影に生きる

「で、どうなのよ」


 アルコールマウンテンの壁際の席。星野はタバコを燻らせながら、対面の影山に声をかける。


「どう、とは?」

「営業部の新人。素質あんの?」

「ああ、朝倉さんのことですか」

「そう。うちのアナウンサー試験受けてたんだろ? お前に次いで、あいつも加われば最高じゃないか」


 星野は昨年彼女が出した履歴書を取り出した。


「持ち出してきていいものじゃないですよ、それ。というか何で持ってるんですか」

「総務との裏ルートを甘く見るなよ、知りたいか社長の給与明細」

「今度でお願いします」


 名物のさくらユッケが運ばれてくる。


「気になるんですよ」

「確かに、可愛い子だ」

「そういうことじゃなくて」

「え?」

「試験に落ちて、かつてのライバルが同じ放送局でアナウンサーやってるんですよ?」


 星野は少し頷き、箸を伸ばした。


「一時のお前みたいだな」

「……はい」


 店を出て、星野はもう一軒行きたそうにしていたが、影山は卒なく躱して帰路についた。


「ん?」


 程なくして、見覚えのある姿が目に入った。紙袋をぶら下げ俯きながら力なく歩いている。


「朝倉さん?」


 その声に、彼女は顔を上げた。一瞬驚きの表情を浮かべたが、次第にバツが悪くなっていく。


「……影山、さん……」


 言うべきか迷ったが、伏せておく方が却って毒だと思った。


「それ、大洋テレビの紙袋ですよね。僕も持っています」

「あ……」


 ひなたは再び俯いた。


「少し歩きませんか」


 近くの公園は、小さくも確かに灯りを照らしている。そばの自販機で影山は2人分の缶コーヒーを買い、ひなたに渡した。


「……ダメだったんです」

「全滅、ですか」


 影山が缶コーヒーの口を開ける。


「昔からアナウンサーという仕事に憧れて、色々頑張ってきたつもりだったんです。カメラの前に立って、私の声と言葉で視聴者に希望を与えて、今度は私が皆に憧れられる人になるんだって」

「スクールにも通って、その道一筋だったんですね」

「他の職種には全く興味がありませんでした。正直、この仕事も滑り止めくらいで」

「それで、再受験を?」

「諦めきれないんです。どうしても、心は受け入れられないんです」


 ひなたは声を震わせながら、堰を切ったように話し始めた。


「ひどい奴ですよ私は。先輩方に育てられておきながら、アナウンサーに未練たらたらで、同期にもケンカを売るし、挙句の果てには先輩方すら裏切って再受験。そしてそれも失敗する始末……もう、ここにすら居られません」


 彼女が飲んだコーヒーは、しょっぱかった。笑っているつもりだが、自然と頬が濡れる。


「ごめんなさい、身勝手で……。でも、私どうしたらいいんですか!? 生きる目的が、もう、分かりません……」


 影山は何も言わず、静かに彼女の言葉に耳を傾ける。思い切り吐き出したことを見届けて、彼は口を開いた。


「アナウンサーがいつ生まれたか知ってます?」

「……え?」

「日本では、凡そ100年程前です。それまでアナウンサーという職業は存在しなかった」

「それが、一体……?」

「声と言葉で何かを伝えるのは、アナウンサーだけだと勝手に思ってませんか。『アナウンサーでなければ喋ってはいけない』と」


 ひなたは住宅展示場での一幕を思い返していた。空野が来られない事態に、「自分がアナウンサーだったら」と思念したのは確かである。影山はブランコを降り、彼女の前に立つ。


「それは、このたった100年間の物差しでしかない。『アナウンサーでなければ喋ってはいけない』、そんなことはないんですよ」


 鞄からチラシを取り出し、ひなたに示す。


「来月行われる朗読劇。アナウンサー全員が出演する毎年の恒例行事です。ここにいるもう一人。劇中に出てくる声だけの出演を、朝倉さんにお願いしたい」


 彼女は最初何を言っているのか分からなかった。だが、彼の表情から冗談でないことはすぐに分かった。


「私が、ですか……?」

「朝倉さん、なってみませんか。カゲアナに」

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