3日目
第13話 追憶、そして悪夢
目を開けると、見覚えのある天井が広がっていた。起き上がって辺りを見回してみると、俺の通っていた中学校の教室とそっくりだ。教室のど真ん中に突っ立っているのに、誰も変な顔をしない。おそらく、俺の姿は見えてないんだろう。
おかしいな。俺は夕飯を食った後、いつものように家事を済まして、リビングで寝たはずなのに。何が起こった?
しゃがれた声の先生が話をする声が、前から聞こえてくる。あの先生は知っている。中三の時担任だった先生だ。それでこれはホームルームか。
懐かしい、とは思わない。あぁ、そういえばそんなこともあった、というレベルだ。
教室内を歩いてみると、顔見知りがたくさんいた。この顔ぶれは中三の時のクラスと一緒だ。まさかと思って、教室中を再び見回す。そう。あの時は確か、真ん中のあたりで……。
いた。俺だ。
隣にいるのは茜。なんだか雰囲気が明るい。こうして見ると、俺がもう取り戻せないものを見るようで、なんともいえない気持ちになる。そして、こうも思うのだ。「あぁ、君はアレを経験することになるのか」と。その経験でねじ曲がってしまった俺が偉そうなこと言える口じゃないんだが。
チャイムが鳴ると同時に、先生が、
「それでは9月に、また元気に会いましょう」
と言ったのを聞いて、俺はハッとした。教室にかけられているカレンダーを見ると7月20日だ。
嘘だろ。
「ねぇ……陽人、この後校舎裏に来れる?」
俺が戦慄している横で茜が、当時の俺に向かって言った。
「ん、いいけど、どうしたよ?」
自分にどんな運命が待っているのかはつゆ知らず、当時の俺は茜にそう聞いた。
「ひ、秘密! 先に行ってるから!」
「あ、おい! 待って!」
茜は顔を赤くして、荷物を持って、逃げるように教室を飛び出し、当時の俺はその後を追った。
その時、俺と茜は「いい感じ」の関係だった。付き合ってはおらずとも、お互いのことをただの友達や幼馴染以上の存在と思っていた。クラスの中で、もはや秒読みだと噂になっていたのも覚えている。今から思えば、それが命取りだったんだが。
どちらが一歩を踏み出すのか。その問題だけが残っていた。
場面が校舎裏に変わった。そこに二人の男女がいる。当時の俺と茜だ。
「陽人……私、あなたのことが好き」
「へ?」
「あ、あなたと、その……恋人になりたいっていうか……」
彼女はしどろもどろになりながらも、話を続けた。
「今から大変なのは、わかってるの。でも、この気持ちを抱えたままだと、私、つらくて。だからその、そこはごめんなさいなんだけど、だけど……」
茜の声は少しずつ小さくなっていき、しまいには顔を赤くしながら言葉にならない声をあげていた。
「えっと……」
頭の片隅では予想していたのに、ひどく驚いたことを覚えている。バカみたいに勉強を頑張らなくちゃいけない夏休みを控えた今に告白されたから? そうではない。
この時の俺は、覚悟ができていなかったのだ。友達以上恋人未満のような関係にピリオドを打ち、はっきりと恋人という関係になる、ということに。
当時の俺としては、今まで彼女のことを、すごく仲の良い幼馴染と考えていた。俺としてはそのままの認識で関係を進めたくなくて、自分はきちんと茜と恋人として付き合うことができるかをちゃんと考えたかった……。
いや、違う。カッコつけてただけだ。そうやって。別にそんなこと考えずにホイホイ乗ればよかったのだ。
「ちょっと考えさせて。ほんと急で、びっくりしてて」
「う、うん……」
気まずい沈黙が二人の間に広がる。
「……ちょっと考えさせてほしい。すぐに返事はするから。明日にでも」
「うん……」
茜は落ち込んでいた。「ダメだった」と思っていたに違いない。
「……」
「……」
再び、沈黙。
「……とりあえず、帰ろう」
耐えかねたのか、当時の俺がそう言った。
「うん……」
と、茜もうなずき、二人は何も喋らず、校門へ向かって歩き始めた。
そして校門をくぐる直前、眼鏡をかけた男子生徒が当時の俺を呼び止めた。
「あ、か、影山君!」
おどおどした様子がいかにも怪しい。この時の俺もそう思わなかったのか。
「ん、西田。どうした?」
そうそう。西田。いつも教室の隅で本を読んでいる、あまり目立たない普通の生徒だった。この時点での彼の印象は良かった。たまに会話をする仲でもあった。
今はもう思い出したくもない存在だ。
「あのさ、ちょっと来てほしいんだけど……」
「いいけど、どうした? なんか震えてないか?」
「いいからいいから! さぁ!」
西田はそう言って俺を手で招き、学校の方へ引き戻そうとする。この時の俺は楽観的で、何か俺が必要な急ぎの用かと思っていた。あぁ、十分怪しいのに。
行くな。
行ってはだめだ。
どうすることもできない傷を、負うことになるんだぞ。
『行くな! 行くんじゃない!』
思わず、俺は叫んでしまった。だが、俺の姿は見えもしなければ聞こえもしないらしく、
「わかったわかった、今行く」
と二つ返事で当時の俺は受け入れてしまったのだった。
そうして、俺は茜の方を向いた。
「じゃあ、茜」
そう言って当時の俺は西田に連れられ歩いていった。これが今まで生きてきた中で、俺が茜と交わした最後の言葉だ。
あぁ、断ればよかったものを。
案内されたのはさっきと同じ、校舎裏だった。そして当時の俺は、驚いて腰を抜かすことになる。
そこにいたのは、学年一の不良として鳴らしていた、同じクラスの南原だった。いかにも不良という格好と大きい図体をした彼は、仁王立ちをしていて、当時の俺を見るなりニヤリと笑った。
「ありがとなぁ西田。お前は行っていいぜ」
「う、うん。じゃあ……」
西田はそう言って、走ってその場を後にした。
「南原を見たら、目があって声をかけられる前に逃げろ」と言われていたほどだ。関わりを持ったらロクな目に合わない。当時の俺も、抜けた腰をなんとか立たして、西田に続いて逃げ出そうとした。
だが南原の取り巻きたちが、俺を取り囲んだ。
「な、なんだ、これ、一体……」
当時の俺は怯えながらそう言った。
南原はしゃがんだ。
「おう。お前、最近調子乗ってるみたいじゃねぇか……!」
「!?」
腹に一発。当時の俺は地面に倒れて咳き込んだ。
「カハっ……ゲホっ、ゲホ……」
なぜ。頭の中が疑問符だらけになったのを覚えている。
「な、なんで……」
当時の俺は消え入りそうな声で南原に向かってそう聞いた。
すると、南原はこう言ったのだ。
「俺なぁ、調子よくて楽しくしてる奴見るとな、どうもむかっ腹が立つ。だが、そいつがそこから転がり落ちるのを見るのがな……」
そして、名状しがたく気味の悪い笑みを浮かべて、
「たまらなく、楽しいのさ」
と言って、ガハハと大きく笑った。
「別に平川とお前がデキてるとかそういうのは関係ねぇ、ただ、それを壊すと面白そうだから壊すだけだ」
この時、当時の俺は絶望した。
なんという理不尽。理屈なんて通用しようもない。
「お前ら、やるぞ」
南原はそう取り巻きに命令した。
そこからはもう、酷かった。どこもかしこも蹴られ、殴られ、踏まれ。さながら鳥葬でもされてるかのような有様だ。距離を置いて見てみると、よくわかる。
あぁ、見ていて腹が立つ。一発でもやり返したらどうなんだ。
だが、そんなことはなく。最初は苦しそうな声をあげていた当時の俺も、数十秒たつと声を上げる元気も無くなっていた。
「おい、机と椅子持ってこい。その辺に捨てられてるだろ」
急に南原がそんなことを言い出した。それにしたがって、取り巻きの一人が古ぼけた椅子と机を持ってきた。
もはや立ち上がる力も残ってなかった当時の俺は、取り巻きのうちの一人に無理やり抱き上げられ、椅子に座らされた。
そこに置かれたのは、一枚の紙とシャーペン。
「返事、書けよ」
その瞬間、ひどい寒気が背中を駆けたことを覚えている。
「どういうふうに書くべきかは、わかってるよなぁ?」
そう言って、南原は耳元で指の骨を鳴らした。意味は明白。茜を振る内容の手紙を書かなければ、また鳥葬もどきを喰らわせる、ということだ。
当時の俺は、もちろん書くのを渋っていた。その様子にイラついた南原が、拳で机を叩く。そして当時の俺はシャーペンを持った。だが、肝心の文字が書かれない。ここで折れたら、人間として、何もかもが終わる。それだけは嫌だ。そう思っていた。
だが、南原は椅子を蹴って、当時の俺の心を揺さぶる。当時の俺は過呼吸気味になりながらも、シャーペンを握るだけで、一文字も書かなかった。
そこに、取り巻きのうちの一人が、当時の俺の肩を掴んだ。そして掴む力を、どんどん強くしていった。
痛い。
見ているだけなのに、急にあの時と同じ感覚が俺の体に走った。
痛い。痛い。
やめろ、やめてくれ。
しまいには南原が首をつかんで締め始めた。
苦しい。痛い。痛い。苦しい。苦しい。苦しい! 痛い! 苦しい! 苦しい!! 苦しい!!!
このままじゃ、死ぬ——!
「——!!!!」
一生懸命口を開け、声にならない叫びを上げた。早く解放してくれ。この苦痛から、早く!
そしてこの時、俺の心の何かが壊れた。
気づけば、俺は一心不乱に字を書いていた。
南原と取り巻きは手を解き、当時の俺が書いていた紙を取った。だが、「これでは読めない。清書しろ」と言う。
俺の心は、もう折れていた。
あとは機械のように、「君のことは好きじゃない」だの、「付き合うことはどうしてもできない」だの、そういうことを書いていた。
真ん中あたりまで書いたところで涙が、ポロポロとこぼれ出した。堪えようとしたが、止まらない。声を出す力も残ってなかったから、当時の俺はただただ静かに泣いていた。
ごめんなさい。
いや、ごめんなさいというのもおこがましい。
俺は意志が弱くて、こんな暴力を跳ね返す力も無い。
愛する人を守る力もなくて、何が恋だ。
俺は人間の屑だ。俺が彼女を作るだとか、恋をするだとか、そんなことをする資格はないんだ。
そう心に刻むように、俺はペンを動かした。
「ヒヒ……おもしれー……」
南原とその取り巻きの下衆な笑い声が、当時の俺の心の中に刻まれた。
手紙を仕上げて解放された頃には、真っ赤な夕焼けが空に浮かんでいた。
いつもなら綺麗だとか、それくらいの感想は浮かぶのに、そんなことは微塵も思わず、
「フフ……アハ……アハハ……」
涙を流して、自分を嗤うことしかしなかった。
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