第20話 何も問題はなし
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした!」
完食。当たり前だが。俺は弁当箱を片付けた。
時計を見ると午後2時ちょうど。合奏までは1時間ある。俺は練習をすればいい。というかしなくちゃいけない。昨日家で弾くつもりだったのが学校に楽器を忘れてできなかったんだから。でもリーヴァはどうすればいいだろう。
「合奏までは時間があるから俺は向こうで練習してくるけど、リーヴァはどうする?」
「え? ここで弾かないの?」
キョトンとした顔でリーヴァが聞いてきた。ここで練習……そうねぇ……。
環境自体はいい。文句無しだ。部室とか廊下で練習するより他の音が聞こえないし、メトロノームとかもあったりするし。でも、俺がヴァイオリンを練習するのを聞いてもらうのは……ちょっと申し訳ない。べらぼうに上手いわけでもないし。
「……聞きたい?」
「えぇ。あなたの奏でる音、聞きたい!」
リーヴァが目を輝かせて、元気よくそう言った。
……こんなの、誰が逆らえると言うのか。俺は準備室で練習することにした。彼女に聴かせるのが俺の弾くヴァイオリンなんかで申し訳ないけど。
というわけで楽器庫に自分の楽器を取りに行った。部員はもうみんな楽器を出しているので、ポツンと棚に俺の楽器ケースだけ残されていた。
それを取って楽器庫の入り口を出ると、敏明がいた。
「うぉ! びっくりした……」
「すまねぇ。でも聞きたいことがあったんだ」
敏明の表情は真剣である。こりゃあふざけていい雰囲気じゃないな。思わず俺も姿勢を正した。
「で、どうしたよ」
「あの後、どうなったんだ」
「あの後?」
「飯食ってた時、お前不良に絡まれてそのまま行っちまったろ? 大丈夫、だったのか?」
そうだった。彼はあれ以降の事の顛末を知らない。昼飯中に急にどこかに行って、そのまま長い時間いなくなったんだから、そりゃあ心配になるに決まってる。
どう言おうかなぁ。本当のことを言うにも嬉々として語るのはどうかと思うし、語るとしてもはっきりとした証拠を見せないと信じないだろう。かといって金縛りにかけるのも気が引けるしなぁ……当たり障りない感じでぼかすか。
「あぁ、なんともない。別に何もされてないよ」
命が危なくなるところまでボコられたが。
「……本当か?」
敏明は疑っていた。そう言わされていると思ったんだろう。その心配はありがたい。だがこの件に関しては、心配は本当に無用なのである。ちょっとふざけて答えてみればそう信じてもらえるか。
「本当だよ。本当に本当」
「うそくせぇ〜……よりにもよってそれ言うかぁ? まぁそういうふうなこと言えるんなら大丈夫なんだろうが」
敏明が呆れた顔をしてそう言った。……三年前の出来事うんぬん以前にク☆厨の時点で人間の屑? そう……まぁ、そうねぇ……。
「あぁ。マジで、マジで心配はいらん。ほら、この通り無傷だし」
「ならいいんだが。なんか変なことになってたら、相談はいつでも乗るぜ?」
「おう。ありがとな」
心配をしてもらえることは、ありがたいんだけどね。本当に彼はいい友人だ。
敏明はさっきみたいに廊下で練習とのことで、彼とは部室の前で別れた。そして俺は楽器を持って、準備室に戻った。
リーヴァは本を読んでいた。俺が持ってる本じゃないから、準備室にあった本なんだろう。ここには音楽に関連した本をしまっている本棚があるのだ。タイトルは『ワーグナーから見る北欧神話の世界』とある。
「おもしろい?」
と聞くと、リーヴァは顔を上げて俺を見た。
「えぇ。下界だと私たちのことってどういう風に知られてるのかなって。読んだら何かしら思い出すかもっていう風にも思ったんだけど……」
なるほどねぇ。そういえば彼女、翼が砕かれたから記憶が朧げだと言っていた。
「どんな感じ?」
彼女は肩をすくめて首を振り、苦笑した。どうやら芳しくないらしい。
「おもしろいんだけど、やっぱり思い出せないっていうか……実感が湧かないのよね。あれ、こんなだったっけ? って感じで」
「そうか。じゃあよっぽど違うのか、完全に忘れ切っちゃってるのかのどっちかか」
「そう……だと思うわ」
「うーん……」
でもまぁ、手がかりのないことを考え続けても仕方がないわけで。
「ま、気楽に行こう。気楽に」
俺が笑顔を作ってそう励ますと、リーヴァも微笑んだ。
「そうね。じゃあ早速、あなたの音楽を聴こうかしら」
「お、おう」
……またドキドキしてきた。人に聴かせるなんて何年振りだろう。相手がリーヴァなのもあって余計緊張してくる。気を落ち着かせようとしながら、俺は楽器の準備を始めた。
「それがあなたの楽器?」
ケースに入ったヴァイオリンを見て、リーヴァはそう聞いてきた。
「そう。ヴァイオリンって楽器だ」
「ヴァイオ……リン」
「そう」
俺はケースから楽器を出して、肩当てをつけて、弓を取り出し、構えた。
「こういう風にして、弓の毛と弦の摩擦で音を出す」
そう言って俺はラの弦を弾いた。一応チューニングも兼ねている。
「すごい! 他の音も出るんでしょ?」
リーヴァは興味津々にそう聞いてきた。初めて見たり聞いたりするシロモノだからだろう。
「あぁ。もちろん」
というわけで俺はレ、ソ、ミの弦を順に弾き、今度は2本の弦を同時に弾いてみたりした。
「ものとものを擦る音で、こんな音が出るのね……」
「そうだな。低いとこれくらい、高いとこれくらいまで出せる」
一番低い音の場所と、一番高い音の場所を弾いた。
「おぉ〜」
リーヴァは食い入るようにヴァイオリンを見ていた。
「ねぇ、何か曲は? 弾けたりするの?」
「あぁ、弾けるけど。何がいいか……」
レパートリーはいくつかあるが、確実にミスらず、かつ自分ができる限り美しく弾ける曲がいいのだが……アレが思い当たった。
「……オッケー。じゃあちょっと待って」
俺はそう言ってチューニングを完全に済ませ、ヴァイオリンを構え直した。
あぁ緊張する。下手に弾いたら命の危険があるとかそういうわけじゃないが、彼女の前ならできる限り完璧に弾きたい。
深呼吸、深呼吸。落ち着くんだ。
俺は弾き始めた。
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