ちからない
モモに逃げられてから、文化祭から数日。私はモモに声を掛けることができなかった。学校は……私の目の前に流れている日常は、いつも通りに回っていて、私の中の音など、一切関係なく時間は進んだ。何回もモモに話し掛けようとしたが、モモに拒絶されたことを思い出してしまい、なかなか声を掛けることができなくなってしまった。
元に戻った……そう言われてしまえばそうなのかもしれないが。
けれど、このもやもやをずっと持ち続けるのは、あまり心地良いものではない。私は、自分の頬をぴしゃりと叩き、気合を入れる。
教室の中は、文化祭が終わり、何となく気だるい雰囲気に包まれていた。文化祭が終わって、非日常感が消えたのもあるし、そうそろそろ期末試験も見えてくる頃でもあるからだろう。そんな教室の中、私はモモの席に近づく。自分の中の音が暴れ狂っているのがわかる。緊張し、身体が強張っているのもわかる。それでも私はモモに近づく。
「モモ」
若干声が裏返った。恥ずかしさを覚えながらもモモの返答を待つ。モモは一瞬私のことを見て、本当に小さな、誰も聞こえないような声で。
「なに?」
と返す。私はすぐにモモに伝える。
「放課後、屋上、来てほしい」
するとモモは一瞬、考える様子を見せ、猫を被りながら。
「う、うん……」
と返し、どこかそっぽを向いてしまう。やっぱり拒絶されているのかな……。私は自分の中の不協和音を感じながら、自席に戻る。
右隣を見ると、金ピカ……みっちゃんがいない。今日はサボりかな。
私は緊張の糸を解くように深く深く息を吐く。とりあえず、とりあえずの一歩前進だ。モモとどうやって向き合っていくか、ちゃんと考えないと。私は窓の外を見ながら、思案する。
曇天……分厚い灰色の雲が空一面を覆っていて、薄暗い景色が窓の外の世界に広がっていた。
「……げ」
放課後。屋上へ行こうとした時、私は固まる。屋上へ続く階段、そして行き止まり。埃っぽくて、普段使われていない机と椅子が山積みにされている場所。いつもならそこから屋上への繋げる扉には南京錠が掛かっていないはずだった。しかし、目の前にあるのはしっかりと施錠された南京錠、当たり前だが引っ張ったり揺らしてみたりしても全く開く気配がない。
その時、階下で足音が聞こえる。私はすぐに扉から離れ、踊り場まで歩き、壁に背中を預ける。ここまでで降りれば「立ち入り禁止ではない」と言い訳ができる。私はスマートフォンを取り出し、時計が映っているロック画面を開き、操作しているフリをする。すると、聞き慣れた音が耳に入ってくる。
この音は。
「モモ」
私は彼女の名前を呼ぶ。するとびっくりしたような息が聞こえてくる。
「……飯田さん」
彼女はそう言いながら、階段を上り、私に近づいてくる。そこにはいつも通り……と言うには少々顔色の悪いモモが居た。
私は言葉に困る。今更何を言えば良いのかわからなくなってしまっている。すると、モモが先に声を掛けてくる。
「屋上に行かないの? 雨降ってきた?」
と私に問う。私は慌てて、スマートフォンをしまい、軽く説明する。
「屋上への扉、南京錠あったじゃん? あれがきっちりとしまってた」
「……そう」
モモは少しだけ残念そうな音を鳴らす。そして、そのまま立ち去ろうとする。屋上へ行けないなら、話は終わりだと言わんばかりだ。私は慌ててモモの腕を掴む。
しかし。
「……っ」
モモに振りほどかれてしまう。しかしモモも悲しそうな表情を浮かべている。モモの中の音も……悲しみに満ちた音色へ変化している。私はすぐにもう片方の手で、モモの手を掴む。
「モモ、逃げないで」
私はそう言って、モモを引き寄せ、抱き締める。モモの身体は強張ったが、徐々に力を抜き、私の胸の上で息を吐く。じわっとした熱が私の胸を伝ってくる。
「苦しい」
私に埋まりながら、モモが文句を言う。私は慌てて、モモを少しだけ話す。
「あ、ごめん」
「相変わらず、変態で、わがまま」
「変態は否定させて……」
私はモモを離しながら、そう抗議する。モモはそっぽを向きながら。
「で、どうするつもり? あまりに校内で話したくないんだけど」
と問いかける。私はモモの手を握り締めながら。
「……どっか開いてるところ探そ?」
と言い、先導して歩き始める。しかしモモは指を解き始める。私は再び掴もうとする……が、モモが人差し指と中指だけを絡めたところで掴もうとするのをやめる。
「ボクは目立ちたくない」
「そう、だよね」
私は苦笑いしながら、モモと指二本で繋がる。文化祭以降、モモに話し掛けることすらできていなかったので、たったこれだけでも何だか嬉しかった。
私とモモは階段とか使っていなさそうな教室を物色していった。普段通っている高校なのに、冒険をしているようなそんな不思議な感覚になる。歩き回っている間、何回か生徒とすれ違ったが、一瞬こちらをちらりと見るだけで、あとはそのまま通り過ぎていく。私の銀髪があまりにも目立ちすぎて、モモと手を繋いでいるのが見えないのかもしれない。
「飯田さん」
何となく楽しい気分になっていたその時、モモが私に耳打ちする。何事かと振り返ると、彼女が視聴覚室の準備室の扉に手を掛けているのが見えた。私が首を傾げていると。
「ここ、鍵が壊れているから入れる」
そう言い、扉……引き戸を一瞬持ち上げると、軽い金属音と共に、鍵が解錠され目の前で引き戸が開いた。
「……知ってた?」
「侵入したことならある」
「バレたら、退学だよ?」
「屋上だって、発覚していたら停学でしょう?」
彼女はそう言い、私の手を引っ張って、視聴覚室の準備室の中へと入り、すぐに扉を閉める。準備室の中は、籠った匂い、それと同時に埃が鼻へ入りそうになる。
「モモっ、換気っ」
「……バレたら、退学」
「その前に私たちの呼吸器が壊れる」
私がそう言うと、モモは準備室の中を歩き、窓を開く。そこから冷たい風が入り込み、準備室の空気を入れ換え始める。私は少しずつ呼吸をし始め、やっと鼻呼吸ができるまで落ち着いた。
「どんだけ使ってないのここ……」
「それとなく先生に聞いたことがあるけど、視聴覚室からここへは入れないみたい」
「嘘でしょ」
私はため息を漏らしながら、何年前に印刷されたかわからない黄ばんだプリントで埃をつまんで退かそうとする。
「うへ……」
「箒でも盗んでくる?」
「借りてくる、ね」
「変わらないでしょう?」
モモはそう言うと、自分の髪の毛にくっついた埃をささっと払いのける。そして……。
「で、何の用? 飯田さん」
と本題を切り出した。私は忘れていた緊張の糸がまたピンと張ったのを感じた。私は一呼吸を置き、モモに目をしっかりと見る。
「その、今まで避けられていたからさ。また一緒に居たいなって」
「…………」
モモは私の言葉に返事をせず、窓に近づく。
「飯田さん。元々ボクと一緒にいる条件って何だったか覚えてる?」
「それは……」
それは、モモを殺すこと。最終的にはモモを殺してしまうこと。もちろん覚えている。
「……覚えているみたいだね」
そう言うと、モモは振り返り、私の瞳をジッと見つめる。底なし沼のような淀んだ瞳が、モモの中で渦巻く音が私を射抜く。
「じゃあ、今ここでボクを殺してみてよ」
その言葉に私は即答できなかった。私は喉に音を詰まらせてしまい、空気を通すこともできない。
すると、モモは失望したような悲しそうなため息を漏らす。
「飯田さん。飯田さんはボクに近づきすぎなんだよ。ボクのことを受け入れすぎなんだよ。ボクのことを知りすぎて、ボクのことを……その、勘違いじゃなければ、好きすぎる」
モモの中の悲しそうな音が広がり続ける。壊れそうなくらい、内部で響き続けている。
「ボクはあの日、抱いちゃいけない感情を抱いてしまった。あくまでボクのことを終わらせてくれる人間に、女の子に劣情を抱いてしまった」
「モモ……」
「ボクは女の子ままで死にたい。ボクは変わりたくない」
「ボクは今のボクを受け入れられない」
帰り道。モモは自分の感情を吐露した後、そのまま準備室から去ってしまった。歩くような速度だったため、追いかけることもできたのだが、私には追うことができなかった。
モモに指摘されたこと。
『ボクのことを受け入れすぎなんだよ。ボクのことを知りすぎて、ボクのことを……その、勘違いじゃなければ、好きすぎる』
それは、事実だと思う。私はモモのことが好きで、好きだからこそ殺せなくなってしまっている。モモを殺すことを考えると、私の中の音が暴れ狂うのを感じる。どんな殺し方であっても、私はモモを殺した瞬間に壊れてしまう……そんな気がする。
ふと、私は寒さを感じ、自分の身体を抱き締める。文化祭が終わってから一気に寒くなってきた気がする。私は首元をそっと隠しながら、空を見上げる。相変わらず分厚い雲が広がっている。今の季節は日が落ちるのも早く、帰り道が街灯の光に照らされ始める。その冷たい光景がより一層寒さを引き立てる。
今日は家に帰ったら、マフラーを出そう。ついでにもこもこのひざ掛けも出そう。そして明日の授業はさっさと机の上で寝てしまおう。私は点灯する街灯を見ながらそう考える。モモのことを考えないように、何も感じないように、全てを忘れようと、過去へ戻ろうとする。しかし、頭の中には彼女の顔が浮かび続ける。
モモの姿がずっと頭の中でちらつき続ける。モモの音が、耳から離れない。車の雑音も、人々の話し声も、靴のソールの音も。全部、私の耳の奥まで入ってこない。私はぼーっと歩き続け、そして、いつの間にか、右手に鍵を握り締めていた。
鍵、開けなきゃ。
私は玄関の鍵を解錠して、中へ入る。すると、そこには楽譜と筆記用具を持っている妹、
「お姉ちゃん……? どっか具合悪いの?」
音苑は黒髪をかき上げながら、私の顔を覗く。そんなに顔色が悪かったのか? 私は玄関の壁に引っかかっている鏡を覗く。そこには普段の私よりも人相の悪い私がそこに居た。
……なるほど、これは心配されてもおかしくない。私はすぐに靴を脱ぎ、自分のスリッパに足をつっかける。
「別に、大丈夫」
「でも……!」
音苑が私に触れようとしたその時、一階ダイニングから母親が扉を開く。楽譜を持っているあたり、音苑の指導をするために持ってきたのだろう。
「音苑ちゃん、玄関で何をしているの? 寒いでしょう?」
母親はそう言って、音苑の腕を掴む。その手つきは決して優しいものでない。音苑は私のことを見ながら、下唇を噛んでいる。
「でも、お姉ちゃんが……」
「そんな出来損ないのことなんてどうでも良いでしょう!? 音苑ちゃんはピアノコンクールが近いことくらいわかっているでしょう!?」
高音、高圧。鼓膜どころか脳みそも貫きかねない声に私は辟易する。すぐに私は。
「音苑。練習、したら? こんな屑相手にしているだけ時間の無駄だよ」
私はそう言い、自室へ向かって階段を上り始める。背後から。
「お姉ちゃ……」
と私を呼び止めようとする音苑の声が聞こえてきたが、すぐに母親の声に遮られる。
「音苑ちゃんは時間がないのよ!? 早く来なさい! 昨日注意したあの小節の練習をするんでしょう!?」
ヒステリックな母親の声に、音苑は小さく呻き。
「……わかった。ごめんなさい」
と言い、ピアノ室へ向かっていった。残っていた母親は私に向かって。
「邪魔しないでくれる? 音苑ちゃんは大事な時期なのよ?」
と毒づく。私はその声を無視して、階段を上がる。すると、私の背後で何かが破裂するような音が鳴り弾く。振り返ってみると、そこにはたくさんの破片。食器か何かを投げつけやがったなあいつ……。
私は気にせず階段を上り、自室へ行く。学生鞄をベッドへ放り投げ、部屋着に着替える。そしてピアノの演奏が聞こえ始めたあたりで、自室から出て、リビングからゴミ袋を持ち出し、粉々に砕け散った食器を片付け始める。片づけておかないと、これを理由に母親から何かしらの因縁をつけられるのが目に見えている。手を切らないように慎重に破片、欠片を集める。ピアノ室からは母親の厳しい声が聞こえてくる。
『ちゃんと聞きなさい!! 余計な表現なんかいらないの!!』
『はい……っ』
ピアノコンクール、それも全国大会が控えている彼女にとっては今が正念場なのだろう。私は小さく。
「頑張れ、音苑」
と零す。彼女には聞こえないだろうが、お姉ちゃんは本当に応援している。
私には絶対に到達できない場所だから、才能がある音苑には本当に頑張ってほしい。
だけど……。
「ここまで才能の差を見せらえるときっついなぁ」
そんな言葉も零れてしまった。
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