2日目
第4話 新しい朝
スマホのアラームが鳴っている。俺は頑張って目をこじ開け、それを止めた。新しい朝が来た。希望の朝かどうかは知らない。
目の前に広がるリビングの景色。そうだった。寝室はリーヴァに貸しているのだ。別に二人分の布団を敷くスペースが無いわけじゃないんだが、その、ほら。アレは思春期の男には猛毒だから。朝飯を余分に作らないと、と思いつつ、俺は布団から出た。
「さみー……」
そう呟いてストーブのスイッチを入れ、窓のカーテンを開けた。空が少し明るい。朝焼けが近いんだろう。
それで、景色が白い。
昨日降った雪が積もっていた。ざっと見た感じ、去年より多く積もってそうである。ここらへんでここまで積もるのは珍しいんじゃないだろうか。交通は荒れてそうだが、今日はおそらく使わないから考えなくていいか。だが、通学時は足元を注意したほうがよさそうだ。
顔を洗って、洗濯物を取り込んで、朝飯の準備だ。冷蔵庫の中身と相談して、献立を考える。箸を使うような料理はやめた方がいい。多分使い方を知らないだろうし、今は教える時間がない。今日は部活の朝練があるため家を早く出なきゃならんのだ。ナイフ、フォーク、スプーンで食えるもの、なおかつ今の冷蔵庫の中身で作れるもの、となると、典型的なイングリッシュ・ブレックファストに少しアレンジを加えたもの、っていう感じになりそうだ。
一応作ってみて、自分の朝食を兼ねて味見として食べてみる。……うん、いいだろう。これを二階に運んで、俺は家を出るとしよう。リーヴァと一緒に食べてもよかった、むしろそうしたかったんだが、ちょっと時間が押してるのでできなかった。
制服を着てお盆を持って二階の階段を上がり、俺の部屋の襖を開ける。リーヴァがまた窓から外の景色を見ていた。ここから見ると後ろ向きだから、どんな顔をしているかはわからない。ただその後ろ姿もまた綺麗で、俺は無意識に見惚れてしまった。
……いかんいかん危ない危ない。と、なんとかして我に帰る。ただでさえ時間が押してるのだ。やることをやってしまわないと。
「外が気になる?」
俺がそう言うと、リーヴァは俺に気づいて振り返り、にこりと笑った。
「えぇ。やっと夜が明けてきて、景色がよく見えるようになったから。この辺りがどんな場所かなーって、見ていたの」
「そこまで珍しいものはないと思う。ここは普通の住宅地だから」
「ジュウ、タクチ?」
キョトンとした顔でリーヴァが言う。あぁ、こういうものは見たことないのか。
「人間の住む家が集まってる地区のことさ」
「あぁ、なるほどね!」
すぐに理解してくれたようで、また明るい顔に戻った。それにしても表情がよく変わる。見てて飽きないというか、楽しい。
「まぁ、雪が積もってるのは珍しいかも知れないけど」
「雪? 珍しいの?」
……そういやあなたの出典って北欧神話でしたね。白夜なんかがある地方とウチじゃあ積雪量はダンチである。ウチは毎年降るには降るが今年みたいにある程度積もることは滅多にない。
「ここらへんじゃ珍しい、かな……」
「へー、そうなんだ」
「あぁ」
静かになった。ちょうどいい、ここで朝食を渡そう。
「これ、今日の朝食」
そう言って、勉強机の上にお盆を置くと、リーヴァの顔が目に見えて明るくなった。
「わぁ、美味しそう! ありがとう、陽人! ご飯もそうだし、居心地も良くしてくれて」
ん? 確かに飯は腕によりをかけて作ったが、部屋に関しては昨日から何もいじってない。俺が使っていた頃と変わらないはずだ。
「どういたしまして、って言いたいところだけど、別にこの部屋を特別居心地良くした覚えはないが……」
と、俺は困惑する。リーヴァは首を横に振った。
「いいえ。この部屋だけじゃない、家全体の居心地が良いの! 今の時代の下界で穢れが全く無いなんて、あなた、どんな細工をしたの?」
そういう風に、興味深げに聞いてくる始末。いや、本当に何もしてないんだって。穢れがどうだとか知らんし。
「いいや、全然? 本当に、何もしてない。というかなんなんだ穢れって」
俺がそう聞くと、リーヴァはハッと気づいたような顔をした。
「そうか。あなたはわからないのね」
「お、おう」
あぁそうだ、わからない。なんなら君の存在だってよくわからない。
「良いわ。じゃあ説明するわね。穢れというのは、人間の抱く負の感情が、なんらかの原因で霊の形を取って現界したもののこと。限られた数の人間しか、知覚することはできないわ」
到底信じられないような話だが、例のごとく俺は信じた。だがもちろん、何も疑問が湧かなかったわけではない。
「人の中にある感情なんかが、どうして外に出るんだ?」
「色々よ。ネガティブからポジティブに心変わりすることでも出るし、死んだらその人が抱えていた負の感情に応じて出るし」
「なるほど」
そういう仕組みなのね、と。訳のわからん数学の公式を覚えるように割り切った。リーヴァの説明は続く。
「下界も昔は穢れが少なかったわ。だけど、いわゆる文明というものを人間たちが興してから、時代が進むにつれてどんどん穢れが増えていったの。だから現代でこの家の中みたいに、穢れが全く感じられないっていうのは、奇跡に近いわ」
「へぇー……」
再び生返事。しょうがないさ。だって実感が湧かないんだもの。穢れなんて概念、見たこともなければ聞いたこともないのに。
「よくわかってなさそうねぇ……その様子じゃ本当に何もしてないのか。不思議なこともあるものね……」
と、興味深そうにリーヴァが言う。不思議って君が言えた口じゃないでしょ。
ここで部屋の時計を見ると、時間がヤバいことになっていた。今すぐに家を出なければ間に合わない。
「っと、もう時間がヤバい。続きはまたにしてくれ。俺はもう出なきゃ」
「どこ行くの?」
不思議そうな顔をしてリーヴァが聞いた。
「学校」
「ガッコウ?」
「俺みたいな歳の奴が勉強するために行くとこ!」
「連れてって!」
リーヴァは目を輝かせながら、俺に接近した。近づかれると胸がドキッと跳ねてしまって心臓に悪い……。だが。
「無理」
流石にこれは無理である。彼女はうちの学校の先生でも生徒でもない。保護者と偽るには若すぎる。偽るなら生徒として偽った方が良いが、ウチには女子用の制服が……あった。東京で一人暮らしをしている姉のお下がりがあるが、サイズが合う保証は無い。転入手続きをするにしても、彼女は戸籍すら無い、この世界から逸脱した存在だ。どう手続きをしろと?
「えーなんでー!?」
リーヴァはふくれっ面をして俺に抗議した。クソ、なんだか可愛い。だがダメなもんはダメだ。
「学校には関係者以外入れないから! 制服はあるけど『転校生です』って嘘をついてもバレるだろうし……」
「……嘘がバレなければ良いのね?」
リーヴァは微笑してそう言った。まるで、それをするのが造作もないとでも言うように。
「できるってのか?」
「えぇ。簡単に。なら良いでしょ?」
彼女はそう言って、俺の目を見てねだった。確かに、それができるなら越したことはないし、絶対にバレないのなら学校に連れて行くこともやぶさかではないが……。でも、どうやって?
と、ここで腕時計の時間を確認する。……流石に、もう出ないとかなりヤバい。
「良い! それなら良いよ! 良いけど、俺はもう出ないとマズい! 来るなら来るで絶対にバレないようにすること! そして朝飯を完食すること!」
俺はそう言い放って、襖を勢いよく開けた。
「あ、待ってよ!」
リーヴァがそう言っていたが、俺は階段を駆け降りて家を出た。
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