もどれない
扉がノックされる。私はその音で鉛筆から手を離し、机から離れる。すぐに扉は開かれ、女看守が姿を現す。そして、私に向かって言葉を投げかける。
「ご両親との面会だ」
「……わかりました」
憂鬱な気分になりながら、立ち上がる。すでに何回か両親と面会をしたのだが、まったく無駄な時間が流れるだった。そんな時間が流れるくらいなら、モモの音を楽譜へ落とし込みたい……そう考えてしまう。
女看守の前に立ち、軽いボディーチェックを受け、手首を差し出す。女看守はゆっくりと私の手首に手錠を繋げ、私の肩を叩き外へ行くように促す。頷いた私は灰色の部屋から外へと歩き出した。
面会室までは五分も掛からない。その間にいくつもの灰色の扉があり、その扉の奥には私のような人間が居る……らしい。微かに聞こえてくる雑音くらいでしか、情報が入ってこないから、何とも言えない。やがて、面会室へ辿り着き、女看守は扉を開く。目の前には大きく、透明な壁が広がっている。声が届くように小さな穴が円形に並んでいる壁の前に、私の母親が座っていた。そして後ろには無関係を装っている父親と、ずっと俯いている妹……
私は気が進まなかったが、このままだと埒が明かない。私は小さな穴が並んでいる壁の前に設置されている椅子へ腰掛ける。すると後ろで扉が閉められる音が聞こえてくる。飯田家水入らずということだ。
「今日はね、大切なことを知らせに来たの」
「…………」
私は母親の言葉に返事をしない。返したところで意味などないから。母親は構わず言葉を続ける。
「あなたと縁を切ることにしたわ」
「…………」
「相変わらず生意気で私たちのことを苛つかせる子ね……」
母親は舌打ちしながら、私に向かってそう吐き捨てる。縁を切られる……か、これもまた仕方がないことなのだろう。
「良かったよ。これ以上あんたたちと顔を合わせる必要もなさそうだし」
私がそう言うと、母親は透明な壁を拳で殴る。当たり前のことだが、その拳は私には届かない。
「……音苑ちゃんのブランドばかり傷つけやがって、お前なんか産まなきゃ良かった」
「別に私もあんたから産まれたいとは思ってなかったよ」
「親不孝者……!」
「子供に何もしていないのに見返りを求めないでよ」
「誰のおかげで暮らせたと思っているの!?」
母親はヒステリックに叫び、何度も壁を叩く。すると、私の後ろの扉が開き、女看守が慌てて顔を覗かせる。しかし壁を叩いているのが私ではなくて、母親だと悟ったのか。
「もう少し静かにお願いします」
そう言って、女看守は外へ出て行ってしまった。他人が居ると、静かで良いのだが……規則的に無理なのだろう。
母親は興奮気味に鼻を鳴らしながら、乱暴に立ち上がる。そして。
「さ、こんなやつ放っておいて、手続きしてしまいましょう? もう、赤の他人ですから」
母親……だったものは、そう言い音苑の背中を押す。音苑は戸惑ったような顔をし、抵抗する。しかし、母親だったものの力は強かったらしく、引きずられるように連れて行かれる。その時、音苑は慌てて言葉を連ねる。
「お母さん! 私、その、トイレに行きたいからさ! 手続きしててくれないかな?」
音苑の言葉に、母親だったものは一瞬だけ訝しそうな表情を浮かべたものの、すぐに笑顔に変わり。
「良いわよ。そんなに時間かからないと思うから」
そう言い、相変わらず面倒くさそうで不機嫌そうな顔の父親だったものと外へ出ていく。音苑は両親が外へ出た瞬間、私に向かって。
「お姉ちゃん、何であの人を、殺したの?」
と問う。私はすぐに。
「ウザかったから」
と今までどおりに返した。しかし……。
「とぼけないでよ、お姉ちゃん、嘘ついてる」
音苑は私の瞳を見つめたまま言う。私は……。
「どうしてそう思うの?」
冷たく、突き放すように言う。あの両親……だったもののことだ、下手に私と関わっていると、この子にまで被害が及びかねない。すると音苑は拳を握りしめ俯く。
「昔の、お姉ちゃんなら、そんな無意味なことしないから」
と言い放った。さらに。
「今だって、きっと変わってない、私はお姉ちゃんのこと」
音苑は顔を上げ、私の顔を再びジッと見つめ。
「信じてるから」
と言った。
まいった、凄く困ることになった。このまま教えないでいると、音苑はここからてこでも動かないだろう。私は髪の毛を掻きむしりながら、足を組み直し、頬杖をつく。
「そう。じゃあ、特別に教えてあげる」
私は息を吸い、深く吐く。
「あの子に、モモに頼まれたんだよ、殺してくれって」
私がそう言うと、音苑は俯き、力なく椅子の上に腰を落とす。そんな音苑の様子を見て私は。
「失望したでしょ? 頼まれたからって、普通人は殺さないよね」
「してない」
「音苑、気を遣わなくても」
「遣ってない!!」
音苑は顔を上げ、目を真っ赤にして私に向かって叫ぶ。
「お姉ちゃんは、私の、憧れ、だから……!」
音苑のその言葉に、私は目を逸らした。眩しすぎて、直視ができない。純粋な憧れの眼差し。
「憧れなんて、嘘だよ。音苑の方が才能はる。私は」
「私はお姉ちゃんみたいに音楽を作れない」
「…………」
音苑は鍵盤を叩くように、指を立てる。
「お姉ちゃんは昔から色んな音で音楽を作り上げた。生活音、雑音、人の音、感情の音……お姉ちゃんは何からでも音楽を作った。今だって、きっと作ってる」
彼女は涙を流しながら、私に問う。
「お姉ちゃん、縁を切るなんて、嘘だよね? お母さんが言っているのだって」
「……音苑、多分あの人は本気だよ。司法がなんだって人間じゃない。一度決めたら曲げることはないよ」
「そんな……」
「それに、多分二度と会うことはない、かな。音苑の道は邪魔したくないし」
「お姉ちゃん……?」
私は息を深く吐く。
「音苑は私みたいに曲がっちゃ駄目だよ」
「嫌……嫌だ……」
「頑張れ、音苑。音苑は、私……お姉ちゃんにとって、自慢の妹だから」
そう言い私は微笑む。その言葉に音苑は顔を歪ませ再び涙を浮かべる。
その時だった、音苑の背後にある扉が開き、両親だったものの姿が見える。
「あら、こんなところに居たの? こんな犯罪者の近くに居ちゃ駄目よ。悪い菌が移っちゃうわ」
そう言い、音苑の腕を掴み引っ張る。
「お姉ちゃん、やだ、お姉ちゃん!」
「音苑。私はもう音苑にお姉ちゃんって呼ばれる権利……いや、音苑『さん』はもう私のことをお姉ちゃんって呼ぶ権利はないよ」
私は目を音苑と両親に背を向けそう言う。後ろでは音苑がしきりに私のことを呼んでいる。無視しろ。いや、しなければならない。
「お姉ちゃん! お姉ちゃん!」
「ほら、音苑。あの人はもうお姉ちゃんじゃないのよ? 赤の他人よ、赤の、他人」
「離して! 離してよ! お姉ちゃん!」
音苑は私のことを呼び続ける。本当なら今すぐにでも音苑のところへ行きたい。プラスチック越しだったとしても、網膜に妹の姿を焼きつけたい。
でも、私にはそんな資格はない。拳を握りしめ、背中を向け続ける。音苑は何度も何度も私を呼び続ける。しかし、両親に引きずられたのだろう。そのうち聞こえなくなる。それでも私は振り向くことができなかった。いや、動くこともできなかった。
「飯田さん?
すると、面会時間が終わったのか、女看守が私の名前を呼んでいるのが聞こえる。私は顔を上げ、手首も同時にあげる。
「すみません。ちょっとぼーっとしてました。移動するんですよね」
私がそう言うと、女看守は意外そうな顔をし、私の手錠をそっと引っ張る。面会室から外へ出て、無機質な廊下を歩き始める。
「……親子の縁を切られたのに、妙にさっぱりしているわね」
女看守にそう言われる。私は自嘲気味に笑いながら。
「良いんですよ。あれで妹は誰にも邪魔されず、音楽への道に行けますから。私と言う障害も、いなくなりましたから」
私がそう言うと、女看守は小さく息を吐き。
「そんなことないと思うけど。きっと彼女、貴女のこと、諦めてないわよ?」
と言う。
私はそんな女看守の言葉を聞き、思わず笑ってしまう。
「それはないですよ。私なんて、ただの邪魔者だったから」
「……そう」
女看守は酷く悲しそうな顔をして、私を連れる。これからしばらくはまた灰色の部屋で拘束されるとのこと。これからの処遇はまだ決まっていないらしい。しばらくは音楽を書き連ねることくらいしかできないかな……なんてことを考えていると、突然。
「すんません! 新聞の者ですケド!」
急にスーツ姿の男の人……背が大きく、ぱっと見好青年が私に話しかけてくる。しかし私は彼の中から聞こえてくる音で一気に顔をしかめた。
機械の音、そして期待と侮蔑の感情の音。この大人は……人を好き勝手弄り回すような人だ。
「ちょっと! ここは関係者以外立ち入り禁止ですよ!?」
女看守が私と青年……いや、新聞記者の間に挟まり、私のことを守ろうとする、しかしそんなことはお構いなしに、新聞記者は私に問いかけてくる。
「何で
「ちょっとあなたねぇ!」
「何で邪魔するんですか! 世間はこの事件に釘付けなんですよ!?」
私は少し息を吐きながら、観察を続ける。つまらない、本当につまらない。
「その髪色の経緯は? 蔵本李さんのことを男装させたりして、いじめていたんですよね? 両親とも仲が悪そうですね! それと妹さんがあのピアノコンクールの」
私は、その言葉を聞き、一気に私の中の何かが沸騰した。
「ウザかったから」
「……はい?」
「ウザかったから、モモ……蔵本李のことを殺した」
「飯田さん!?」
私は怒りを抑えられない。妹のことを言われたから? それともモモのことを馬鹿にされたから? いや、どっちもだ。そうだ、もう私には飯田家と言う、音苑と言う守るべき子もいない。
「私は、お前のことも大嫌いだ。お前のことも」
新聞記者の靴を踵で踏みつけながら、顔を近づける。痛みで暴れかけている新聞記者を逃がさないように。
「殺してやろうか。一人も二人も変わらないでしょう?」
「ストップ! 飯田さん離れて!! 警備員! こいつをつまみ出せ!!」
女看守がそう叫び、私と新聞記者を引き剥がす。そして、女看守は私のことを少しだけ強く引っ張り。
「……落ち着こう?」
と声を小さくし、私のことを落ち着かせる。
新聞記者が目の前で叩きだされるところを見ながら、私は荒く呼吸する。
「ごめんなさい」
私は静かに謝る。実際、彼女は悪くない。女看守は小さなため息を漏らしながら。
「移動しよっか」
それでも優しく私へ声を掛けてくれる。仕事上、こういう荒れ事には慣れているのだろう。
「年上の、どうしようもない大人の意見だけど」
女看守は声を落としながら、言葉を続ける。
「もうちょっと自分のこと大切にしても良いと思うよ?」
そう、言われてしまった。
次の日、私が鉛筆で音を描いていると、扉をノックされる。鉛筆を手を離し机から離れる。ゆっくり開かれる扉の奥には女看守といつぞやの女子少年院の山本さん。
ああ、私の行き先が決まったのか。
「私の行き場所、決まってんですね」
私がそう言うと、山本さんは小さく頷く。私は大きく伸びをし、手錠を掛けるために手首を上げる。しかし女看守は首を振り。
「今日は掛けない」
と言う。私は首を傾げたが、そう決まりなのか? と思い込み、そのまま歩き出し始める。
……まあここで私が全力疾走で逃げたとしても、逃げ切ることなんてできないだろうけど。
「今日は色々と説明することになるんだけど、ちゃんと眠れた?」
山本さんがそんなことを訪ねてくる。私は首を小さく縦に振る。すると、山本さんは。
「それはよかった」
と言い、何かを差し出してくる。それは施設のパンフレット。私は手に取り歩く。あとでゆっくりと読むか。
長い間入っていたような、そうでもないような……そんな灰色の建物から外へ出る。すると、見覚えのある金髪が建物の近くで立っていた。
「……みっちゃん?」
私がそう声を掛けると、みっちゃんは顔を上げ。
「おせーよ、凍えるかと思ったわ」
そう言い、彼女は身体を震わせる。まさか、ずっと待っていたのだろうか。
「一言だけ、宣言したいことがあって、な」
みっちゃんは山本さんをちらりと見ながらも、私に向かって言葉を紡ぐ。
「飯田、あーいや。もういっか。音亜」
彼女……
「ウチはウチの戦いに行く。音亜も頑張れ」
そう言って、寒くて凍えていたはずなのに、満月は元気よく走り去っていく。彼女は彼女なりに大変だったのだろう。
「寒い」
私は呟く。すると山本さんが私へ言葉を掛ける。
「車で移動しましょう? ……余計な虫さんも居るみたいだし」
山本さんはみっちゃんが去った方角とは違うところを凝視しながら呟く。そこにはこそこそとしている大人の姿。
昨日の新聞記者みたいな人間なのだろうか。
そんなことを考えながら、私は歩く。
私はもう、この場所には戻れないだろう。
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