文化祭。モモと一緒に居られて、見たこともないモモを見られて、とても楽しかった文化祭。二人で仕事をしながら、時折サボりながら、色んなクラスを見て回り、私はただただ浮かれていた。

 ……モモの歪み、その根本原因はモモの母親……それだけは確かだ。けれど、モモの心を、モモの何かを壊してしまったのは。

 私のせいだ。

 私の不用意な一言と。私の歪んだ欲望のせいだった。私の言葉がなければ、ちゃんと拒絶すれば、モモはまだ生きていたかもしれない。生きているだけで、壊れてしまっている可能性もあるが。

 幸せそうな顔が頭から離れない。

 ずっと、ずーっと、離れることはない。手には頸椎けいついの感触、耳にはモモの音楽が鳴り響き、瞳にはモモの映像が浮かぶ。相変わらずモモは私のことを手放す気がないらしい。仕方がない、これは私が私に見せる、防衛本能みたいなものなのだから。


 ◇ ◇ ◇


「何と言うか、慣れてるね」

「家ではほとんどこれだから」

 文化祭当日。私とモモは二人とも学ランを身に着けていた。私は着慣れない服に戸惑っていたが、モモはすんなりと着こなしている。髪の毛をほんの少しいじり、声を低くしたモモはまるで男の子みたいだった。

「まさか、こんなところでボクを見せるなんてね」

「……似合ってる、とは言えない、かな」

「そう? これでも頑張っているんだよ?」

「あー、いや。似合ってはいるんだけど、その、安易に言っても良いのかなって」

 私がそう口籠くちごもっていると、モモは何となく言いたいことを察したのか。

「飯田さんに褒められるなら、素直に嬉しい」

 と言い、そっぽを向いた。私はモモの袖を掴み。

「じゃあ似合ってる」

 と言うと、モモはさらにそっぽを向いてしまう。私が必死に顔を見ようとするが、器用に避け、顔を見せてくれない。

「モモ、モモさん? すももさん?」

「……………………」

「お顔、お顔見ーせて」

「………………嫌」

「モモさーん?」

「ふんっ」

「あいたっ」

 モモは下からすくう形で私に顎へ頭突きする。綺麗に打ちぬかれ軽く目の前に星がまたたく。私はかぶりを振りながら、モモへ抗議する。

「頭突きは痛いって」

「飯田さんが変なこと、言うから」

 モモはそう言うと、私の手を握り返し、歩き始める。私は慌ててクラスメートに渡された看板を握られていない方の手で持つ。私たちが運びやすくするためか、意外と軽く、片手でも余裕だった。

 廊下を練り歩く最中。私は自分の衣装を見て、モモに感想を言う。

「やっぱ、モモってすんごい器用なんだね」

「そう?」

「まさかあの布が、こんなに完成度が高い衣装になるとは思ってなかったもん」

「……喜んでもらえて良かった」

「クラスの連中の作業も手伝えたんじゃ?」

 私がモモへ向かってそう言うと、モモは小さく鼻を鳴らす。

「ボクが手伝うと思う?」

「思わない」

 私は即答し、思わず笑ってしまう。モモは笑っていなかったが、私の手をぶんぶんと振り回す。

「とりあえず一周目、回ろっか、モモ」

 彼女に向かってそう言うと、先に歩いていた彼女は振り返り。私に向かってウインクする。

 ……普通に可愛いのはずるいと思う。


 一回目の宣伝、一年生のフロアでの宣伝活動。びっくりするくらい下級生にビビられた。別に脅すつもりはなかったんだけど、髪色と今日のために気合を入れたアクセサリーたちのせいでビビられたらしい。モモがいなかったらもっと酷いことになっていたかもしれない。通り過ぎた後に。

「あの先輩髪色やばくない? 文化祭だから……?」

「違うよ、あの人いつもあんな感じだよ」

 なんて会話が聞こえてくる。やっぱこの見た目怖いか……と考えていると、モモが私の手を握り締め。

「飯田さん、次行こう」

 と促してくれた。

 そんな一回目の宣伝が終わり、私とモモは看板を教室に置き、廊下をふらふらと歩いていた。まだお昼ごはんには早い時間だが、学校中から甘かったり、塩辛い香りがあちこちから漂い始めていた。私は財布をブレザーの内ポケットへ忍ばせ色んなものを物色していた。

「どれも似たり寄ったり」

 モモが小さく言う。私は苦笑いしながら。

「確かに、そうだね。去年の私も同じこと思ってた」

 と返し、混雑している廊下を歩き続ける。

「回転率とか、調理の手間を考えると、大体同じものになっちゃうんだよね」

「そうなの?」

「おにぎりとか絶対無理だね……ご飯を作ろうとしたら料理室いくらあっても足りない」

「……言われてみれば」

「だから冷凍たこ焼きとかかき氷とかに偏りがち」

「気が付きたくなかった」

「世知辛い設備事情だねぇ」

 私は笑いながら、ある教室を指差す。

「そこでモモさん。物珍しいチョコバナナたるものがあるけど」

「……食べる」

「さすがモモさん」

 私とモモの二人はチョコバナナを売っている場所へ行く。よく大量のバナナを確保できたなと感心する。

 ……もしかしたら、午前だけで売り切れる可能性もあるが。

 私はすぐにモモと私の二人分のチョコバナナを購入し、片方をモモへ渡す。

「お金」

「衣装代」

「…………」

「だから奢り」

 モモは何だか不服そうだったが、気にするだけ無駄だと悟ったのか、そのまま食べ始める。

「……甘い」

「ん、なかなか美味しい」

 私とモモはチョコバナナを食べながら色んな教室へ目を通す。お化け屋敷だったり謎の資料館だったり、かき氷屋だったり、たこ焼き屋だったり……。

「飾りも凝ってるねぇ」

「そうね……ボクたちはほとんど何もしていなかったけど」

「やりたかった?」

「いや?」

「でしょ」

 文化祭の準備期間、私とモモはサボっていた。みっちゃんとかは結構忙しそうに動いていたが。私とモモは屋上へ逃げ、階下に広がる作業風景を覗き見ていたものだ。

 私はチョコバナナに刺さっていた割りばしを近くのゴミ箱に捨て、またモモの手を掴む。

「次の出番までどうする?」

 私がモモにそう尋ねると、モモは。

「……教室で大人しくする」

 と言い、すたすたと歩き出す。モモの手に引かれながら後をついていった。



 二回目の宣伝。今度は二年生の教室前を通っていた。私はたまに声を掛けてくる元クラスメートと軽く雑談をしながら、モモと歩いていた。

 一年生の時とは違い、そこまでビビられてはいなさそうだ。

「……飯田さんって有名なのね」

 モモが小さくそんなことを言う。私は苦笑いをし。

「見た目が目立っているだけだよ。それに元クラスメートとしか基本絡みがないし」

 私はそう言いながら、看板を持ち直す。モモは小さく「ふぅん」と言いながら、私の手をにぎにぎと弄んでいる。

 すると、その時だった。

「李!!」

 耳をつんざくような高音と声量。私の耳が、鼓膜が吹き飛んでしまうかと思うほど。私は看板を置き、耳をさすりながら振り返る。するとそこには見知らぬ女性。隣のモモを見てみると、一瞬本当に嫌そうな顔をしているのが見えた。

 もしかして、あれが。

「どう? 文化祭楽しんでる? 劇の主役を逃したってのは知っていたけれど、こんなことをしていたの?」

 まくくし立てるように言葉を続けているこの女性。微かにモモの面影があるこの女性は……。

「お母さん」

 モモは声を低くして、応対する。やっぱり、彼女はモモの母親……モモの歪みの元凶だった。私は耳から手を離し、彼女の顔を見つめる。そして、身震いする。

 なんだ、これ。異様なほど目を見開き、モモのことをずっと見ている。監視……と言う言葉が一番近いか、そんな気がする。

「あら? お隣に居るのはお友達?」

 私を見た瞬間にモモの母親の声が低くなったのを感じる。明確な敵意。私は冷や汗をかく。

「……お母さん、彼女は」

 モモは口ごもっている。『友達』と言えない理由があるのか、私は思考を巡らす。そして、耳を澄ます。

「彼女は?」

 モモの母親は低く、徐々に色が落ちていく声で言う。段々と声に怒気が孕んでいるのを感じる。これは……。

 『男の子なのに、女の友達と一緒に居るなんて男らしくない』とかぶっ飛んだ考え方をしていないか? 私は慌てて、モモの手を掴み、胸の高さまで持ち上げる。そして指を絡ませ、貝殻の様に合わせる。この場を切り抜けるためには。

「蔵本くんの彼女です」

 私は咄嗟にそう言った。モモは非常に驚いた表情を浮かべている。

 うん、ごめんね。

 でも……。

「あらっ、そうなの~? やだ李ったら、お母さんに言ってくれても良かったのに~」

 声色が変わったのを感じる。どうやら正解だったようだ。私は少しだけ安堵の息を漏らしながら、モモの母親に合わせて笑う。

 ……付け焼き刃だが、大人おべっかは小さい頃のピアノコンクールで慣れている。

「きっと恥ずかしかったんですよ」

 私はそう言いながら、モモと繋いでいる手を下へ降ろす。そして、看板を持ち。

「まだ宣伝中だったので、これで失礼しますね」

 と私は早口で言い、モモのことを引っ張る。モモは一瞬硬直していたが、すぐに動き出し、私の前へ出る。

「いこっか……ね、音亜ねあ

 彼女なりに低い声を出して『オトコノコ』らしさを演出している。モモには申し訳ないが、なんか可愛らしかった。



「ありがとう、飯田さん」

 お昼ご飯を食べ、三回目の宣伝。今度は三年生の廊下を足早に通り過ぎていた時だった。

「どしたのモモ?」

 私はわかっていないように装い、モモと手を繋ぎながら、看板を掲げ、宣伝を続ける。

「わかっているでしょう? お母さんからボクを庇ってくれたこと」

「庇ったつもりはないんだけどね」

 私は苦笑いしながら廊下を歩き続ける。三年生の先輩方が私の髪色を見てぎょっとしていたが、文化祭だし、染めるくらいするかー。みたいな声が聞こえてくるあたりあまり気にしていないようだ。

「……それにごめんなさい。その、ボクの彼女だって、紹介させちゃって」

 モモにそう言われる。彼女の顔を覗き込んで見ると、何だかへこんでいるようだ。私はそんなモモ頭に顎を落とす。

「痛い」

「別に、気にしてないよ、モモ」

 私はそう言い、看板を持ち直す。モモは私の言葉に顔を上げる。どうやら困惑しているようだ。

「実際に付き合ったとしても、良いと思っているけどね、私は」

 別にモモのために気を使っているわけではない。モモのそばに居ると安心するのも事実だし、ずっと一緒に居たいのも事実だ。

「そう」

 モモは小さくそう返事をし、私の手を強く握る。私は返事をするように、モモの手を握り直す。

「さっさと宣伝を終わらせて、教室に戻ろうか。劇までちゃんと見てあげないと、みっちゃんにぶん殴られそうだから」

 私がそう言うと、モモは頷き、少しだけ、ほんの少しだけ私の腕に自分の腕をくっつけた。



 劇が無事に終わり、作業も終わった放課後。各々がゴミの分別や、片づけをやっている中、私とモモは人があまりこない、部活や移動教室で使う棟へ移動していた。

 ここへ訪れた理由はない。所謂いわゆるサボりだ。

「いやー……疲れた疲れた。まさかみっちゃんがあそこまで暴れまわるとは……」

 私は深く息を吐きながら、廊下の壁に背中を預ける。ひんやりとした温度が布地を伝わって、私の背中まで届く。

「他校の生徒を舞台まで引っ張ってくるとか前代未聞にもほどがあるよ……」

「……」

「モモ?」

 先程まで私と手を繋いでいたモモだったが、気が付くと、モモは俯きその場に立ち尽くしている。何事だろうと首を傾げていると、モモは小さく。

「……飯田さん」

 と私の名前を呼ぶ。

「どうしたの?」

 そう返しながら、私はモモへ近づく。髪の毛のせいで表情がわかりづらい。私は屈んでモモの顔を覗く。すると、モモはどこか呆けている。

「飯田さん。まだ、彼氏と彼女の関係は、続いているよね」

「どうしたの急……に゛っ!?」

 それは突然の出来事だった。

「ちょっ……まっ……!? むぐっ……!?」

 甘い香りと、ネクタイを引き絞られた驚きと、唇い当たる柔らかい感触。

 もしかして、私、モモに唇を奪われ、て。

 驚き、後退しようとするが、背後には壁があり、下がることもできない。驚きで腰が抜け、壁に沿って地面にしゃがみ込もうとしたが、足と足の間にモモの足が差し込まれていて、しゃがむことも許されない。腰が低くなったことで顔がモモの身長よりも低くなる。

 逃げられない……!? いや、逃げる必要もないんだけど!?

 何が何だかわからない。起きている事象は全て説明できるのだが、甘い香りがするやら、恥ずかしいやら、逃げられないやらで頭の中が混乱しっぱなしだ。すると、追い打ちのようにモモは私の首の後ろに腕を回し、抱き寄せる……口づけをしたまま。

 あまりにも情熱的なキスに私は溺れそうになる。彼女の唇に塞がれて、息ができない。普段どうやって息をしていたんだっけ……?

 すると、モモが私を解放する。直後、私は空気を求めて、口を目一杯広げる。

「ぷはぁ!?」

 そう言えば、人間って鼻で呼吸できたんだっけ!? 思考が定まらずそんな頓珍漢とんちんかんなことも考えてしまう。

 そうだ、モモは!? 私はモモを見る。

「ボク……、ボクは……?」

 モモは震え、自身の両手を見つめている。

「モモ! びっくりっ、びっくりしたってぇ!!」

 私は咳き込みながらモモに抗議する。しかしモモは私のことを見ず、ひとりでぶつぶつと声を漏らしている。

「ボク、何で……何、何これ……」

 なんかモモの様子がおかしい。信じられないようなモノを見たような目で自身の手をずっと見つめている。

「……モモ?」

 首を傾げ、モモに触れようとしたその時。モモは弾けたように顔を上げる。

「駄目。飯田さん」

 彼女はそう言い後ずさる。

 …………拒否された!? 私は少しショックを受ける。

「えっ、えっ」

「駄目、駄目なんだ。今のボク、今のボクは」

 モモは震えながら、声を漏らす。頭を抱えながら錯乱しているようだ。


「ボクは? ボクは、飯田さんに何の感情を抱いた?」

「抵抗しなかった飯田さんにボクは何をした? ボクは『オトコノコ』じゃない、そのはずだった、のに」

「今のボクは『女の子』じゃない。こんなの、こんな感情。『オンナノコ』の感情じゃ、ない……!」


 そう叫び、モモは走り出す。

「モモ!? モモ!!」

 私は抜けた腰を鼓舞しながら、モモを追いかけようとする。しかしモモの姿はあっという間に消え去り、そこには文化祭の残り香しかなかった。

 追いつくことができなかった私はその場で座り込む。モモの言葉……。


『今のボクは『女の子』じゃない。こんなの、こんな感情。『オンナノコ』の感情じゃ、ない……!』


「そんなの……男も女も、関係ない……!!」

 私は締まっていたネクタイを緩めながら、誰もいない廊下でつぶやく。

 その声はモモに届くわけがなかった。

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