こんなはずでは
ひなたのアナウンサー試験は失敗に終わった。あのカメラテストで落選し、他の放送局も鳴かず飛ばずで全滅。希望は見事に打ち砕かれていた。
そんな状態では、就活自体のモチベーションさえ下がってしまうのも不思議ではない。「もう1年」という選択もあったのだろうが、直感で長続きしないと自分の中で結論付けた。結局、滑り止めで合格していた同じ放送局の総合職に入社を決める。それだけに、見るものすべてがくぐもって見えた。
「今日まで研修、お疲れさまでした。これから各部署にご案内します」
入社式から2週間が経った今でも気持ちが晴れない。人事に連れられ、営業のフロアに行くと、皆立ち上がって迎えてくれた。6人分のデスク島に、二つ空席が連なっている。恐らく、片やここにいないもう1人と、片や自分の席なのだろう。
「朝倉さん、今日から宜しくね」
部長の猫田が紳士的な笑顔で話しかける。
「……宜しくお願いします」
「まるでアナウンサーみたいな顔立ちだね」
悪気はないのだ。ただその一言が、ぐさりとひなたに突き刺さる。自己紹介を終えると、フロアの各先輩を順に紹介され、自身の席に座った。
「営業の仕事については聞いているかな?」
「CMを、売るということは……」
「そうそう。うちは民放だから、クライアントからの出稿があって成り立っている。ここで大事なのは、『企画力』や『交渉力』もあるけど、何より『信用』だよ」
「は、はぁ……」
正直、研修で緑の冊子を渡された時から、理解度はあまり進んでいない。そもそも、放送局の営業という仕事をイメージしたことさえなかった。割と本気でテレビを売っていると思い、家電量販店と何が違うのかと考察したくらいだ。それが実際には、CMという目で見えない物を売るというのだから余計に難しい。
アナウンサーになりたくて放送局を目指していた彼女は、「こんなはずでは」と頭の中で唱えた。
「分からないことがあったら何でも聞いてね! 近しい先輩もいるし」
「近しい先輩、ですか?」
「そう、隣の」
猫田が彼女の隣の空席を指す。
「彼はまだ20代で歳も一番近いし。君の指導係にしたから、色々相談するといい」
「……分かりました」
「彼」ということは、男性のようである。尤も、彼女にとってはあまり興味のないことだった。
「戻りましたー」
「おっ、帰ってきた!」
猫田が立ち上がり、手招きする。フロアの入口に目を遣ると、長身の男性が歩いてきた。紺のスーツに、黒革をあしらった文字盤の腕時計、そして端正な顔立ち。
「ごめんね、アポ同行できなくて。どうだった?」
「ダンゼン工業さん、来月からレギュラーで出稿決まりました」
「おめでとう!!」
猫田が手を叩いて喜ぶ。周りの社員からもどよめきが上がった。
一方のひなたはというと、喜べないでいた。それは、単に何がすごいのか分からないからというわけではない。正確に言えば、その青年が放つ爽やかさに圧倒され、動けないでいた。
確かにルックスも抜群だが、それよりも彼女が惹かれたのは、彼が発する声だ。
(発声が、凄い!?)
淀みない喋りに、完璧な滑舌。そして公共放送お墨付きの読み下したイントネーション。試験のためスクールにも通い、耳を鍛えてきた彼女には分かる。
(この人……なんでこんな!?)
そして、彼は自分の隣にカバンを置いた。間違いなく、先ほど話題に出ていた先輩だと確信した。
「すごいな、これで今期3件目の新規じゃないか」
「部長のアドバイスのおかげです……ん?」
青年は、一人俯いている茶髪ショートボブの見慣れぬ女性に気づいた。
「はじめまして」
間近で話しかけられ、彼女はびくついた。恐る恐る、彼の目を見る。
「は、はじめまして……」
「今日から来る、新人ですね?」
「はい。あ、朝倉、ひなたです……」
「隣の席の、影山満です。宜しくお願いします」
ひなたは畏まって、深々と頭を下げた。
「……最敬礼?」
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