西崎は今井から学ぶ


 休み明けのお仕事は現実に引き戻される。朝のルーティンを終えて仕事場に到着した僕は久々に今井カナを見た。


 目の下に隈が出来ていると思う。少なくとも僕の記憶では明るい目元をしていたはずだ。


「おはようございます」

「おはよう」


 挨拶を終えて普通に本日の業務が始まった。とはいえ、先月の最後に今井は試験を受けて結果待ち。一ヶ月後に結果発表だったと記憶している。彼女の頑張りは見ていたので合格して欲しいけれど、見ないと分からない。


 僕の方は別の部署でお手伝いをしていた記憶が鮮明に残っていた。だからこそ改めてスケジュールの確認をする。


 本格的にリプレイス業務が走り始めるのは六月である。


 先方――電飾会社のエンジニアとも顔合わせをする予定が存在した。


 それまでに僕がやることは引き続き環境構築が主な業務となる。


「今日は何するんですか―?」


 仕事が振られて居ないかつ、試験も終えた今井から当然の質問が来た。


「今は悩んどく。自由にしてて」

「はーい」


 まだまだルールが定まっていない。それに作業の割り振りが出来ていないのは致命的である。


 時間があるのが救いだった。


 これからの運用としては朝会で現状の認識合わせを設ける必要がある。朝一に顔を合わせて何か困った事が無いかを確認するフェーズだ。そこで、疑問点や今は予定していないが残業時に起きた問題をすり合わせる。


 例えば、スケジュール上では一日で終わる業務があるとしよう。しかし、翌日になってもその仕事が終わっていない場合だ。


 担当者の技量が追いついていない可能性をまずは考える。僕が一日で終わると想定していても作業者が力不足だと時間が掛かる。つまり、時間さえあれば解決できる内容ならスケジュールが少し押されるだけで済む。


 しかし、何か分からない点やトラブルが発生して担当者では解決出来ない場合は一生終わらない可能性が浮き出る。


 単純に分かる人にやってもらえば五分で終わるが、分からない担当者は調べるのに時間が掛かってしまい調べ方次第でも答えが出ない時は仕事を進める事が出来ない。


 そういう問題を共有する会は必要だ。しかし、朝に限らず問題が出たらいつでも共有出来る関係性を作ろう。


 空気の良い現場作り……はて、案件のリーダーという立場だが普段はやらない事なので難しいだろうな。


「そういえば、見ましたか?」


 パソコンとにらめっこしている僕に隣の今井が話しかけてきた。横目に見ると身体をこちらに向けてじーっと見つめる目が合う。


「ん?」

「仮面先生の真実が次で最終回なんですよ!」


 おっと、怠慢だった。弟が主演のドラマが脳内から吹き飛んでいた。


「まだ見てない。ネタバレ厳禁」

「ぐう。言いたい……でも言えないっ!」


 今井はネタバレをしない良い子だった。


「あれは絶対に見るから」

「はい! 見て下さい!」


 話したい事を終えた今井は自分のパソコンへ身体の向きを変えた。


 さて、六月の作業はまだ人を入れないで良いとして……あ、人が入った時の為に資料作りもしないと行けないな。


 新規で入ってきた人にパソコンを用意して手順書通りに作業を進めるだけで仕事が出来るように資料作りか……思い返して見ると今井が使っているパソコンも僕が設定して僕の使っているパソコンも僕が設定している。


 そう、今井が良いテストケースになるのだ。


 僕は気づいた。だから『予備』という名目で一台のパソコンを設備科に依頼する。


 全ての機器は会社の所有物で社員に貸している。その借りたパソコンで作業をするので、どの型番のパソコンを誰が使用しているかは管理されている。


 今井に振る作業が一つ生まれた。知っている僕がやるよりも何も知らない今井がやる方がいい結果が出る。


 そのいい結果とは、新規で入ってきた人が躓く場所が可視化される。経験者なら問題無くても初心者が分からない点を知る事が出来る。


 設備科からパソコンが届くまで僕は環境構築の続きを始めた。本番と同じ動きをする環境と何かしら手を入れて動作確認するテスト環境の構築を進める。その間、今井には自由にして貰っていたが隣から奇声が聞こえる……。


「はぁ! とか、おぉーとか聞こえるけど、今井は何してる?」

「先輩、見てくださいよ。可愛くないですか?」


 今井が見ていたのはクリスタルのクマさんだった。キラキラと光を反射させて座り込んでいる透明のクマは赤いリボンのネクタイを付けている。ひと目見た時は置物だと思った。


「これ、イヤリングなんですよ」


 拡大画像だったらしく、実際は親指の爪と同じくらいの大きさだ。


「クマさんだな」

「はい! クマさんです」


 可愛いクマさん……確かにつぶらな瞳をしている。お値段は二万円と書いてある。


「可愛いな」

「想像してみてください」


 カナはそう言って


 姿勢を正して胸を張り、髪を掛けた耳を注目させる。


「私がちょっとでも動いたら耳元で小さなクマさんが揺れるんですよ。耳にクマさんぶら下げてるカナは可愛いのです」


 僕はイヤリング単体で可愛いと思ったが、今井は自分に付けた姿さえも含めて可愛いと言っている。


 ユーザーが実際に使用して満足行くまでがサービスだと僕は再認識した。良い物を作って終わりでは無く、使用後も考慮しなければならない。今回の場合……可愛いファッションアイテムを使用している自分自身が満足している姿を想像出来る良いアイテムだった。


 イヤリングのデザインがもっと厳つい物だと、使用している自分を想像できず売れない可能性もある。収集癖がある人ならば珍しいだけで購入に至るかもしれないが、殆どの人は使用すると僕は思う。


 見落としがちな点を今井カナから学んだ。


「今井は凄いな……」


 自然と溢れた言葉に何も知らない今井は目をぱちくりとさせた。


「え!? 別に……ほ、本気で私が可愛いとか思ってないからね」


 意味がわからないが顔を赤くしている今井がいた。新人の今井に教える事が沢山あると僕は思っていたが教えられることも沢山あると実感する。忘れがちな視点に気づかせてくれる。


「勉強になります」

「べ、勉強!? ナニの勉強かな!?」


 関心する僕と何かを取り繕う今井の空間にガチャっと、扉の鍵が解錠された。

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