せわしない

「そろそろ本格的に配役を決めまーす!!」

 そんなクラスメイトの声で私は目を覚ます。教室の黒板には大きく配役と係と書かれていた。そういえばまだ決まっていなかったんだっけか。私は顔を上げ、黒板を凝視する。演劇をするという話だったが、演目……シナリオだけしか決まっていないようだった。

「配役もそうだけど、裏方も大切だから、一致団結してがんばろー!!」

 一致団結、ねぇ……。悪くはないけれど、あまり巻き込まれたくない……と、そんなことを考えながら、係を見る。大道具、小道具、照明係……色んな、係が並ぶ中で、目に入った一つの係が見える。私はすぐに手を上げ、教壇の前で指揮を執っているクラスメートを呼ぶ。

「……私とモモ、宣伝係やって良い? ちゃんと衣装も着るからさ」

 私がそう声を掛けると、教壇に居たクラスメートが驚いているのが見えた。不良も不良の人間が自分から役目を立候補するなんて思っていなかったのだろう。

「別に良いけど……良いの?」

 恐る恐ると言った感じでそう尋ねられる。私は手をひらひらと振りながら答える。

「ほら、私みたいな目立つ人間が宣伝して回った方が良いじゃん? モモはおまけだけど」

「でもさっき衣装もちゃんと着るって……演目的には登場人物は制服になるけ……まさか」

「私とモモが男子のブレザーを着るよ」

 教室が若干どよめくのを感じる。近くの席でみっちゃんが椅子の上で三角座りをしながら、感心していそうな表情を浮かべている。モモはと言うと、肩を丸めながら、私のことをじっと見ている。

「あー……蔵本さん、大丈夫?」

 教壇に立っているクラスメートがモモに向かってそう尋ねる。モモは大袈裟に肩をびくっと動かし。

「え、あ……うん、大丈夫……です……」

 とぽつぽつと答えた。モモに問いかけたクラスメートは少しだけ心配そうな顔をしたが。

「飯田なら大丈夫っしょ。蔵本になんもしないって」

 と相変わらず椅子の上で三角座りをしているみっちゃんが声を掛ける。教壇に立っているクラスメートはそれでも心配そうな顔をしていたが、覚悟を決めたような顔をし。

「わかった。じゃあ、宣伝係は飯田さんと蔵本さんね」

 そう言って、黒板に私とモモの名前を書く。それを見届けた私は軽く息を吐き。机の上に寝そべる。今日の私の役目は終わりだ。あとは誰かが頑張ってくれるだろう。



「勝手に決めないで……と言いたいところだけど、お母さんがここに来るってことを見越してくれた?」

「そう言うこと。ま、あそこでさっさと係を決めて面倒な役から逃げたかったのもあるけど」

 放課後、屋上で二人、私とモモはお菓子を食べていた。

 ……とは言っても、私がチョコプレッツェルをモモの口の中にひたすら突っ込んでいるだけだったが。

「モモの話を聞いていると、干渉してきそうだったから」

「確かに、去年の文化祭もここへ来てた」

 モモはそう言いながら瞳を細める。

「去年は何とかジャージで乗り切ったけど、クラスメートに言い訳するのが大変だった」

「……確かに大変そう」

 私はそう言いながらもう一本モモの口にプレッツェルを突っ込む。モモはもそもそと口を動かしていたが。

「これ以上食べると、夜ご飯食べられなくなるから」

 と言い、私が差し出したプレッツェルを奪い、私の口の中へ突っ込んだ。突然のことだったため、私はせそうになった。

「人には食べさせるくせに」

 咳き込んでいる私に向かってモモは言う。私はモモの頬をぐにっと掴み。

「せめて一言言って」

 とモモの頬を弄り回しながら言う。すると、モモはため息を漏らしながら。

「飯田さんも、一言も言わずにやるときあるでしょう?」

 そう言って、私の頬を両手で挟み込んだ。



 文化祭で宣伝係に立候補してから数日後。私は一人、通っている高校の最寄駅で灰色の空を見上げ、待ち合わせをしていた。

 今日はモモと一緒に、私が男装するための衣装を見繕ってくれるとのことだった。当日はクラスメートの男子から借りようかと考えていたのだが、モモが。

『ボクが作るから、そっちの方が良い』

 と言い始めたので、モモへ頼むことにした。

 絵のこと言い、裁縫のことと言い、モモは本当に器用なんだと感心した。

 私は何回もスマートフォンを覗き、自分が遅刻していないことを確認する。現在時刻は午前九時半、約束の時間は午前十時。いつも通り早めに来てしまった。

 元々休日は家にいないことが多いので、出かけることには微塵も抵抗がない。しかし、誰かと……いや、モモとこうやって待ち合わせするのは初めてであり、慣れているはずなのに何だか緊張してしまっている。何度もスマートフォンの黒い画面で自分の前髪と耳……ピアスとカフスの様子を確認してしまう。いつもはわりと適当に済ませてしまう化粧も今日はきっちりと決めてきた。

 私は息を吐きながら、耳を澄ませると、雑踏の中からモモの音が聞こえてくる。

 モモ? 私は顔を上げるが、モモの姿が見えない。気のせいだったかなと耳を澄ませるとやはり近くにモモが居るような気がする。私は目を凝らし、耳を澄ませ周りを確認する。モモの音はぐるりと回り、私の背後へ。私は後ろへ振り返り。

「モモ?」

 と声を掛ける。すると、そこには私より目線が下、帽子をかぶり私の背中へ人差し指を伸ばしているモモの姿が。

「……モモさん?」

「バレた」

「モモさん!?」

 私は振り返り、モモをもう一度見る。帽子をかぶって、ぶかっとした上着、緩く巻いたネクタイ、そして七分丈のズボン。首は相変わらずハイネックで覆われている。女の子としても、男の子としても見て取れる服装だ。

「モモ? 何をしようとしてたの?」

「背中から突いて社会的に恥を晒してもらおうかなと」

「わりとえげつないこと言うね!? 何してくれようとしてるの!?」

「普段からボクのことを辱めているくせに……」

「そんなっ、ことっ、ないよ?」

「…………」

「本当にそんなことないよ!?」

「…………飯田さん……」

「ちょっと待って、何でそんな目で私を見るの?」

「普通の人間は急にお菓子を口の中へ突っ込まないし、頬を触らないし、お腹も触らないよ?」

 モモはそう言うと、私の手を掴み、遠慮がちに引っ張り始める。私はモモに従い歩き始める。

「どこへ行くの?」

「大型商業施設、布類を販売してるところそこくらいしかないから」

「じゃあ、後でお昼食べようよ。奢ってあげるから」

「……わかった。でも先に用事済まさせて」

 モモは私の手を握り返し、そのまま歩き続ける。私はそんなモモを見ながら。

「楽しみだった?」

 と問いかける。モモは一瞬足を止めたが、すぐにまた歩き始め。

「かもね」

 と小さく返し、私の手をぐんと引っ張る。見た目によらず強い力で私はつんのめりそうになりながら、モモの後をついて行った。



 休日の大型商業施設と言うこともあり、入口や安売りをしている服屋さんは物凄く混んでいた。しかし、モモに手を引かれ行きついた場所にはほとんど人がおらず、たまーに中年女性が毛糸を品定めしているのが見えるくらいだ。

「こういうところ初めて来た」

 私がそう言うと、モモは。

「制服を改造したり、お母さんが勝手に買ってくる服を改造する時にお世話になってる」

「……そっか」

 突然の言葉に私はコメントに困ってしまったが、モモは気にせず布を掴み、軽く手で採寸している。

「本物見なくてもわかるの?」

「一度作ったし、何となくわかる。ブレザーは自前の使えば良いし」

「あれ、男女ってボタン逆じゃなかったけ」

「文化祭で一度きりしか着ない物、でしょう?」

「……確かに、それだけのために作ってもらうのは忍びないかも」

 私がそう言うと、モモは布へ目線を戻し、手で採寸を再開する。そして五分後、モモは私の手を引っ張り再び歩き始める。

「すっ、すみません……」

 モモは猫を被り、店員に話しかける。すると店員……人が好さそうな中年女性の店員はモモのことを見ると、パッと表情を明るくする。

「あら、いらっしゃい! 今日はお友達も……」

 と私を見て固まる。

 うん、これは本当にごめん。私はモモに耳打ちする。

「……目立ちすぎるから、店の外にいるね?」

 私の言葉にモモは小さくうなずく。私はモモの手を離し、そのまま店外へ移動する。すると、後ろから。

「大丈夫!? いじめられてない!?」

 と言う店員の声が聞こえてくる。いつも一人の常連が銀髪ピアスカフスごりごりの女連れてきたらそりゃ……ね。すると、背後でモモの声が聞こえてくる。

「大丈、夫、です。彼女は……ボクの友達っ、ですので……」

 途切れ途切れそう言っているのが聞こえてくる。その言葉に私の中の音がきゅううと収束し、妙な暖かさが全身を覆った。

「そう? なら良いけれど……」

「今日、は。彼女の、文化祭で着る服を、つくっ……作ろうかと」

「なるほどねぇ……文化祭、もうそんな時期なのね……まーーた悪ガキたちが店を荒らさなきゃ良いけれど」

 そんな会話を聞きながら、私は店外にあったベンチに座り、スマートフォンを取り出し、一息つく。いつものようにSNSを覗く。そこにはたくさんの狐と犬の動画。私はそんな動画を一つ一つ確認しながら、時間を潰す。店内では、私にはわからない布の話や、刺繡糸の話が聞こえてくる。どうやら毛糸を品定めしていた中年女性も話に入ってきているらしい。あそこまで盛り上がってしまったら、しばらくモモは解放されないだろうなぁ……。そんなことを考えながら、狐の動画に高評価をつけていると。モモの音が近くに寄ってきていることに気が付く。

 私はスマートフォンの画面をロックし、顔を上げる。そこには少々疲れた表情を浮かべているモモの姿が。

「……なんかいつもより、なんか、言葉と会話が、激しかった」

「私のせい?」

「おそらく」

 私はそんなモモの手から紙袋を取る。

「持つよ」

「……わかった」

 モモは素直に手を離し、大きく伸びをする。本当に疲れたのだろう。モモにしては珍しく疲労の色が見える。私はスマートフォンで時刻を確認し、モモに提案する。

「そろそろお昼の時間だから、どこかへ食べに行く? 宣言通りちゃんと奢るよ?」

「うん、そうする」

 モモは頷き、私の手を握る。私はモモの手を引き、大型商業施設の中を歩く。よくわからないブランドの服屋、こじんまりとした靴屋、そして私の目の前に楽器店が目に入る。

 何となく遠くからでも楽器の音が聞こえてきていたので、あるんだろな、とは漠然と考えていた。そこには大人から子供まで色んな人間が楽譜を手に取ったり、無料で触れる楽器を適当に演奏していた。するとモモが一瞬手を震わせる。振り返りモモの顔を見ると。

「大丈夫?」

 とモモが私に問いかけてくる。

 ああ……、なるほど。

「大丈夫。家で弾くのはごめんだけど、外だったら全然平気」

 私は包帯をちらりと見ながら、モモに言う。モモは何だか困ったような表情を浮かべている。私はモモの手を引き、楽器屋のピアノコーナーへ足を踏み入れる。

「えーっと、店員に声かけ……しなくてもいいやつか、珍しい」

 私はそう呟きながら、紙袋を一旦モモに預ける。そして私は息をゆっくりと吐き、楽譜を頭の中に思い描く。過去、何回も練習してきた曲をここで演奏するべきか。それとも……。


『飯田さんの音楽、また聴きたい』


 私は瞼を閉じ、隣に居るモモの音を聞く。私が今、演奏したいのは。

 モモの……。

 私はお試しで弾ける電子ピアノの鍵盤に手を走らせる。ぎこちなさはない。既存曲ではないから、決まった拍も五線譜もオタマジャクシもない。ペダルを踏み、鍵盤に指を這わせる。最後にこうして自由にピアノを弾いたのっていつだったか。もう覚えていない。モモの呼吸が聞こえる。ちらりとモモを見ると、モモは心底驚いたような表情を浮かべている。何故かその表情が面白くて、私はさらに指を跳ね上げる。雰囲気を変え、鍵盤を叩き、ペダルを操る。

 その時。

 聞き慣れた音が急速に近づくのを感じる。慌てた、そして戸惑いの音が混じっている。私は演奏を止め、背後へ振り返る。そこには。

「お姉ちゃん!!」

 音苑ねおんが、私の妹が居た。息を切らし、私の顔を見ている。

「……音苑」

「お姉ちゃんっ、ピアノ……違う、また音楽を……?」

 私の心が何となく冷めていくのを感じる。音苑はきっと私のつたない演奏を聞いて、良い気分にはなっていないだろう。私は鍵盤から手を離すと、モモの紙袋をそっと手に取り。

「行こう、モモ」

 私はそう言って歩き始める。そんな私を音苑が呼び止める。

「お姉ちゃん……!」

「ごめんね、音苑。下手な演奏、聞かせちゃって」

 私はそう吐き捨て、モモの手を引っ張り歩き続ける。ここから、離れたい。

「……飯田さん」

 モモが小さく声を掛ける。私は手を握り返すことで返事をする。すると。

「ごめん、ボクのせいだよね」

 と言う。

 私は小さな声で。

「違うよ。私の、いや」


「私が下手なせいだよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る