顔採用のど素人


 四月……出会いの季節に僕――西崎カオルは今井カナと出会った。劇的なドラマがあった訳でもなく、普通の生活をしていれば社会人になると後輩を持つこともあるだろう。


 だが、事前に『怖い人』という情報をバラ撒かれる経験は皆無のはずだ。僕ほど社会人として周りに溶け込んでいる人間はこの部署に存在しないと自負している。上司がある日、カウボーイのコスプレをして会社に現れる経験は激レアだ。


 ……前言を撤回しよう。人前に出る仕事に携わっている方なら僕と同じ経験をしている人も居るかもしれない。ドラマの撮影にカウボーイが必要だったり、アニメや漫画のコスプレを生業にしているなら可能性があると思う。


 でも、僕はプログラムを書いたりするITエンジニアだ。


 不要と斬り捨てる理由も権限も無いので神下部長は隣に置いておく。次に現れた新人『今井カナ』はとても目に付く髪の毛をしていた。胸まで長い髪の毛を七三で分けて短い方を右耳にかけている。キラキラとしたピアスよりも目立つのが色だ


 ピンク色……全体がピンクなら僕は彼女の何処を見ていいのか分からなくなっていただろう。


 彼女の気遣い……または、オシャレか判断は付かないが、耳にかけてある部分。その一部だけが鮮やかなピンク色だった。


 僕の知識では美容師業界なら目立たないと思う。しかし、ここはそう言った世界から掛け離れていた。


「神下部長?」


 僕の必殺営業スマイルで口角を上げながらカウボーイに話しかける。


「僕の何処が怖いんですか? 心当たりが全くありません」


 僕の問いかけにカウボーイは、ふぅと短い溜息を吐いて立ち上がると、先程まで持たれていた椅子が後ろの壁にコツンとぶつかる。


「本人じゃ気づかない……か。己の胸に尋ねると良いだろう青年よ」


 意味深な言い方だけを残して神下部長は扉の前に立って此方を見た。


「会議がある。西崎君はメールを確認すると良いことがあるだろう」


 ガチャリとドアを開けて神下部長は出ていった。ゴンと左足を縁にぶつけていたが僕は見て見ぬ振りをした。


 神下部長の言葉……今は彼自身の中にあるカウボーイ像に己を見失っている様子だが、言いたい事は分かった。新しい部署が始まりので僕はやることが実は分からない。


 何も知らされていなかった。四月から新しい部署に移動という事だけが告げられている。


 あの言い方的に業務内容がメールに送られているんだろうと察する。


 そんな事を僕が考えていると視線を感じた。ストローを口に咥えてずずずずーと吸う音を出しながら見られている。今井カナが僕を見ていた。恐らく新人の彼女は僕以上に現状を把握していない様子に見える。


「神下部長って面白い人だね」


 今井カナは部長の感想を伝えてくれた。僕も彼女と同感で面白い人だと思う。そして、おかしな人だとも強く思っている。


「悪い人じゃないから……今後は苦労するかもしれないけどな」


 神下部長は特殊な立ち位置の人である。その部長が去り僕たちは沈黙のまま己のやりたいように時間を潰した。


「ん? なんの音?」


 始業前の合図が流れた。初めて聞いたであろう彼女は天井のスピーカーへ視線を向ける。


「あと十分後に仕事開始だ」

「なるほど! じゃー、仕事の準備しなきゃね」


 僕は自分の席に座ろうと思ったが、先客が座っている事を思い出す。


「今井カナさん。実はその席……僕の席だと思うんだけど」


 眉間にシワを寄せられた。


「この席に社員カード置いてあったよ? ここが違うなら何処?」


 神下部長が恐らく置いていてくれたんだろうと僕は思った。何故なら僕が先に会社に到着して社員カードを彼女に渡させるつもりだったんだろう。新学期の学生みたいに席に名前は無い。


「ん……どうやってこの部屋に入ってきたんだ?」


 社員カードで開けないと中には入れない。だからこそ、新人が出社した際に上司が付き添って中まで入れるはずだ。


 ルール上は社員カードが無いと何も出来ない。


「朝に警備員? 門に立ってる人に名前を伝えたら案内してくれたよ?」


 ……ふむ。まぁ、あり得ない話では無い。緊張で朝早く出社する新人も想像しやすい、初回から遅刻を回避した子だと見え方が変わって僕から今井カナへ対する印象が変わった。


「まぁ、いい。パソコンの中を見れば分かることだな。電源を入れてくれ」


「はーい」


 元気な返事をした今井カナがパソコンをきょろきょろと見始めた。その間に僕は冷房の設定を見直すことにした。歩いていける距離に駅があるので電車には歩いて向かう。降りてからも五分ほど歩くので少々汗ばむ。


 朝一番に出社したら冷房を付けて涼むに限るが今日に限っては先客が付けてくれていたみたいだった。暫く時間が経ってるので、今の設定が少し肌寒く感じた僕は温度を少しだけ上げる。


 そして、今井カナを見ると小首を傾げていた。


「どうかしたのか?」


 僕が彼女の座っている僕の席に近づくとパソコンのモニターが暗いままだった。先日セットアップした時は無事動いてくれていたのだが故障でもしたか。


「これー、私のと違うから付け方が分かんない」


 モニターばかり注視している彼女の足元で本体が静かに佇んでいる。


「電源ボタンはコレだ」


 そう言いながら僕はしゃがんでパソコン本体の電源を付けた。


「あぁ~、邪魔だなーって思ってたけどコレが電源なんだ」


 割りと一般的な種類のパソコンだと認識しているが、モニターと一体型も世の中には存在する。


「コードを踏んだり蹴ったりしてコンセントから抜かないようにな」


 なるべく配線はデスクの裏を通るようにされているが、足を引っ掛ける可能性は少なくない。


「わかりました!」


 両手の人差し指をキーボードの上でピコピコ動かしながら立ち上がる画面を見守る今井カナが其処には居た。そして、パスワード画面が表示される。


「うん? パスワード?」


 当然、僕のパスワードが設定されている。なので、彼女が解除する事は出来ない。


「ちょっと貸して」


 今井カナの手が占領するキーボードを僕が操作してパスワードを解除する。


「なんで、パスワードが分かったんです?」


 純粋な疑問を浮かべる彼女に僕は事実を告げる。


「僕が設定したからね」

「おぉー!」


 驚かれた。


 パソコンのパスワードを自分で設定して自分で解除しただけなのに驚かれる……初体験だ。


「よし。んじゃ、メール開くか」


 僕は椅子を今井カナに占領されているので片膝を着きながらキーボードを操作する。その直ぐ隣で画面をまじまじと見られていた。


「お、これか」


 神下部長から届いたメールを開いて注意書きが一番最初に目に入った。今年の新人についての内容のようだ。


 僕は一応、目が滑らないように目を通す。


「えーっと、今年の新人が内定を殆どの人が蹴らずに入社したと……」


 新社会人が入りたいと魅力を感じる良い会社とも捉えきれる。この点は所属する組織が褒められてるみたいで僕も良いと思った。通常は例年の事例を見込んで内定を蹴られる想定をし合格者を出している。


 その目論見がハズレて今年は沢山の新人を抱える事になったと。


「へぇー、今井カナさんの同期って多いんだな」

「そうなんですよー。もう、びっくりしちゃった」


 僕の同期も今は散らばってて何をしてるのかさえ全てを把握しきれていない。稀にあの人って……と話題を振ったら既に辞めてたりもするから気を使って社員全体が集合するイベント時に把握することにしていた。


「ん……?」


 奇妙な一文を僕は見つける。神下部長の書いた内容を見ると……『今年は技術者の社員が不足している!?』


 妙だ。想定を超える内定者が入社しているにも関わらず技術者が不足している。僕等のお仕事は基本的に技術者が表に立ってると思っていたが違うらしい。


 少し考えてみると技術職では無く事務職なら入社した社会人が多いと表現した理由も想像出来た。


 僕はメールの続きに目を通す……ふむ。分かった。


 僕達みたいな技術者が表に立って会社を支えているのは合っている。しかし、外部の人が僕達の会社に訪れた場合……門の前に立つ警備の人が最初に会う人材だろう。


 だが、警備の人はセキュリティ会社と契約して働いてもらっている。なので、厳密には自社の正社員では無い。


 外部の人が最初に会う人物、それは受付係だ。


 玄関から入ると受付に要件を訪ね、用のある人物へ連絡が通る。そして、受付と言えばプログラムのような技術が必要ない。


 つまり……僕は今井カナを見て話しかける。


「もしかして、受付で内定貰った?」

「はい!」


 即答だった。僕達の会社で受付として内定を貰った今井カナが僕の部署に居る。


 この場に居るわけが無い人物に対して僕は少し混乱してきた。


「なんでこの部署に……?」


 分からない事、気になる事を僕は素直に尋ねる。


「えっとー、入社前の顔合わせで受付の子が沢山いるらしくてー。スーツ姿の神下部長が来たんですよ。そこで、技術者に興味ある子居ませんか? って言われたんだけど誰も居なくて……しょんぼりする部長が可愛そうだったから私が手を挙げてみた」


 あぁ……なるほど。想定を超える受付を何処に配属させるか悩んだ挙げ句、希望者を他部署へ移したと。


 その移った理由も神下部長が可愛そうだったから。


 苦労する性格の子という印象が強まった。今井カナは自らジョーカーを引きに行くような子で、希望が通ったにも関わらず他部署に移動した。


 何か困った事があったら、少しだけなら力になってあげても良いと感じる。


「受付に未練は無いの? やっぱり戻りたいなら僕が部長に言うよ?」

「んー。一応、手を挙げてみたし頑張ってみようかなって。あと、パソコンでしょ? それなら毎日使ってるし大丈夫だと思うよ」


 新社会人で受付希望の子だが大学で情報系の授業を学んでいたのかも知れない。もともと興味があるなら適正はある。


 僕は少し胸を撫で下ろした。


「気が変わったらなるべく早く教えてね」

「はーい」


 初めて出来た部下だから会社に居場所が無い状態を避ける為にも、事前に知る必要がある。何事にも備えが必要だと社会で僕は学んだ。


 最後までメールを読むことにする。


 僕の新しい部署での仕事内容が分かった。それは古いシステムを使っている電力会社の社員システムを新しいシステムに置き換える。リプレイス作業だ。元々動いているシステムを参考に出来るので闇雲に作業をしなくて済む。


 それに、開始時期は二ヶ月後の六月からと書いていた。それまで僕は準備を進める事になっている。


 本日の作業は使用するパソコンのセットアップとリプレイス案件の資料に目を通すだけだった。


 そして、一番気になる座席表もメールに添付されている。中を開くと部長の前の席……今パソコンを起動してメールを確認している席が今井カナとなっていた。


「あ、ここの名前! 私の席じゃん」

「そのようだ」


 僕が資料に目を通してセットアップけれど、もう一度パソコンの準備から僕の初日が始まるみたいだ。


「仕方ない。それでは、向かいの席が僕ってことで」


 僕はカバンが置いてある場所を自分の席にする事にしよう。一度やった作業だから二回目はすんなり終わるはずだ。


「え!? 隣でいいんじゃない?」


 パソコンの電源を入れようとしたら今井カナが提案した。


「だって、何か気になることがあったら直ぐ聞けると思う」


 協力することは大事だ。でも、別に近くにいるから尋ねる事は出来る。僕は気楽に気になった事があれば何でも聞いていいよと伝える前に今井カナは続きを喋った。


「向かいに居たら席立たないと行けないじゃん? 隣なら横を向くだけでいいし」

「……」


 確かにその通りだと納得してしまった。もしかしたら僕よりも技術者として適正があるかもしれない。


「そうするか」


 僕は最後まで読むと決めたメールに戻る。パソコンを先に起動させて続きを読もうとしていた。片膝を付いてパソコンの操作をしていたが、隣の席にある椅子を使えばもっと楽にモニターも見ることが出来る。


 僕はふと、大学で何の言語を学ぶのか気になった。これから使うプログラム言語の知識があるなら即戦力で間違いない。


「ちなみに、今井カナさんは大学でどの言語を学んでたの?」


 うっと痛いところを突かれたような仕草をしながら今井カナが教えてくれた。


「え、英語を少々」


 なんとまぁ。今年の新人は冗談が言えるくらいの大物だった。


「へぇー、英語ね」


 僕はメールの最後に追伸という文字を見つける。


 その内容は今日の今井カナが行う業務が記載されていた。


『新人の今井カナは全くのど素人なので、海外ドラマでも見させてあげて。許可は取ってあるから』


 海外ドラマを僕は見たことがない。そして、脳がメールの内容を理解したくないと拒んでいた。


「今井さん……家でもパソコン使ってるんだよね?」

「うん。使ってるよ。昨日も触った」


 僕は酷く業界に汚染されているかもしれない。家でパソコンを開いて何かプログラムを書いていると勝手に解釈していた。メールの内容にど素人と書いてある文字がまさかプログラムを書いたことのない素人……んなわけないか。


「昨日はパソコンで何してたの?」

「えー、そんな事が気になるんですか―? 特別に教えてあげましょう。『仮面先生の真実』ってドラマ見てたよ。先輩は知ってます?」


 あぁ、そのドラマなら知っている。何故ならば、僕の弟が主演で……って今はそうじゃない。


「習った言語は英語って言ってたよね?」

「……実は中国語も取ってましたが苦手のようで……」


 バツが悪そうな顔をしている。


 僕は悟った。要領の良さそうな子に内定を出したと。あえて優しく表現すると素直で人当たりの良い子を取った。


 悪く言えば見た目が良い――顔採用である程度の大学を卒業した子を捕まえた!


「大丈夫。僕は中国語を何も知らないから」

「安心したー。メールに海外ドラマ見てていいって書いてあるから無翻訳のドラマだと詰んでたー」


「まぁ、見てて。僕は作業するから」


 セットアップの準備を始めた僕を今井カナは不思議そうな表情で見ながら口を開く。


「え? 一緒に見ないの?」

「暇だったらな」


 この日、僕は二回目のセッティング作業を始めた。


 思いのほか待ち時間が発生して海外ドラマも面白かった。

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