第21話 アヴェ・マリア

 バッハの原曲に、グノーがメロディーをつけた、『アヴェ・マリア』。


 まどマギで上条くんが発表会で弾いてたアレである。アニメで弾いてたやつよりかは1オクターブ高いけど。メロディー自体は簡単な曲なんだが、逆に言えば、弾く人の表現力が如実に現れる難曲だ。


 じゃあなんで、と思う人もいるかもしれない。まずさっきも触れたように、確実にミスをしない。それだけなら他にも曲はあったんだが、ゆったりと落ち着いた曲で、それでもってヴァイオリンの魅力を伝えられる曲がいいと考えたら、これがドンピシャだったわけだ。


 リーヴァの視線を感じる。だが、曲に集中しなきゃいけないし、見たら気を取られてしまって変なミスをするかもしれない。だから彼女がどんな風にして確認できないが、静かに聞いてくれていることはわかる。それだけでも十分ありがたい。


 最後の和音を弾き終わり、余韻が消える。リーヴァの方を見ると目が合った。そしてやっぱりというべきか、ドキンとした。聴かせたんだ。彼女に、俺の弾く音楽を。妙な達成感とちょっぴりの恐怖心が混ぜこぜになる。果たして、彼女の感想は……?


「……綺麗」


 彼女がポツリとつぶやいた。上手いとか下手とかそういうのじゃなく、綺麗。表現が良かった、ということだろうか。ともかく、綺麗という言葉で演奏を評されるのは嬉しい。だからはっきりと聞きたくて、聞き返した。


「え?」


 ハッとしたリーヴァは微笑んで、


「綺麗って、思ったわ」


と言った。


「興味深いわ。人間の、音楽って。こんなに綺麗なものなのね」


「そう思ってくれたなら、嬉しいよ」


 俺はそう言って横から譜面台を出して、合奏でやる曲を練習しようとした。が、その時。


「あなたって、すごい」


 急にリーヴァがそんなことを言い出した。なんだよ、恥ずかしい。驚いて振り返ると、彼女はきまりが悪そうに笑った。


「なんだい、急に」


「だって、さっきにあの悪い奴らを追い払ったかと思えば、こういう風に美しい音を奏でることもできちゃうんだもの」


 リーヴァが蕩けたような視線を向ける。


「ん……」


 鼓動が早まる。そして照れ臭くなって、心がむず痒くなる。でもそうか。よくよく考えたら結構やばいことしてるんだな、俺。でもあれは当然のことをしたまでというか、なんというか。


 でも、どうして今そんなことを言ったんだ? 待てよ、もしやこれは……


「それに、料理も美味しいし!」


 表情をいつもの調子に戻して、元気よくリーヴァはそう言った。


「結局それが言いたいだけかよ」


 俺は苦笑して不貞腐れたようにそう言った。ちょっとでも期待した俺が馬鹿だったよ。拍子抜けだ。こんなだから俺は童貞なんだろうな。俺の反応を見て、リーヴァは笑っていた。


「フフ、冗談よ、冗談。本当に、あなたのことはすごいって思ってる。予想以上の人間だったって」


「マジでぇ?」


「本当よ」


「ま、半分くらいで信じておく」


「本当だって言ってるじゃない、もー」


 リーヴァがふくれっ面をした。いや俺のせいじゃなくない? まぁいいけど。


 さて、時計を見る。そろそろ合奏用の練習を始めないとまずい。基礎練習の時間を飛ばせばなんとかなるか。


「じゃあ練習、始めますかねーっと」


 譜面台に楽譜を置いて、1ページ目をめくり、練習を始めた。今回の合奏は交響曲の第1楽章。そこを重点的に練習する。


 練習を初めてしばらくすると、リーヴァが不思議そうな顔をして、こう聞いてきた。


「さっきのと違って、ちょっと変な曲ね」


 あー……なるほど。俺のパート、セカンドヴァイオリンはこの楽章でメインメロディーをあんまり弾かない。というか全楽章通してセカンドヴァイオリンってそういうもんだけど。だからパート単体で聞いたら変な曲に聞こえるのもわからんでもない。


「この曲はな、たくさんの人間がいろんな楽器でいろんなメロディーを奏でて、それを合わせて一曲にしてるんだ」


「え、なんかもっと変になりそう」


 ならないんだなぁ。これが。


「ぐっちゃぐちゃになるのもあるけど、今回のは違うね」


 「本当か?」と言いたげな顔をして、彼女は疑っていた。


「ま、聞いてみればわかることだよ」


 俺は彼女に向かって微笑して、練習に戻った。合奏を聞いた時に彼女がどんな反応をするのかが楽しみだ。


 午後3時ちょっと前になると俺は練習を切り上げ、リーヴァを連れてホールへ行った。舞台にはすでに椅子と譜面台が並べられていて、何人かが座って練習している。


「こんなところがあったのね……」


 リーヴァがホールの中を見回してそう言った。


「そこまで良いホールでもないけどな。でもここらへんじゃ一番だろう」


 多分講演会用とかで設計されたから、音の響きはそこまでよくない。もっと響きの良いホールでやりたいというのが、大体の部員の本音である。これだけは吹奏楽部員とも意見が一致していた。


「じゃあ、好きなところに座ってなよ。話は通してあるから」


「わかったわ」


 そんなやりとりをして、リーヴァと別れて俺は舞台へ向かった。


 自分の席に座り、リーヴァがどこに座ったのかを探してみる。


 ……いた。結構よく見える。俺がよく見えるということは、彼女も俺がよく見えるんだろう。目が合うと向こうが手を振ってきたから、俺も小さく手を振りかえした。ミスできないねぇ、これ。

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