開演

 朗読劇当日。会場の県民ホールは、日曜の昼とあって大勢の人々で賑わっていた。外ではハツガちゃんが出迎え、子供たちが集まって来る。

 開演10分前。ホール内に設けられた200程度の席は既にいっぱいになっていた。


「す、すごい数の人が……」


 袖から覗き込む主演のほたるは、その光景に固まってしまった。主人公にふさわしい、魔法少女のようなドレスアップ姿でいながら、足の震えが止まらない。後ろから明子の声が聞こえる。


「大丈夫、大丈夫。失敗してもみんな笑ってSNSに書いてくれるから」

「駄目じゃないですか!」

「でもよく考えてみ? あの初鳴き、視聴率7%ってことは、これの350倍の人の前で喋ったってことよ?」

「そ、それは……確かに」


 自分がテレビで話すとき、その言葉は、カメラの向こうにいる数万人に絶えず発信されている。


「でも、いざ見られてるって思うと……」

「分かるわ。この私にだって最初恥じらいはあったから」


 振り向いたその時、ほたるは初めて明子の姿を見た。


「ひゃあっ!?」


 白髪染に、シミと皺をふんだんに盛り込んだおばあさんがいた。


「誰、ですか……?」

「え、今更?」

「あ、え、あ、光田さん?」

「いかにも」


 明子がゆっくり頷く。


「おばあさん役だから、こだわった」

「こだわり過ぎでは……?」


 奥からおじいさん役の空野が姿を現した。


「光田、歯は抜いた方が良いんだっけ?」

「何考えてんですか!?」

「空野さん、入れ歯ってことにしましょう」

「だから光田さんやりすぎですって!」


 空野と明子が2人の世界に入ったところで、ほたるには原稿を片手に入って来るひなたの姿が見えた。隣の影山と目が合う。


「あ、岩戸さん!」


 その声にひなたも反応した。影山の後ろに隠れようとするも、もう遅い。


「……影山さん、よろしくお願いします」

「こちらこそ、朝倉さんがお世話になります」

「はい」

「二人の絡みはまだ聞けていないから、本番を楽しみにしておきます」


 ひなたとほたるが練習で一緒になることはなかった。意図的に避けていたわけではなく、たまたま仕事のスケジュールが合わなかっただけなのだが、却って溝を開けてしまったようにも思える。

 登壇しないひなたは普段通りの姿でドレス姿のほたるを眺めた。


「……よろしく」

(何、その間!? 見た上での真顔が一番キツい!)


 さすがのポジティブ精神なほたるも、痛みを伴う視線は否定できなかった。


「よ、よろしく……」


 5分前のブザーが鳴り、影山が原稿を読み上げる。


『本日は、マンカイ放送・春の朗読劇にご来場いただき、誠にありがとうございます』

「おっ、影山!」

「影山さんだ!」


 客席の温度が少し上がったように感じられる。


『上演に先立ち、皆様にお願い申し上げます。上演中は携帯電話、スマートフォンなどの電源を―』


 幕が上がるまであと数分。ひなたのカゲアナとしてのデビュー戦がいよいよ幕を開ける。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る