第18話 向き合う時

 さっき尻尾を巻いて逃げてった取り巻きの中には、リーヴァの影はなかった。だから連れて行かれたとかは、ない、はず……。


「リーヴァ? リーヴァ!」


 不安になって、俺は彼女の名前を呼んだ。


 すると彼女は体育館の角の方から、ひょいと顔を出してきた。


 気づけば俺は彼女に向かって駆けていた。彼女も俺を見たなり走ってきた。


 あぁ、よかった。無事だったか。俺は心の底から安心した。


 近づいてきた彼女を、俺は思わず抱きしめていた。それは彼女も同じだった。俺のところへ来たなり、胸に顔を埋めた。


「すまん……。本当に、すまん……!」


 強く彼女を抱きしめながら、俺は彼女にそう言った。元はと言えば、一人で帰るように指示した俺が不用心だったんだ。それに、彼女を解放するまでに、実に長い時間がかかってしまった。その間にどれだけ嫌な思いをしたことだろう。俺はそれを、途中まで止めることはできなかったのだ。


 なんとかなったからよかったが、彼女には本当に申し訳がなかった。


 だが、彼女は首を横に振った。


「私、怖かった。これからどうなっちゃうんだろって、不安になって。あなたも、死んじゃうんじゃ……ないかって、本当に、怖くて……」


 なんとか生き延びたよ。俺は彼女の背中を軽くさすった。


「でも……」


 彼女は顔をあげて、俺と目を合わせた。


 目は今にも泣きそうなくらいに赤い。だが不思議とその表情は明るかった。


「諦めないで持ち直して、あの人たちを追い払って、助けてくれた。あなた、本当に、すごかったわ」


 そして彼女は微笑んで、こう言った。


「ありがとう」


 なんて嬉しそうな、あったかい笑みだ。さっきとは違う風に心臓が跳ねる。


 俺は再び、強く彼女を抱きしめた。


「よかった……よかった……本当に、無事で……」


 彼女が無事に、連れてかれずにここにいる。それだけで、こんなにも嬉しいものか。それを実感するだけで、心が満ち足りる。今回みたいな危機なんて二度とごめんだ。このまま彼女の存在を感じていたい。離したくない。


「ん……ハルト、ちょっと苦しい……」


 リーヴァのその言葉で我に帰った。彼女は苦笑している。


「あっ! ご、ごめん……」


 咄嗟に腕を解いた。感情が昂ったあまり力がこもりすぎたらしい。いかんいかん……。


「ううん、いいの」


 彼女はまた微笑んでそう言った。気にしてないならいいんだが……。


 しかし、我を忘れて強く抱きしめるほど、俺はリーヴァが大切なのか。


 確かにただの同居人とは、もう微塵も思っていなかった。それは認める。いつの間にか、彼女はそれ以上の存在だと思い始めていた。


 じゃあ、どう思っているのか。


 離れたくないと思う感情、失うことへの恐怖、そして、彼女の俺に向けた笑顔を見て跳ねる心。


 もしや。いや、でも。


 ——そうか。もう気にしなくてもいいのか。俺はあの時の雪辱を晴らした。どのような方法であれ、誰かを守れる男だと示した。


 なら、もう躊躇する理由は無いのか。


「素直じゃないねぇ……」


 今朝敏明が俺に呆れながら言った言葉が脳裏に蘇る。あいつは果たして、見抜いていたんだろうか?


 いいだろう。素直になってやろうじゃないか。


「ふふっ」


 思わず小さく笑ってしまった。


「なに? どうしたの?」


 リーヴァが俺の顔を見た。


 あぁ。


 愛おしさが胸に溢れる。見ているだけでこんなにも幸せな気持ちになるとは。だがこんなことはまだ言えない。彼女が俺のことが好きだという保証は無いのだ。それなのにこんなことを彼女に言うのは、気持ち悪いにも程がある。


「……別に。なんでも?」


 と、必死に自分なりにポーカーフェイスを作ってお茶を濁した。


「へー、そう。でも、なんだか嬉しそうね」


「まぁね」


 君が傍らにいるだけで嬉しいよ、なんていうキザなセリフを吐きそうになるのを、頑張って抑えた。

 

 さて、実を言うと今の時刻は昼下がり。


「これからどうするの?」


 リーヴァが聞いてきた。どうしたものか、と考える。一人で帰らせるのも心配だし、かといって俺も帰るわけにはいかない。遅れてはしまったが、部活に出ないと。今日の最初は自主練の時間だったはずだから、多少遅れてもなんとかなる。


 あ、そうか。


「来てみる? 部活」


 なら連れていってしまえばいい。俺は彼女にそう聞いた。引退が近いから入部はしないが、転校生が見学したいと言っていると言えば、問題ないだろう。


「いいの?」


 リーヴァが嬉しそうにそう言った。


「あぁ。今まではすまなかったけど、もう人目を気にする必要は無いから」


「やった! 楽しみ!」


 彼女は小さくガッツポーズを取ってそう言った。今まで「目立たないように」と行動していたから、その反動で余計に楽しみなんだろう。


 この世界のいろいろなものを見たいという彼女の願いを、少しではあるが、やっと叶えてあげられる。俺はそれがたまらなく嬉しかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る