ない

 夜、LEDで照らされた部屋。

 女子少年院での生活は比較的退屈なものだ。規則はそれなりに厳しく、更生のために色んなプログラムをこなす必要がある。最初のうちは不真面目に過ごそうかとも考えたが、すでに両親や妹に縁を切られていたことを思い出し、真面目に過ごすことにした。髪の毛も青のインナーカラーを抜き、脱色を繰り返し銀色に近かった髪色も元の髪色へ戻した。より正確に言うと、時間が経過して、生え変わったと言うべきだろうか。

「飯田、まーたオタマジャクシ書いてんのか? 相変わらず好きだねぇ」

 そんなことを言われ、私は顔をあげる。そこには女子少年院の同じ部屋で寝泊まりしているルームメイトの姿があった。どうやら彼女が実施している更生プログラムが終わり、部屋へ戻ってきていたみたいだ。

 私の手元には、あまり配給されることのない紙と鉛筆。その貴重な紙に私は五線譜と音符を描いていた。ここは娯楽と呼ばれるものが非常に少なく、とても退屈で、つい環境音を音楽に変えてしまう。あれだけ音楽から逃げて来たのに、全てを失ってしまった今、音楽に縋ってしまうのは何だか皮肉めいていた。

「なんか、手癖になってるみたい。嫌ならやめるよ魚住さん」

 私がそう言うと、ルームメイト……魚住さんが肩をすくめ。

「やめなくて良いよ。別にうるさいわけでもねーし」

 そう言い、彼女は欠伸をしながら寝巻に着替え始める。私はそっと目線を五線譜に戻し、鉛筆を握る。

「……そんなさ、音楽好きだったら、センセーに一声かけりゃあ楽器触らせてもらえるんじゃねぇか?」

 寝巻に着替えている魚住さんがそんなことを言う。私は苦笑いを浮かべながら。

「音楽が好きなわけじゃないよ。娯楽がないからやってるだけ。それに、先生にも迷惑がかかっちゃう」

 と言う。

 魚住さんは「ふーん」と言いながらも、何となく不服そうな顔をしている。事実、今すぐ楽器を奏でたいかと問われると、『No』と言うだろう。

 私はただ、頭の中に響き続けている雑音を、外に出したいだけ、それは紙と鉛筆だけでも十分に発散できるのだ。

「ま、ほどほどにしとけよ? 寝坊して先生に一緒まとめて怒られたくないしな」

 彼女はそう言うと、大きく伸びをする。私は……。

「そうだね。私もそろそろ寝ることにする」

 そう言い、紙と鉛筆を机の引き出しにそっとしまい、この部屋へ帰って来た時に敷いた布団の上に身を預ける。太陽の香りがする。今日は晴れていたし、誰かが干してくれたのだろう。

 魚住さんが部屋の電灯を消したことを確認し、私は瞳を閉じる。すぐに意識はなくなり、記憶に残らない夢を見始める。記憶には残っていないが、私は毎晩どんな夢を見ているのか、わかっている。


 モモ、今日も夢の中でモモを殺すよ。



 朝、やけにやかましいチャイムで目を覚ます。耳が良い方の私は、毎回毎回このチャイムに驚かされ、飛び起きてしまう。私は大きな欠伸を一つすると、布団から起き上がる。。

「うげ、また汗かいてる」

 私は小さく文句を言うと、身支度を始め、布団を畳み、部屋の隅へと追いやる。ルームメイトもすでに起床しており、私よりも早く身支度を済ませていた。

「飯田は……今日、職業訓練だっけか」

「そんなところ」

「職業訓練ねぇ……詐欺師の職業訓練とかねぇかな」

「詐欺師になったとしても、ここへ戻ってくるのがオチじゃない? 魚住さん嘘つくの下手じゃん」

「確かに、それもそうだな」

 私たちはそんな他愛のない会話を交わしながら、着替えを済ませ、点呼の準備をする。すぐに先生がここへやってきて、私たちのことを確認するはずだ。

「お前は音楽家とかになるのか?」

「……なんで?」

「しょっちゅうオタマジャクシ書いてるからだよ」

 彼女の言葉に私は何か返そうと、口を開く。その直後。

「おはようございます。点呼を始めます」

 部屋の扉が開き、先生が入ってくる。私たちは姿勢を正し、挨拶をする。今日も一日、女子少年院の生活が始まる。



 私と魚住さんは、食堂へ行き、質素だけどかつての実家のご飯よりもまともな食事をとる。苦手なばかり入っていると嘆いている子も居たが、卵の殻とかが入っていないだけマシだと思ってしまう。ルームメイトである関係上、魚住さんと食事をとることが多いのだが、魚住さんは静かに味わいながら、食事をとっていることが多い。一度だけ彼女にここの料理が美味しいのかと尋ねたことがあるが。

『多分私のほうがうまく作れる』

 と返すだけだった。味わっているのは別の理由があるのだろうか……まあ、そこまで踏み込むつもりはないが。

 私は味覚があまり強くないので、パンのようなもそもそと大きいものよりも、すぐに飲み込める麵、もしくは鼻に匂いが通り抜ける柑橘系のものが好ましいのだが、そんなわがまま、言えるわけもない。

 今日はご飯と味噌汁、納豆にわかめとタコの酢の物、そしえ目玉焼き。私と魚住さんは黙ってそれを食べ終えると、各々移動を始める。

 ルームメイトと言えど、更生プログラムは別々であるからだ。

「また昼なー」

「うん、また昼」

 私と魚住さんはそんな言葉を交わして別れる。次に会うのは昼休みだ。

 退屈な更生プログラムは今日も続く。



 昼休み。私は大きく広い談話室の椅子で睡眠をむさぼっていた。

 しっかりと眠っているはずの私だったが、どうやら夢でモモに会っている分、しっかりと眠れていないらしい。おかげさまで一日中ずっと眠いままだ。

 精神科医に相談したこともあるが、経過観察するしかないと言われてしまった。薬とかでパッパッと治すわけにもいかないのだろう。

「ねえ、これ、このバンド知ってる?」

 突然、半分眠っている私の耳へそんな雑音が入ってくる。女子少年院とは言っても、外の世界に一切触れないというわけではなく、一日数時間ほどスマートフォンを使って、外へアクセスすることができる。もちろん、閲覧できるサイトはかなり制限されているが。

「ん? あぁ、そのバンドか。知ってる知ってる。最近いきなり有名になったよね」

 バンドの話か。私は再び眠りにつこうとする。私があまり興味がない話題になりそうだったからだ。

 しかし。

「エッセンホイップ・キャンディポップって言うんだけど、こんな甘そうな名前してるのに、ぎったぎたに冷たい曲作ってんだよね」

「そうなの!? 名前的に甘くてふわふわなラブソングばっかり歌っていると思ったんだけど」

「いやもう全然違うんだよ。何て言うんだろ……無力な自分ことを傷つけるような、力不足を嘆くような曲ばっかりだよ」

「へぇ……」

「元々は将来有望なピアニストだったらしいんだけど、急にピアニストの道を蹴って、バンドに入ったんだって」

「なんとまあもったいない」

「ほら、ここに記事があるでしょ? 『自分には規則正しい決まった音色の……灰色の曲しか作れない。でも、私の憧れの人に届くように、曲を作り続けなければならない』ってさ」

「何と言うか……苦しそう」

「ね」

 雑音……と切り捨てるには、少々無視できない要素がいくつも出てきた。音苑のことではないとは思うが、『将来有望なピアニストだった』って言うのに非常に引っかかりを覚える。

「……って、また過去ばかり見てる」

 私は誰にも聞こえないように小さな声でそう呟く。もうそろそろ昼休憩も終わりの時間だ。とその時、学問担当の女性が、談話室へ入ってくる。息を切らしているあたり、急いでここへ来たようだ。

「ごめん!! ちょっとトラブルが発生して、別の教室使うことになったの!!」

「トラブル?」

 誰となしにそう呟く。すると学問担当の女性は困ったような顔をし。

「先日入ってきた子が暴れて色々とめちゃくちゃになっちゃったのよ」

 なるほどね。この施設の中ではかなり珍しいトラブルだ。ここへ来る人間でも暴れることなんてあるんだ。

「ともかく、レクリエーションルームに来て頂戴!! そこで自習してて!!」

 学問担当の女性はそう言うと、足早に談話室を去って行った。まだまだ後処理が終わっていないのだろう。

「レクリエーションルームってあそこか? 初めてじゃね?」

「確かに、少なくともウチらは入れない場所よなー」

 そんな会話を交わしながら、生徒たちは移動を始める。

 私も移動するか。

 そんなことを考えながら、椅子から立ち上がり、猫みたいに、モモみたいに大きく伸びをした。



 レクリエーションルームには初めて入ったが、他の教室に比べて少し広いくらいで、これと言って、感想はない。他の生徒たちも最初こそ興奮気味だったが、だんだんと興味を失っていき、各々塊になって、雑談を始める。

 すると、また別オングループがレクリエーションルームに入ってくる。どうやら別のグループにも影響があったみたいだ。

「お、飯田ー、奇遇じゃん」

 すると、そのグループの中から私へ声を掛けてくる人が。私に声を掛けてくる人間なんて大人を除けば一人しかいない。

「魚住さんも自習?」

 私は魚住さんに言葉を返す。彼女は肩をすくめながら。

「どっかの暴れるさんがド派手にやってくれてるみたいでね」

 と言う。そんなに暴れているのか……。

「ま、私としては時間が潰れるから良いんだけどね」

 と魚住さんは続け、近くの椅子を引き寄せ、どかっと座る。

「……それ埃かぶってない?」

「気のせい気のせい。細かいこと気にしてたらやってらんないって」

「いや、さすがにちょっとは気にしようよ。真っ白じゃん」

「見えなーい」

 豪快に笑いながら、魚住さんは椅子の上で足を組む。

 なんというか、この人は……。

 呆れて魚住さんから目を逸らす。ふと無造作に壁際に置かれているアップライトピアノが目に入る。長い間誰も触っていなかったのか、埃がうっすらと積もっている。私はフラフラと導かれるように、アップライトピアノに近づく。家にあったピアノには決して近づくことはなかったのに、今更縋ってしまうなんて。

 私は自身に呆れながら、アップライトピアノの蓋を開き、埃避けの布を取り払う。

「…………」

 私は鍵盤の上に指を這わせる。鍵盤を触るのはいつぶりだろうか。指の一本が沈み、鈍い音を奏でる。音から察するに、三年は調律されていないようだ。微かに音がずれてる。

 まあ、これ程度ならノイズにならない。機械の様に弾く必要はないのだから。

 私は熱に浮かされたように身体を揺らしながら、鍵盤を叩き、音に色を付け始める。最初は右手人差し指。次に右手の指全体。そして両手。鍵盤は突然の仕事に驚きながらも、私の演奏に答えてくれる。突然の音色に周りの人間が驚いたのだろうか、若干空気が揺れている。そんな雑音を私は鍵盤を叩くことで表現する。フットペダルも使い、旋律を調整する。

 昔から、意味のない旋律を奏でるのが好きだった。頭の中に浮かんできたフレーズを 音に乗せるのが好きだった。妹には好評だったが両親にはいつも酷く罵られていた。

『意味のない演奏に価値はない』

 と。

 両親は私達を一流のピアニストにするためだけに注力してきた。自分たちと同じように、それしか知らないから。

 だから私は、好きに演奏することをやめてしまった。妹は……良い子だから、両親を信じて機械のようにずっと正確な演奏を続けた。

 ……そっか、今はもう好きな音楽を奏でても良いんだ。


 私にはもう誰も守れないから。


 鍵盤に指を這わせる。モモのことを思い出しながら。ずっとモモへ伝えたかった、伝えるべきだったことを弦を通し、響かせる。

 大好きだったモモ、ずっと大好きで一緒に居たかったモモ、私がすべてを奪ってしまったモモ、私のせいで壊れてしまったモモ。

 私は彼女を、李を心から愛していたのに。

 後悔、懺悔。モモへの感情を発露させながら、かつて聞こえてたモモの音を乗せる。重なってはいけない、二度と交わることはない。私が壊してしまったモモへの音楽。いつの間にか視界が歪んでいる。悲しむ権利なんてない、モモを奪ったのは、私なのだから。

 鎮魂歌ですらない、モモを勝手に想う、身勝手な音楽を私は終わらせる。鍵盤から指を離し、深く息を吸う。耳が仕事を思い出したかのように、雑音が私の耳へ入ってくる。

 どうやら、私の演奏のせいでかなりざわついているようだ。

「すっごい……ピアノだけなのに、その、何て言えば良いんだ? 繊細? 緻密? って言うのか?」

 いつの間にか後ろに居た魚住さんが、心底驚いたような顔をしながら。私の楽曲に感想を述べてくれる。そして。

「なぁ、その曲、題名は何て言うんだ?」

 と私に問う。

 私は袖で顔を拭い、振り返る。

 何て題名の曲? それは……。



「ない」



END

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ない。 霧乃有紗 @ALisaMisty

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ