8話 梓と急展開

その日、静かな港町は騒然としていた。


「私は悪魔の加護を受けし魔魚人デスマンボウ。貴様らは栄えある私の生け贄1号に選ばれた!あの世でせいぜい誇るがいい!!フィシュシュシュ!!」


「きゃあああああああ!!」

「逃げろおおお!!」


『魔族が港に現れました!速やかに指定された屋内に退避して下さい! 繰り返します! 速やかに指定された屋内に退避してください!――』


町長である私が警備兵と町にいる数名の冒険者を集めて現場に向かうと3メートルはある巨大な二足歩行の魚が不気味な笑い声を上げて舟を民家に放り投げていた。


私は道を遮る様に兵を展開すると大きく息を吸って溜まった負の感情を吐き出す如く声を張り上げた。


「止まれええ!!町長としてここから先は通す訳にはいかんぞおおぉ!!」

「フィシュシュシュ! おぉ勇ましい。しかし非力なお前たちに何が出来る? 」

「くっ……」

「黙って死んでおけ!劣等種族のデビーク風情が!!ここは私、デスマンボウの高級尾ビレマッサージ店建設予定地なんだよ!!フィシュシュシュ!!なんと交渉次第ではエラなどの局部マッサージもありのまさに悪魔に相応しい店になる予定だ!!フィシュシュシュ!!」

「くそッ!!悪魔め!!」


私たちデビーク族は自由を求めこの移民が集まる国に海を越えてやってきたが容姿、力を見限られ古くから奴隷扱いをされてきた。現在は奴隷解放宣言が出され市民権を得たが、それでも根強い差別意識は存在する。私たちの角や尻尾を魔族に近しい容姿と誹り、魔人と呼称する者も珍しくはない。特に人族、エルフ族はその比率が高い。


ここはそんなデビーク族が身を寄せあって暮らす極東の小さな港町だ。私たちは人知れず外部からの干渉を絶ち自給自足に近い暮らしをしている。なぜなら国からの庇護は小さく、裏社会の組織に助力を得て何とか町として機能していた程だったからだ。


「町長、一応住民の避難は娘さんのお陰で完了していますが……家屋や舟の被害は甚大です。」


「俺の家が……なんで」


この世界は弱者に厳し過ぎる。非力で寄る辺ない私たちが出来る事は辛抱強く耐え忍び、衣食住が満たされたこのささやかな幸せを家族や友人、仲間達と噛み締める事だけだ。しかしこの町が無くなればその全ての前提は崩壊し、きっと遠からず虐げられる生活に逆戻りするだろう。だから私は怖くてもここで後退する訳にはいかない。町長としてじゃない、一住民として男として住民のささやかな幸せを守るため逃げる事は出来ない。


「……もう無理だ」

「はやく逃げないと」


戦意を失う兵士や冒険者に私は叫ぶ。


「兵士、それに冒険者達よ聞け!! ここでお前たちが引く事をオレは咎めはしない!! だが逃げた先に未来は無いぞ! この町が無くなれば遠からず終わりは来る! だから戦士達……いまここで戦え!!誇りではなくデビークの仲間の為に剣を取れ!! 私はたとえ1人になっても家族の為に絶対に引かんぞ!!」

「町長……」


さっきから足の震えが止まらない。涙も鼻水も止まらない。私は今酷く情けない姿だろう。だが誰もそれを茶化すものはいなかった。なぜなら誰一人欠けることなく全員が同じ顔だったからだ。


「フィシュシュシュ、逃げる人間共を殺すのが面白いんだがな! まあ逃げないなら仕方ない……ここで死ねええええ!!」

「――ッ!!!」



――町長達がいよいよ雌雄を決するという少し前、1人のデビークの少女が泣きながら走っていた。彼女は町長の一人娘でジャスミー。途中で転んだのか膝からは血が流れ、肘や顔にも擦り傷があった。


「はあ……はあ……あとちょっと……」


向かう先にあるのは町の外れにある一軒家。そこには少し前に建てられた都にお店を構えるお金持ちの商人が建てた別荘があった。しかし数回使ってそれ以降は手付かずの状態で無警戒に拓けた丘の上にほっぽり出されていた。ここは貧しい港町で治安だってあまり良くない。普通ならこんな高そう家、分解されて跡形もなく消滅してもおかしくないが永続結界魔法と防犯魔道具が搭載されていて敷地内に入る事すら許されず今も健在という訳だ。

そして、そんな家に最近引っ越してきた人族がいた。名前はエレリス。なんでも世界最強の人物らしい。書面のやり取りだけで屋敷を一度も見ること無く購入した彼女は町を一、二度見て回ると家に籠ったきり出ては来なかった。


「はあ……こんな所にも……ッ!なんで……」


彼女の家に近付くと道の様子が変わってくる。道端にはゴミが散乱し、不揃いな立て札には汚い字で【さっさと出てけ】【この地を荒らすな】などの心無い言葉が書かれている。木の幹には稚拙な悪口が彫られ、道に不自然な泥濘まであった。


かなりの地位にあるという噂のエレリスを当初漠然と恐れていた住民は、陰口を叩いて遠巻きにバカにする程度だった。しかし、彼女が出歩かないとわかるとイタズラ好きな子供が近くの道にゴミを置き出した。それを知った親は死を覚悟したが、結局何のお咎めもなく無事に事態は収まった……かに思えたが今度は別の悪ガキが同じ事をし始め、あろう事か彼女の家に向かって大声で幼稚な悪口を叫んだのだ。しかしそれでも反応はなく、これを知った大人までもが今まで溜め込んでいた人族に対する不満を嫌がらせという形で具現化し始めた。現在は町長、私のお父さんが防止の為に不定期で見張っているがそれでも度胸試しといってやる子供、執念深く嫌がらせを続ける大人もいた。


「はあ……はあ……着いた! ……あっ」


ようやく彼女の家に着いたが、結界魔法が張ってある事を忘れていた。とりあえず家の様子を伺う。物音ひとつ聞こえない二階建ての家には上の階に広いデッキがあり、丘の上に建っているため見晴らしが良さそうだった。


「ど、どうしよう。早くしないと――ッ! あーもうどうにでもなれ!! えい!!……あれ?結界が無くなってる?」


意を決して敷地に足を踏み入れるが何も起こらない。恐る恐るドアに近づきそっと触れるが警報が鳴る気配もない。私の泣け無しの魔力で探ってみると結界魔法や警報の魔道具が沈黙している……気がする。


「誰かに破壊されてる?……まさか、もう魔族がここに!? でも外から見て荒らされた様子はなかったけど……」


ドアノブを回すと鍵はかかっている。魔族はこう言ってはなんだが大体短絡的で頭が悪い。仮にドアを開けて入ったとしても中に入って鍵を閉めるなんて姑息な事はしないだろう。つまり、結界破壊は魔族の仕業ではない可能性が高い。そして破壊した者は荒らすことも無くここで目的を達した。なおかつエレリス様なら結界が破壊された時点で気がつく。つまり、意図は不明だけど破壊した者は仲間、もしくは本人だろう。よって……多分安全だ!というか、もう時間が無いし大きな声は許して下さいエレリス様。


「す、すみませぇぇん!! 助けて下さぁぁい!!」

「……」


喉を潰す勢いで叫ぶが変化は無い。


「町に魔族がきて、大変なんです!!助けて下さぁぁい!!」

「……」


丘の上に私の声だけが響く。不安が押し寄せ視界が霞み、声が震える。


「……い、今までの事は償います! 私が出来ることなら何でもします!! だから…だから、お父さんを助けて……お願い。」

「……」


玄関で膝をついて地面に頭をつける。


「本当にごめんなさい。どうか助けて下さい。」

「……」


顔を上げてもドアは固く閉ざされたままだった。


きっと町は今日でなくなる。ここにいれば多少は安全かも知れない。無意味な避難に気が付き本当に危険が迫れば住民もそう考えて集まって来るだろう。でもきっと誰も助かりはしない。結局は自業自得なのだ。自分達で神の与えた唯一の救いを2ヶ月掛けて飽きもせず潰し続けていたのだ。笑える話だ。


そして実は私もここに来たのは初めてではない。友達に誘われてやって来ていた。観ていただけで特に何もしなかったが止めなかった時点で同罪だ。……それは理解できる。でも、それでも私はこんな現実を許容できない。


「――なんでよッ!!」

「……」


自然と手に力が入りドアを強く叩いた。


デビークというだけでずっといわれの無い罰を受けてきた。流行りの服も、玩具も、勉強も、夢も諦めて小さくて貧しいこの町で仲間と生きていくって決めて頑張ってきた。なのになんで結局、魔族に人族。余所者に運命を全て委ねられているの?……今まで頑張ってきた意味って何なの? これじゃあまるで――


「私なんか……いてもいなくても一緒じゃない。」


「…ЁЙξчЬЁчпτОЁрМКЛДМ」


不思議な言葉の方を向くとドアの隙間から世界最強の女性が青い顔で弱々しく笑っていた。突然の事で固まっていると優しく頭を抱き締められる。


「ЙЁξτЁЖрХЛЩ?…ダイジョウブ…ダイジョウブ…」


辛うじて聞き取れるその片言の言葉に私は泣くばかりで返事する事も出来なかった。

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