9話 梓とトラウマ

「関東地方は例年より早い梅雨入りです。お出かけの際は傘を忘れずにお持ちください。……続いては連日世間を騒がせている東京湾開発のニュースです。漁業協同組合による説明――」


お母さんが亡くなったのは五月の早い梅雨入りのニュースが放送された次の日だった。当時の私は小学生3年生。母は良家の一人娘で父とは親同士の付き合いもあって縁談が持たれトントン拍子で決まったらしい。父はあまり家には帰ってこないし、私が母に懐くのは当然の結果だった。そして母を失った私の絶望は筆舌に尽くし難いものだった。


「じゃあお父さんは新しいお母さんと暮らすけど、梓は……いい子だからこのお家で1人でも平気だよな。お手伝いさんは頼んでるから。」

「はい、私は平気です……あの明後日、お母さ――」

「あーごめん、その日はあっちの実家で会食なんだ。悪いな。」

「はい。」


母の死から1年も経たずに父は新たな女性と再婚し始めていた。相手の事はよく知らないし聞きたくもなかった。1人のお墓参りには慣れた。母の実家は既に私の祖父母に当たる母の両親が亡くなり手を合わせる人は私以外本当にいなくなっていた。その頃には人間不信の兆候は出ていたと思う。学校にも馴染めなかった。元々人見知りで意見を言えない私は母の死を受けてかなり気を使われていたんだと思う。広い家に1人は寂しくていつも夜は泣いていた。


中学は思い切って離れた場所に通った。そこで中学デビューしようと思った。それくらい1人はもう嫌だった。仲間が欲しい。哀れまれるのも疎まれるのも沢山だ。


「あ、あの私とお友達になって下さい。」

「えーもう友達でしょ。何言ってんのー?」

「じ、じゃあ××××ちゃんは、私とずっと友達でいてくれますか?」

「……うん、梓はずっと友達だよ!」

「あ、ありがとうございます!」


入学してから2ヶ月たって勇気を出してたまにお話してくれる前の席の子に話し掛けてみた。初めて心の内を話す事ができる××××。何日も悩んでやっと話せた明るくて元気な××××。でも名前は覚えてない。どうしても思い出せない。


「あっ……××××ちゃ――」

「梓って最近調子乗ってるよね。××××もそう思うでしょ?あーそういや、あんたらって仲良かったんだっけ??」

「別に。ただの金ヅル。つーかあいつモテるのに男避けるし話も詰まんねぇし最悪。まだ家の手伝いした方がマシ。」

「あの顔で男いないとかマ?女好きとか?」

「それな。なんか将来の事とか、結婚について聞いてきて怖いんだよね。潮時かも。あいつの家再婚してなんか揉めてるみたいだし。」

「あんた実家の旅館継ぐんだし関係なくね?……じゃあさー、可哀想だからうちらで男紹介してあげようよ。とっておきをさ。」

「あー学校でヤって停学してる西中の####とか?私の姉ちゃんが知り合いだって。」

「####はエグすぎ! どんだけ梓嫌いなんだよ!」


「……独りは嫌だよ。お母さん。」


こんな思いはもうしたくない。なんであなたが……裏切りだよ。やっと見つけたと思ったのに、結局は勝手に疎んで除け者にする。私はただ休まりたいの……ただ心の平穏が欲しいだけなの。だから私は――



……――とてつもなく嫌な夢を見た。きっとクインと仲良くなろうと思ったからだ。あの日から心のどこかで人と深く親しくなる事を拒否してる自分がいる。上辺でヘラヘラ取り繕って、男を味方につける生き方が私にはお似合いだ。そういう意味で成り行きだったけどアイドルは天職だと思っていたが実際そんな事もなかった。結局、人と人が関わる社会で本質的に誰も信用しない生き方は長続きしなかった。貯め続けた鬱憤は酒に逃げる口実を産み、歪みは少しづつ大きくなっていった。アイドルとして沢山の人に囲まれる度に孤独な本当の自分がそれを憐れんでいる。


誰も「的場 梓」を必要とはしていない。


それは紛れもない事実で自業自得。人から距離をとって怯える私を見つけられる人なんて誰もいないんだから。これからも――


「ちょっとアズサ起きなさい!!」

「え、何??――ッ!」


一瞬何が起こったのか理解できなかった。少しして頬に痛みを感じて叩かれたことが分かった。


「信じられない!! あんた何とんでもない夢見せてくれてんのよ!!それに……うぅ……何なのよ……これ……あんまりよ。うわあああん」

「ちょっと、どうしたの?」


泣き喚くクインに困っていると涙を拭いながら私の顔の目の前で話し始めた。


「ぐすっ、私たち妖精は精神生命体。魂や心には敏感なのよ! ……私も安易に胸で寝たのは悪かったけど、そんなの予想できないでしょ。それよりも……!!」


クインは私のおでこに思いっきりグーパンチして続ける。


「痛ッ――」

「私は一緒にいるわよ!! 友達とかいた事ないからわかんないけど、勝手に1人で終わらせないでよ!! 大体そんな奴らと一緒にすんなバカあああ!!」

「……あ、は、はは、うん……うん」

「バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカおバカッ!!!アズサが必要に決まってんでしょうが!!」

「あはは、うん……ごめんね。」


お母さん、今度は本当に梓はこっちで頑張ります。お墓参りは当分出来なさそうだけど……いや、あっちのエレリスさんと神様にお願いして何とかします。だから怒らないでね。……本当にごめんねクイン。



****


「……と、とりあえずこれからどうするアズサ?」

「そ、そうだなー。」


「「……。」」


なんか気まずいんだけど! 今までどんな風に話してたっけ?? まあ出会ってそんなに経ってないけど……そういえば、さっきから外が騒がしい気がする。


「ねぇクイン、外でお祭りか何かしてるの? 言葉分からないから教えてくれない?」

「あーそういえば聞こえるわね! えっとね、『魔族から避難して下さい』って言ってるわ!」

「……それやばいんじゃないの?」

「そうなの? 人間界では普通の事なのかと思ってたんだけど……異世界でいう町内放送のオレオレ詐欺に気をつけて下さい的な奴じゃないの?」

「全然違うと思う。」

「だ、誰にでも失敗はあるわ。あっ……誰か来たわ」


「ДВЁКВРКЛВК*"ДВКЛВ!!АЙХРДЁБВЁЖСЗ!!」


少し離れた所から声が聞こえる。かなり大きな声でしかも子供の声だ。それに声色から緊迫感がある。あの放送の直後と考えると嫌な想像が頭をよぎる。


「ク、クインなんて言ってるの!?」

「えっとね――」

「ЕОЗФЗРМ!! ЪВЕ*ЕВЛЕХЖОВЭ!!」

「クインまた喋ってるよ!!なんて??」

「ちょっと待って――」

「ЕВ*МИЕРЙЛРД」

「泣いてるんじゃない? どうしよう? クインなんて??」

「あーもう、気が散って翻訳出来ない!!直接行くわよ!!なんか玄関の子アズサに似た明るい風なのに根っこはどんよりした……陽キャなり損ない拗らせ陰キャ魂でほっとけないわ!」

「えっ私の事そんな風に思ってたの……」


クインに引かれるまま玄関のドアを開けると黒髪に浅黒い肌の中学生くらいの少女がうずくまっていた。さっきまでの夢の自分と歳も含めてどうしても重なってしまう。何をしても上手くいかない不器用だった頃の私に。


あの頃の私はきっと何かに依存したかったんだと思う。そうしていると誰かの必要な一部になれる気がしたから。そんな自分を認めるという簡単な事がどうしても出来なかった陽キャなり損ない拗らせ陰キャの末路が私。でも――


「……大丈夫、まだ君は必要とされてるよ」

「……。」


ついうっかり思ってた事が口に出てしまった。ただ過去の自分にそう伝えたかっただけなんだけど……この子に悪い事したな。絶対に求めていた言葉じゃないだろうし。


「クイン、大丈夫ってなんて言うの?」

「うーん、無理やりそっち言葉にするなら、ウャースューニュャーバァニューリャーって感じね。」


よし、せっかく最強の力を得たんだ。目の前にいるこの子を助けてあげよう!



――クイン曰くどうやら、この子のお父さんが魔族っていう怪物との戦いに向かっていてそろそろ大変らしい。その間私は言葉が分からないのでとりあえず泣きながら助けを求める女の子をアイドルスマイルしながら抱き締めていた。自分と重ねたせいか実の娘の様な感覚すらある。そして娘を泣かせた魔族とかいうアホには即刻退場してもらわなければいけない。


「クイン、魔族の所まで案内お願い出来る?はやく助けないと!」

「……いいけど、アズサ戦えるの?」

「……エレリスさんの体ならイける気がするんだけど。」

「はあ、仕方ないわね! 私の加護を使うわ。ちょっと……その……あ、有難く思いなさい!!えい!!」


クインがこっちに飛んできたと思ったら頬にキスしてきた。びっくりしてリアクションが取れずにいると軽く酔っ払った時みたいな心地いい気持ちになった。一瞬何かに目覚めたのかと寒気がしたが違ったみたいだ。


『は、初めてしたけど成功?……みたいね!ふふん!憑依完了!!じゃーん!!』

「うわ、頭の中でクインの声がする!!」

『ふふん、じつは私自身の加護ってこの憑依って加護で、まあ対象の精神に直接介入する力なんだけど……みんな気味悪がって妹にも試せないし困ってたのよね。アズサは微妙に図太いから気味悪がったりしないでしょ?』

「うん、まあ驚いたけど気味悪がったりしないって、それよりこれでどうすんの??」

『私がエレリスの肉体をコントロールするから……アズサは指示して!コントロールに集中すると周りが見えないから!……あと多分意識が同調し過ぎると危険かも』

「なにそれ怖い」


ふと視線を感じてそちらを向くと1人で話す私を可哀想な人を見るような優しい顔で伺う少女がいた。ごめん。すぐに向かうからもうちょっと待っててね!


『まあ注意してるから危険はないわ……異世界でいうなら私(エレリス肉体)がエヴァン〇リオンでアズサが〇ンジ君ね。同調し過ぎるとシンクロ率が80%超えるって感じ。』

「余計わかんなくなるからやめて。」

『よし、じゃあ行くわよ……シナプス計測、シンクロ率41%、さすがアズサね。基準値を上回ってるわ!』

「基準値ってなに?」

『魔族を倒さない限り我々に未来は無い。いいわね、アズサ君!エレリス・ライトニング発進!!』

「この子エヴァン〇リオン気に入ったの――ってはやっ!!」


――訳も分からず涙の止まらない私を優しい笑顔で抱きしめ、かと思ったら1人で知らない言葉を喋り始め、そのまま町に向かってまるで魔道具の様な規則正しい動きと信じられないスピードで走っていってしまった。


「追いかけないと……アレ、力が……」


立とうとしたが足に力が入らない。それに気持ちに整理がつかない。胸がドキドキして苦しい。


エレリス様はとても優しい人だった。前に見た時は無表情で冷たい印象だったがとにかく暖かくて今までの事を怒る様子もなかった。それにニコニコしてて凄く綺麗で可愛い猫さんのパジャマ――あ、パジャマで行っちゃったけど大丈夫かな。……ううん、きっとパジャマとわかってて私の為に町に向かったんだ。それくらい急いで私の為に町を助けようとしてくれた。あの孤児への寄付の噂も本当だと今なら確信できる。少しでも何か恩返ししないと……何か――


ふと開きっぱなしの家のドアが目に入った。少し興味が出て首を動かして覗くと床にカビでカラフルにお化粧したパンが転がっていた。しかも食べた痕跡も――ッ!! ……大変、はやく家に寄ってからエレリス様の所に行かないと!!このままじゃ私のせいで魔族に――

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