ない。

霧乃有紗

あるけない

 空虚、私の中身はまるでない。そのはずなのに、私は生きている。

 人殺し、そう呼ばれ始めてから、何ヵ月経っただろう。私は暗く狭い部屋で一人、膝を抱えて、座り続ける。小さな窓から見える空は暗い紺色であり、点々と星が瞬いているのがわかる。今日は久しぶりにモモの母親と会ったが、相変わらず人の話を聞かず、ただ喚き散らしていた。大の大人が子供の様に叫ぶ様子は本当に見るに堪えない。

 今日会ったモモの母親のことを思い出しながら、私は床の上に転がっている鉛筆を持ち、月と星の光を頼りに支給された紙へ五線譜と音符を書き連ねる。頭の中で鳴り続けている雑音を外に追いやるため。


 モモのことを忘れてしまわないように。


 私がモモと知り合ったきっかけは単純なものだった。同じ高校、同じクラス、ただそれだけだった。彼女は一言で言ってしまえば地味な人間であり、一切目立つことのない寡黙な人間だった。変わったところと言えば、年がら年中タートルネックの長袖を着ていることくらいだろうか。先生曰く、寒がりだから許している……とのお達しだった。モモはクラスに友人がおらず、教室の中で誰かと談笑をしている姿は一度も見たことがない。時折、クラスの派手な人間……所謂いわゆるスクールカーストの上位に位置する人たちから、ちょっかいをかけられることはあったが、いつからかそれもなくなった。

 ……まぁ、ちょっかいをかけなくなったのは、私のせいだろうが。まずはそこから話をすることにしよう。

 はじめは確か、まだ暑かったころ、初秋だった気がする。


 ◇ ◇ ◇


 季節は秋。夏休みはとうに過ぎ去り、いい加減休み気分も抜け去ったある日。私は一人、教室のベランダに座り、とある作業に勤しんでいた。

 『学級日誌』

 日直当番が、その日起きた出来事を軽く書く、形だけの提出物。本来ならさっさと学校から去り、どこかへ遊びに行きたかったのだが、運悪く相方の日直当番が、外せない用事があると言い始めた。どうやら吹奏楽部のレギュラー選抜オーディションが控えていて、どうしてもオーディション前に練習がしたいとのことだった。部活を持ち出されてしまっては、帰宅部の私の立場は弱い。仕方がないので、代わりに私が記入することになった。

 帰りのホームルームが終わってからそんなに時間が経っていないこともあり、上に広がる空から降り注ぐ日光はまだまだ高い。直射日光こそ当たっていないが、ムシムシとした熱気が私の体温を上げる。紅葉し、ひらひらとイチョウの舞い落ちる音を聴いては、額からじっとりと浮かぶ汗を、デフォルメされたハスキーのアップリケがくっついているハンカチで拭う。

 こんな面倒なもの、適当に、かつ迅速に書いてしまおう。

 汗で蒸れる手首の包帯を締め直し、軽く舌で下唇を舐めながら私はシャープペンシルを握り直す。多少、支離滅裂な内容を書いていたとしても、今の担任なら許してくれるだろう。私は二限目の現代国語の授業内容をでっち上げようとしたその時だった。

 派手な音と共に、教室が揺れる。私は思わず身体をびくんと震わせる。何事だろうと立ち上がり、開いた窓からはためているカーテンの隙間から、教室の様子を伺う。すると、そこには派手なグループ(と、言っても私みたいにぶっちぎりに校則を破ってるわけではない、何とも半端な連中)が一人の女子を囲み凄んでいる。

「お前さ、あたしらのこと、馬鹿にしてんだろ?」

 そう言ったかと思うと、派手なグループの一人……江藤が女子の髪の毛を掴む。女子のくしゃくしゃの髪の毛がギリ、と音を鳴らす。

「し、して、ない」

「あ? 聞こえねぇ……よ!!」

 江藤はそう言いながらくせっ毛の女子を投げ飛ばす。あいつの名前はえーっと……。

「蔵本、あたしらはさ、親切心からいってんの」

 あぁ、そうだ蔵本だ。蔵本李くらもとすもも

 旨そうな名前だな……と、寝ぼけた脳みそで考えたことを思い出す。しかし、今日はやけに江藤が苛立っている。元々彼女は色恋沙汰が多く、苛立っているところをしょっちゅう見掛ける。そんな彼女だが、手下……腰巾着? を引き連れてここまで一人の女子に執着するのも珍しい。

「あんたが、あたしの彼氏と寝れば良い、それだけじゃん」

 待て、なんてことさせようしてんだ。

 私はドキドキしながら、ベランダで様子を伺い続ける。気分は、昼間に何回も再放送している刑事ドラマの張り込みシーンだ。どこで飛び出そうか、そんなことばかりを考えている。

「い、嫌です」

「はぁ? なんて言った?」

「嫌で……」

 蔵本が最後まで言葉を言い終わらないうちに、江藤は蔵本の胸ぐらを掴み、いとも簡単に持ち上げる。江藤はバレーボール部に所属しており、身長も女子の中ではかなり高いほうだ。対して、蔵本は女子の中でも相当小さく、江藤に持ち上げられている姿は中学生のようにしか見えない。

「あたしの彼氏と寝ることができんだよ? あんなイケメンとだよ? こんな良いことねぇだろ?」

「…………」

 おそらく、胸ぐらを掴まれ宙に浮かされているため、息ができていないのだろう。蔵本は言葉を発しない。すると、それに気がついたのか、江藤の腰巾着の一人が慌てて。

「だめだよ、死んじゃうって」

 と江藤に耳打ちする。

 その時だった。蔵本の呼吸が変化する。私は慌てて蔵本を見てみると、蔵本の顔が、怯えた表情から酷くつまらなさそうな表情に変貌する。持ち上げられて苦しいはずなのに、全く動じていないのも不自然だ。江藤はと言うと、小さく舌打ちをし、蔵本を地面に落とす。足に力を込めていなかったのか、蔵本はそのまま教室の床に崩れる。

「……なあ、これ以上苦しい思いしたくないでしょ? あたしの『お願い』聞いてくれるよね?」

 江藤は凄み、蔵本に迫る。その時、ベランダから覗き込んでいた私と蔵本の目線が合わさった。慌てて隠れようとしたが、蔵本はぼぅっとした目でこちらを見ている。何を考えているのかは窺い知れない。

「くだらない」

 小さく彼女……蔵本は言う。その言葉に江藤が固まる。自分が何を言われているのか、わからなかったのだろう。しかし、すぐに憤怒の表情に変わると、蔵本に掴みかかろうとする。相変わらず蔵本は私と目線を合わせていて、逸らす気はないらしい。

 ……仕方がない。

「うるさいな、何してんの?」

 私はベランダからカーテンをかき分け、教室の中に入る。江藤たちはびくっと身体を跳ねさせたのが、ここからでも見えた。

「人がせーーっかく気持ち良く昼寝してたのに」

「い、飯田? あんた、そんなところで何して」

「何してる? んなのこっちが聞きたいよ。クラスメートを集団でいじめてる? わりかしダサいことするんだね。バレー部のエースさん」

 私はわざとらしく欠伸をしながら、机の間を縫うように江藤たちへ近づき、蔵本を掻っ攫う。映画や漫画っぽくカッコつけて蔵本を小脇に抱え込んでみたら、案外できてしまった。あまりにも体重が軽すぎる。

「べ、別にあたしはそんなつもりじゃ」

「私がそう判断したの。学級日誌に全部書いといたから、そこのところよろしく」

 私は学級日誌をふりふりと振りながら、江藤に言う。もちろん、そんなもん書いちゃいない。書いたら書いたで後が面倒だし。

 すると、江藤の腰巾着の一人が。

「う、うち! 関係ないから!」

 そう言い残し、一人教室から逃げ出す。恐らく私が担任に言いつけると思ったのだろう。しかしいきなり逃げ出すなんて、なんと薄情な。私が呆れてその様子を見ていると、一人、また一人と江藤から離れていくではないか。

「元々、エッちゃんのやり方、嫌いだったんだよ、じゃあね」

「本当に無理、マジで馬鹿なんじゃないの?」

 先程まで団子になって蔵本に凄んでいたのに、見る見るうちに瓦解し、教室から去っていく。友情崩壊の様子は見るに堪えないものであり、何というか……気まずくなってきた。私は蔵本を担いだまま、教室の外へ出ることにした。

「ま、あとは頑張れー」

 そう、言い残して。

 江藤はワナワナと震えている。怒りを隠しきれていない様子だったが、怒ってどうにかなる問題ではないと理解しているのだろう。私を睨むだけで何もすることはなかった。蔵本はと言うと、私に担がれたまま、ただじっとしていた。

 それから私は自分の学生鞄と学級日誌と蔵本を持ち、そのまま教室を出る。さすがに学生鞄より蔵本は重たかったが、それでもかなり軽く、普段何を食べているんだと本当に不思議に思ってしまった。

「軽いね。体重リンゴ三つ分くらい?」

 廊下を歩きながら私がそう零すと、蔵本は担がれたまま器用に首を動かし、目線をこちらに向ける。何とも気怠そうな目線だ。

「いくらボクでもそんな軽くない」

 『ボク』? 今時高校生になって、自分のことを『ボク』と言う子は初めて見た。

「何? その不思議そうな顔」

「ボクって一人称が不思議」

「何それ」

 彼女はため息をつき、再び脱力する。

「ボクを助けてヒーロー……あー、女だからヒロインか……ともかく、英雄気取り?」

 そうは言うが、私は先程の彼女の様子を忘れていない。

「蔵本、助かりたがってなかったじゃん……」

「そうね。助かりたがってなかった。せっかく事故で死ねるかと思ったのに」

「たかが女子高生が人間を殺すわけないじゃん。親でも殺さないと無理でしょ」

 私がそう言った瞬間、再び蔵本は首に力を込めてこちらに目線を送る。気怠そうな瞳に若干の光が灯る。

「なるほど、その手があった……か」

 彼女はほんの少しだけ楽しそうな声で言う。

 ……って。

「おい、やめろっ」

 私は担いだ蔵本を揺らす。なんか知らないけれど、今の彼女ならやりかねない。

「揺らさないで、冗談だから」

 彼女は再び脱力しながら、そう零す。全くもって冗談に聞こえなかったが……。私は蔵本を担ぎ直し、そのまま歩みを進める。

「……鞄は?」

「江藤さんがどっかに捨てた。ボクは知らない」

「探す?」

「そうね。失くしたままだと、親に言い訳ができないもの」

「目星はあるの?」

「江藤さんの彼氏さんがいる部室にあるんじゃない?」

 何とも適当な返答だったが、無作為に探すよりかはマシか。

「江藤の彼氏……は、たしかサッカー部だっけか、じゃあ部室棟に行こっか」

「その前に下ろして。ボクは自前の足で歩く」

「はいはい」

 私はそっと蔵本を下ろすと、蔵本は猫のように全身を伸ばす。人ってこんなにぐにんぐにんに曲がるものだっけ。

「……タコみたい」

「お酢を毎日飲んでるから」

「えっ」

「冗談」

「真顔で言わないで、わからないから」

「そう」

 彼女は興味なさそうに返すと、すたすたと歩き始める。それを私は慌てて追いかける。すると、蔵本はわずかに首を傾げながら。

「何故ついてくるの?」

 と私に問う。

「……なんとなく? ほら、女子一人だと何かと危ないかも」

「何? 江藤さんの彼氏さんが、世間一般的にちんちくりんと言われるボクの貧相な身体に欲情するとでも?」

「あの人なら……あり得るんじゃ」

 風の噂と言うか、勝手に聞こえてくる言葉たちがそう告げていたのを記憶している。どうも江藤の彼氏は女子を引っ掛けては食い荒らし、ポイ捨てしているとのこと。さすがに噂に尾ひれが付きすぎた妄言、もしくは女性向け漫画の読み過ぎだと思いたいが……。

「なるほど。それでも別に良い。鞄さえ返ってくれば」

「いや、明日からの学校生活に支障きたすでしょ……」

「そう?」

 彼女は本当にどうでも良さそうな表情を浮かべる。私は慌てて言葉を付け足す。

「私が先生に報告するかも知れないよ? 学級日誌のついでとかで」

「あぁ、確かに。飯田さんが報告してもおかしくない。ボクの平和な学生生活が崩れると困る」

 蔵本はそう言うと、小さくため息を漏らし。

「じゃあ、ボクのことをしっかりと守ってね。英雄様」

 と続け、すたすたと歩き出してしまう。私は自分の髪の毛……先生によく注意される銀髪で明るい青のインナーカラーが入った部分を持って。

「こんな不良が英雄とか世も末でしょ」

 と言うと、蔵本は一瞬歩みを止め。

「そうね」

 と零した。



 私達が普段授業を受けている教室から部室棟までは、靴の履き替えを含めて歩いて五分ほど。帰宅部……それも、脱色に脱色を重ねた上に、明るい青のインナーカラーを入れ、ピアスとカフスをじゃらつかせている女が歩いてるとなれば……思いの外目立つようで。

「あれ、飯田? 部活の見学?」

 クラスメートの一人に声を掛けられる。確か彼女は女子テニス部だったか。

「二年にもなって部活に入るわけないじゃん。サッカーの部室に用事があるの」

 散れ散れと手を振ると今度は反対から。

「飯田じゃん、何? また草むしり?」

 彼は男子テニス部か。私は髪の毛を触りながら。

「ここらへんの草はもう狩り尽くしたよ。しかももう秋だから草ももう生えないって」

「たしかし」

 彼はそう言うと、ボールを回収し、そのままコートへ戻って行った。どいつもこいつも。

「人気者ね、英雄様」

「やめてやめて、また変な噂が生えるでしょうが」

「今更ではなくて?」

「そりゃそうかもしれないけどさ」

 蔵本は真顔のまま、私の少し前を歩く。何と言うか……誰も蔵本に話し掛けないってのが本当に不気味だ。

「ま、おかげでボクのカモフラージュに一役買ってくれるんだから、感謝しないといけないかもしれない」

「……いやな感謝のされ方だなぁ」

「そう?」

 そう返事をした彼女は、また興味を失ったのか、私の前をすたすたと歩き始める。何というか、蔵本の考えが一切読めない。無表情だからか?

 程なくして、私と蔵本はサッカー部の部室に到着する。周りには当たり前だが、男子たちがたくさん居て、私たちをじろじろと見ている。さすがに私と言うランドマークが居たとしても、蔵本にも注目が行くようだ。しかし、そんなことも気にせず、蔵本はサッカー部の部室に突撃する。

 ……って!?

「ちょいちょい!!」

 私は慌てて、蔵本の後を追いかける。何のために私が居ると思っているのだ。蔵本はサッカー部の部室の引き戸をガララと開く。

 サッカー部の部室の中はなんと表現すれば良いのだろうか、カビとも汗とも言えない匂いが充満していた。そして、備え付けだろうか、縦長のロッカーと、中央にある大きなベンチがあった。部室にただ一人居た江藤の彼氏はその大きなベンチで腰を掛けていた……薄着で。

 よくよく部室を見渡してみると、そこには桃色の照明がいくつも設置されており、カーテンもきっちりと閉め切っている。そして女子たちが水風船にして遊んでいるのを稀に見掛けるゴムこと避妊具。

 これは……。

「うっ……わ、やる気満々じゃん」

「びっくりした。こんな貧相な身体でも需要があるのね」

「そこが問題じゃないでしょ。学校の中でナニしようとしてんのさ」

 私は呆れた声で言うと、江藤の彼氏は何やら慌ててジャージを着込んでいる。今更何を取り繕うとしているのか。

「この子の鞄ある?」

 私は江藤の彼氏にそう声を掛ける、自然と声が低くなっているのを感じる。女性として、人間として、こいつを本気で軽蔑しているからだ。すると、江藤の彼氏は慌てたように蔵本の鞄を差し出す。その姿は、さながら歴史の教科書に出てくる奴隷みたいだ。

「本当に最低、気持ち悪い、下半身にでも脳みそあるの? くそ■■■野郎」

 普段はこんな汚い言葉を言わないのだが、本気でむかっ腹が立っているので、ずけずけと言ってやった。

「行こう、蔵本。こんな汚いところに居ちゃ駄目だよ」

 私はそう言って、蔵本の手を握り、部室の外に出る。すると、何人かが部室の中を覗きこんでいたのか、部室の外に人だかりが出来てきた。私は空いている方の手でしっしと追い払う。

「見世物じゃないよ。退け」

 私はそう言いながら、人混みを蹴散らす。私は心底むかつきながら、蔵本の手を引き、校門へ向かう。

「準備万端はさすがにドン引きだって」

 思わずそんな言葉を漏らしてしまう。すると、蔵本は意外そうな顔をしながら。

「江藤さんの『抱かせる』は本気だったのね。びっくりした」

 と言う。

 確かに『彼氏と寝てもらう』が本気だったことに驚いてはいるけれど。

「私はあんな中、鞄を颯爽と取りに行った蔵本の豪胆さにもびっくりしてるよ……」

「改めて言うけれど、こんなちんちくりんを絵に描いたような体型でも興奮する人種がいるのね」

「あなたね……」

 私が深い深いため息をついていると、蔵本は真顔のまま首を傾げる。

「別に、私の貞操がどうなろうが、あなたには関係ないのに」

「関係なくても後味が悪い」

「そう? よくわからないけどわかった」

 彼女はそう言うなり、すたすたと校門に向かって歩き始める。私はそんな蔵本に向かって。

「じゃ、また明日」

 と声を掛ける。すると、蔵本は後ろ向きのまま、再び首を傾げる。しかし、すぐに元の位置に戻ると。

「ま、また、明日!」

 と言い、駆け出して行ってしまった。最後のあれは猫を被っているのか? 声の出し方……と言うより、声帯の震え方が何か違う気がする。

「ま、いっか。私も帰ろ」

 そう言い私も校門に向かって歩き始める。すると、目の前に見覚えのある集団が。あのボール入れは……バレー部か? 聞きたくもない会話が私の耳に入る。

「自分の彼氏を人に抱かせるとかありえなくない?」

「え……マジ? そんなことしてたの?」

「そうそう」

 どうやら、先程起きた事件についての伝聞がもう広まり始めているらしい。お友達グループで内部分裂するくらいだ、普段から嫌われていたのだろう。私は無視して、バレー部部員の横を通ろうとする。すると、こんな会話も聞こえてくる。

「やっぱあの噂、本当なのかな?」

「あー、やっばいパパ活してるって話?」

「だって、あんなことできるんだよ?」

「確かに!」

 ……こうやって噂に尾ひれがつくのか。私は辟易としながら、バッグを持ち直し、校門を通り抜ける。夜までどうやって時間を潰そうか、そんなことを考えながら私は繁華街へと歩み始めた。


 ◇ ◇ ◇


 コンコンと、私を押し込めている扉から音が鳴る。誰かがノックをしているようだ。厳重に施錠されているこの扉は内側から開くことはない。私は紙に音符を書くことをやめ、扉に顔を向ける。すると程なくして、扉の施錠が外される。扉の向こう側には、見覚えのない女性と、警護しているのだろう、女性看守の一人が警棒を携えてこちらを見ている。勘違いされるのも面倒なため、私は鉛筆を自分から遠ざけるように置く。それを確認したのか、看守が私の部屋に入ってきて、私のボディチェックを始める。危険物は持っているつもりはないが、仕方がないだろう。

「大丈夫だな」

 看守はそう言うと、女性を部屋の中に招き入れる。とても清潔なスーツに、薄い化粧。それと緩く巻いたポニーテールが特徴的だ。私は何事だろうと警戒していると、その女性が口を開く。

「私は、女子少年院で担当を勤めております山本と申します」

 そう言い、彼女は私に向かって一枚の名刺を差し出す。私はそれを両手で取り、名刺を見る。そこには、確かに女子少年院の文字が。未成年の犯罪だから、こちらに送られるのか。殺人だから、監獄暮らしとばかり思っていたが。

「生活態度を聞いているところ、まだあなたは更生できる可能性があるため、こちらに預からせてもらいます」

 山本と名乗った女性はそう言うと、私の部屋……独房から外に出る。それだけを言うためにここへ訪れたのか。私は肩をすくめ、再び鉛筆を持ち、紙に向かう。すると、その様子を見ていたのか。山本さんが。

「ますます信じられない。この子が人殺し? しかもうざいって理由だけで?」

 そう言い残し、姿を消す。再び私の部屋に施錠が掛けられる。私は鉛筆を置き、天を仰ぎ、深く息を吐く。

「信じられない。か」

 本当に好き勝手言ってくれるものだ。

 ふと、私の部屋の一画に積まれている手紙が目に入る。そこにはたくさんの手紙、八割は関係ない人間からの慰めの手紙と称した誹謗中傷。残り二割は妹だった人間からの手紙。そういえば、妹……音苑ねおんはどうしているのだろうか。

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