アマノミツカイ 〜少年はワルキューレを拾う〜

立木斤

1日目

 ——参った。


 今目の前で塾講師が解説してる数式の意味がてんでわからない。もはや解読不能の文字列にしか思えないが、とりあえず、ノートに板書を写す。また別の時に見直せば、理解できているだろう、きっと。うん、そうだ。そうに違いない。いつもそれでなんとか……なってはないんだが。


 俺の名は影山陽人。かげやまはると、と読む。年は17。家の近くの高校に通う高校2年生だ。名字に影と入ってはいるが、それに影響されずに明るい人間になってほしい、と亡くなった両親は思って、こういう名前をつけたらしい。そのおかげかどうかは知らないが、俺は捻くれた人間にならずに生きていけている。


 ある一点を除いては。


「お前、さっきの授業、完全に上の空って感じだったぜ?」


 こんな風に、友人もいる。休み時間にそう笑いながら話しかけてきたのは、山本敏明だ。


「そうか? きちんとペンは動かしてたはずだけど」


「おうよ。ペンは動かしてるんだけど、なんかボーッとしてるような、さ」


「よくわかるなぁ」


 敏明とは高校に入ってから出会った。同じクラスでオーケストラ部に入った同性が、彼だったのだ。俺はヴァイオリン、敏明はコントラバスである。そうすると自然に接点も増えた。それである時、ひょんなことから彼が志を同じくする者と知ったのだ。


「サードアイで心読んでるんじゃなかろうね」


「あるわけねーだろ。俺のどこがさとりんだ」


 こういう趣味である。そう、俺たちはいわゆる、オタクだ。好きなジャンルも被りが多かったから、そこから親しくなるのは早かった。秋葉原やビッグサイトなんかにも、共に度々足を運んでいる。


「フフ、似ても似つかねぇな。その体格じゃあ」


「男らしい、と言ってほしいな」


 と、彼は胸を張って誇らしげに言った。彼は小学校を出るまで柔道をやっていたという。それだからか知らないが体格が大きく、さながら熊のようだった。


 彼のその反応に俺は笑ったが、彼にはそれがわざとらしく見えたらしい。


「明日から学校で憂鬱?」


 手元のコーヒー缶を開け、敏明が聞く。


 確かに、それもあるかもしれない。ある程度自堕落に過ごせる冬休みが終わるのだ。それは悲しい。


「半分正解、かな」


 だが、それだけではない。


「なんか最近、つまんないんだよね」


「つまんない?」


 敏明が俺の方を向いて聞く。


「そう。同じ暮らしの繰り返しに飽きたっていうかさ……」


 勉強して、部活がある日は部活に出て、暇な時間は少しネットで遊んで。それが俺の日常。実に平穏な日常だ。友達づきあいをしたり、動画サイトで変な動画見て笑ったり。楽しいには楽しいとも。


 だが、最近は何をしても虚しかった。変わり映えしない日常の中で、昨日、1週間前、ひいては去年と変わらない生活を営んでいる自分が、機械みたいに感じられた。進学や就職をして環境が変わっても、日常生活を日々反復する社会の有象無象になるだけなんじゃないかと、薄気味悪く、そして癪に思う。


「ま、文句を言っても仕方ないんだけども」


 そう。結局はそうなるのだ。別に特別な才能を持ってない俺は、そうなるしかない。


 なのに俺は、その未来を嫌悪してる。この世界はつまらないって思ってる。何か予想できないことが、目の前で起きてくれないか。そして、俺を非日常へ引き摺り込んでくれないか、と心の片隅でひっそりと期待してる。


 昔、俺は完全に厨二病にかかっていたが、今も治ってないのかもしれない。


「同じ暮らしに飽きた、ねぇ……」


 敏明は考える素振りをした。


「でもこれから忙しくなるんだから、そんな考えは吹き飛ぶと思うぜ?」


「確かに」


 ちょっと生返事っぽい返しになってしまった。彼の言う通り、これから忙しくなるのは間違いない。学校は始まるし、部活も定演に向けての総仕上げに入る。


 だが、どうもそれでこのぼんやりとした感情が完全に吹っ飛ぶとは思えない。一瞬なくなりそうになったとしても、またすぐに取り憑かれるだろう。


 でも、気の紛らわしにはなるか。


「今日はもう無理だから明日練習しないとなぁ……譜読みがマズイわ」


「ヴァイオリンはまだいい。こっちは持ち運びもままならないんだから。ほぼぶっつけ本番状態だぜぇ?」


 敏明が苦笑する。


「違いねぇ。いつもお疲れさん」


 と俺が返したところで、時計を見ると次の時間が始まる直前だった。


「っと、時間がヤバいな。敏明は次の授業は?」


「無い。適当に自習して帰るよ。ほんで妻を愛でる」


 満面の笑みである。


「あぁ、そう……」


 そういや君あのキャラドストライクだって言ってたね。銀髪だし巨乳だしって。彼は良い奴なんだが、こうやって公衆の面前で自分の趣味嗜好を暴露するのが玉に瑕だ。


 そうして敏明と別れると、俺は次の授業の準備をして席についた。次の授業は世界史。俺の得意科目である。


 そして今回も、もっとレベルの高い講習を取ればよかったと、後悔するのだった。やっぱり眠い時に講習の申込み用紙を書くべきではない。俺はこの冬休みでそれをきっちりと学んだ。


 テーマだっところも俺があまり好きじゃないとこだったから、本っ当につまらない授業だったが、なんとか眠ることなく、授業を終えることができた。


 噛み殺してたあくびを最大限に解放し、伸びをして、帰りの準備をしようと思った時のこと。


 一人、長い黒髪の、綺麗な女子が廊下を通っていった。廊下を通り過ぎる人間なんて普通はどうでも良いんだが、彼女だけは例外だ。


 平川茜ひらかわあかね。学年じゃ高嶺の花と評判だ。そして一応、俺の幼馴染。幼稚園から始まり、小中高と一緒の学校に通ってきた。なのだが、中学の時ある事件があって以降、めっきり話さなくなってしまった。それについては、まぁ、俺のトラウマでもあるんで、ここで触れるのはよそう。


 しかしまぁ、あんなこと言っといて高校まで一緒になるのが不思議だ。アイツの学力なら、もっと上のところへ行けたはずなのに。


「あ」


「あ」


 目が合った。おまけに声も出てしまう始末。でもすぐに彼女が気まずそうに目を逸らす。最近はいつもこんな感じだ。やっぱり、嫌われてるのかなぁ……。


 ……おぉう。あの時のことを思い出しそうになって、ちょっと気分が悪くなってきた。早く荷物をまとめて帰ろう。

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