第3話 前を向いて

「ワルキューレ……」


 ワルキューレ。ほぼ、名前だけ知ってるという状態だ。北欧神話での天使、みたいな存在だっけ? 色々な作品に名前だったり概念だったりが拝借されてるが、その原典に限りなく近いのが、彼女なのか?


「知らなくても無理ないかぁ。ここ、極東だし……」


 リーヴァが苦笑する。


「いや、まったく知らないわけじゃない。ただちょっと、驚いてるだけ……」


 空から降ってきた女の子が神話の登場人物を名乗るという場面に遭遇して、誰が平常な心を保てるっていうんだ。


「じゃあ君は、人間じゃない?」


「そう、ね。限りなくヒトに似てるけど、あくまで私たちは大神の端末だから」


 まぁ、ここまでくると予想はしていたが。人外の存在なんて、想像の世界の特権だろう。それが現実の世界で、俺の目の前に現れた。まったく、どうかしてる。と思うが、目の前の事実は変わらない。


 ともかく、だ。まずは頭の中に溢れてる疑問を一つ一つ消していこう。そうすれば困惑もおさまってくるかもだ。


「大神の端末って、どういう……」


 とりあえず、彼女がさっき言った言葉の中に現れた、俺の知らない用語の意味を尋ねる。


「それはね……えーと……」


 さっきまでハキハキと喋っていた彼女が、急に言葉に困り出した。「えーと」とか、「うーんと」とか言ったり、唸ったり。あざとく見せるための演技かと一瞬思ったが、やる意味もないだろうし、演技と思うには長く続きすぎていた。これは、「思い出したくても思い出せなくなった」と解釈するのが正しいだろう。


「思い出せないの?」


「……えぇ。恥ずかしいんだけど……」


 すごくばつの悪そうな顔をして、リーヴァは言った。自分の出自に関することを忘れるなんて、相当のことだと思うが。


「撃墜されて翼が壊れたから、変になったみたい。だから記憶がちぐはぐで……」


「撃墜されて落ちてきたのか? 誰に?」


 リーヴァは首を横に振った。覚えてない、ということだろう。


「撃墜された、ってことは覚えてるの。だけど、誰によって、どうやってっていうのは、思い出せなくて。はっきり思い出せるのは自分がワルキューレなことと、端末名だけ」


 彼女の顔が段々と曇ってきた。


「あぁ、私、ダメだなぁ。大事なことまで忘れちゃうんだもん」


 そして、「ハァ」とため息をつき、項垂れた。


「出来損ないって言われても、仕方ないかなぁ……」


 さっきまで元気な様子だった彼女は、今は完全に落ち込んでいた。


 俺の心がざわついた。これ、俺のせいだよな……。俺のした質問に答えられなくて、それで記憶をいくらか失ってることがわかって、ショックを受けた。……うん。百パーではないが、俺にも少しは責任があるだろう。ならせめて、ここで何か言って励ましてやらないと落ち着かない。そんなわけで俺は「どういう言葉がいいか」と頭をフル回転させて考える。


 あぁ、あれが良い。


 そして俺は、彼女にこう言った。


「起きてしまったことは、しょうがないんじゃない? 過去に戻れるわけでもないんだし」


 彼女はそれをできるかもしれんけど。そんな考えが頭をよぎったが、俺は話を続けた。


「思い出すめどが立たないなら、それは一旦お終いにして、何か新しいことを考えるんだ」


「新しい、こと?」


 彼女が頭を上げた。


「そう。なるべくポジティブにさ。これはいい機会なんだって。今までの自分ができなかったこと、してみればいいんじゃないか? 人間俺たち風に言うところの、第二の人生、的な」


 過去は変えられない。過去を憂えて時間を無駄にするくらいなら、過去は過去と割り切り、今を精一杯生きて少しでも明るい未来を引き寄せろ。過去を振り返りすぎてはならない。今は亡き父からの受け売りだが、一応俺のモットーだ。今まで生きてきて、何度もこれに救われた。でもこれを他人に言うのは初だ。彼女は人じゃないけど。


「第二の人生……」


 リーヴァが考える素振りをする。彼女はまったくそんなことを考えてなかったんだろう。それもそうだ。記憶喪失に陥って、頑張って思い出そうとして、それができないで鬱々としてる人が、「失ったなら失ったなりに楽しめば?」と言われれば困惑するだろう。あぁ、思ってみれば、励まそうと必死になりすぎて、無神経なことを言ったかもしれない。


 だが少しして、彼女は微笑した。


「その考え、面白いわね」


「そうか?」


「えぇ。でも、悪くない。いっそのこと人間みたいに過ごしてみる。それはそれで、楽しそう!」


 彼女は笑ってそう言った。お粥を食べていた時の元気が戻ってきたようだ。やっぱり彼女は、ポジティブでいる方が良い。


「そこで、よ」


 彼女がその金色の瞳を俺に合わせた。俺はドキッとして彼女の話を聞く。


「私はあなたについて行くわ。私に、この世界を見せて!」


「……え?」


 待った。どうしてその結論になる。いや別に良いんだが。それどころか嬉しいんだが。そうなる理由が知りたい。


「俺で、良いのか……?」


「えぇ。あなた、面白そうだから!」


「面白そう……?」


 三次元に微睡んで二次元に熱狂してる男は確かに面白いかもしれんよ? でもそんな漠然とした理由?


「そうよ。あなたといると面白いことが起こる気がするの。直感というか、本能でそう感じるの!」


「な、なるほど……」


 ワルキューレの本能ってなんだよ。ツッコミどころ満載だが、もう流石に疲れた。考えようにも頭が回らん。そう感じるならそれでもういいや。しかしまぁ自分で端末って名乗るにしちゃあ、感情が豊かじゃないか?


「オーケー。いいよ。じゃあ、これからよろしく、だな。リーヴァ」


 まぁそこらへんは棚上げとしよう。


「えぇ! えーと、あなたは……」


「影山陽人。影山が名字で、陽人が名前」


「カゲヤマハルトね! 覚えたわ!」


 こうして、ワルキューレが俺の家に住み着いた。

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