お互いに
今井とは映画館で合う約束をしていたので僕は準備を整えて家を出た。
「先輩」
映画館の入り口に到着すると、今井が大手を振って駆け寄ってきた。
「私服とは珍しいですね」
「そりゃ、休日だからな」
「映画館までスーツで来る可能性はちゃんと持ってましたよ」
僕も流石に休日までスーツに腕は通さない。
映画館に行くのだから動きやすいカジュアルな服を着てきた。今井も初めて会った時のような私服を着ている。
「さ、チケットは買ってありますので、行きますよー」
映画館に行く事は決まっていた。そして、何を見るのかは今井セレクトである。埋め合わせという名目上、僕に決定権を主張する勇気がなく従うことにした。それにしても僕が遅刻する可能性を考慮されていない。リスクヘッジの観点が足りていない点は目をつぶった。
「さぁさぁ、先輩。今日見るのはこれです」
「うわぁ……苦手だわぁ」
恋愛映画やアクション映画。もしくはアニメの映画さえも想定していたが今回選ばれたのは意識外の作品だった。
ジャンルはホラー……夏に見るべき映画だろう。
ホラー映画は驚かす演出や恐怖心を煽る場面が苦手だ。偶にグロテスクな表現も急にくるから心臓に悪い。決して嫌いでは無いが苦手だ。
「カナが選んでいいって話を聞いてるもん。苦手でも付き合ってもらうからね?」
腰の引ける僕の腕を引いて今井は入り口まで軽快な歩みで進んで店員さんにチケットを渡した。そのチケットは特殊で事前に飲み物もセットで購入されている。
僕はウーロン茶を頼んで今井はオレンジジュースを手に持ち映画館へと足を踏み入れた。ただでさえこれからホラーを見るというのに映画館は暗くて雰囲気がある。
明るいところで見れば怖さも半減するのにと口に出しかけたが、ビビっていると思われるのも癪なので黙って席についた。よくある注意事項が流れて僕は半分諦め気味でスクリーンを見つめる。
今井は一人でこの映画を見る勇気が無かったのか、僕にホラーを見せたかったのか……結局のところ真意は知れなかった。
映画館でお喋りは厳禁だが今井が僕の耳元に口を運び吐息が聞こえる距離で『思ってたより怖い』って言った。正体不明の化け物から逃げ惑うタイプのホラー映画で今井は小さな悲鳴をあげたり、顔を手で隠す始末。
それじゃあ見れないだろうとツッコみたくなるが僕は目をそらさず映画を見終えた。
ウーロン茶を飲みながら見ていたが今井に関しては半分も飲めてなかった。
「今井さん。ホラーが得意で見たかった訳では?」
「普段見れない物に挑戦するのは大事だと強く思います!」
チャレンジ精神の塊だった。僕が思っていた以上に僕自身はホラー耐性があり、誘った本人が一番嫌がっている。
怖がる様子は見たことがなかったので、とても新鮮に感じた。
「今度はお買い物とか……服も見よう!」
気分転換を兼ねているのか友人との映画後は感想をお互い告げる醍醐味が学生時代にあったきがするけれど、今井の口からは二度とホラー映画の内容は出てこなかった。
「先輩はどんな服が好きですか?」
服屋のテナントを巡りながら今井に尋ねられた。服に求める物かぁ……夏ならば通気性を考える。しかし、いちばん大事なのは一つだ。
「着心地が良ければいいよ」
むっと睨まれた。
「先輩の着る服じゃありませーん。カナが着る服でーす」
僕の普段着では無く、女性が着る服を尋ねていたみたいだ。
「そっちか。そうだな……カナさんとやらが今着てる感じの服も好きだけど、ひらひらした服もいいんじゃないか?」
「ひらひら? ふむふむ。先輩はゴスロリチックな服装がお好みと……」
ちょうど目の前に合った服がゴスロリと言われるファッションだったらしい。僕は綺麗な服から連想して真っ先に思い浮かんだのがウェディングドレスだった。あれこそひらひらの最頂点だと思う。
そして、殆どの男性がウェディングドレスを着る女性が美しいと思うはずだ。少なくとも僕はそう思う。
では、どういう要素がそう思わせるのかを考えた。
ドレスに目立つのはひらひらとした装飾だと感じたのでそう伝えたつもりだが、ちゃんとは伝わっていない。
「肩とか出てるのも大きな要素かもしれないな」
「お、オフショルダー……カナが持ってないタイプだ」
スカートと比べても敷居は高くないと思っていたが今井は着たことが無いらしい。
「ふむふむ。先輩はオフショルダーでひらひらがお好き……露出が多めでゴスロリ!? 大丈夫先輩?」
「何を心配して大丈夫か尋ねられているのかは知らないけど、似合ってればなんでもいいよ」
僕がそのオフショルダーやゴスロリの服装を着ても変にしかならない。何故ならソレは似合ってないからだ。
だからこそ、似合う服ならなんでもいい。
「先輩にファッションセンスは無いっと……」
「む、失礼な後輩だな」
「だってー、その似合う服ってカナに似合う服を選んでくれてもいいのに」
「難易度が高いな。そういう意味では僕に人のファッションをセレクトするセンスは無いな」
素直に受け取る事にした。
僕にファッションの経験が少なくて力になれそうにない。元々は埋め合わせという名目で休日に出掛けていたはずだが、すっかり目的を忘れてしまっていた。ただ、二人で休日の街を散策しているだけになっている。
「もー、先輩は変な人です」
「突然そんな事を言われても否定したいが、何処が変なのか理解出来ていないから否定出来ないな」
「器用そうに見えてとっても不器用ですね。全く、女心も分かってないです。それじゃ、モテ無いですよ」
余計なお世話だ。
「お、見てください先輩。桜が散って禿げてます」
もう五月の始まりで満開を過ぎた桜は地面に落ちて散っていた。
春が終わりこれから夏が訪れる。今井が試験勉強に集中する間に暖かくなってきていた。
「先輩もいずれ禿げるのかな……」
「怖いことを口に出すでない。まだ二十代で若いんだからそんな未来の事を憂いでいては人生を楽しめない」
男性ホルモンの関係で頭は薄くなっていくらしい……いずれ来る遠い未来だ。その時に考える事にしよう。
「ホラー映画よりも怖かったぞ」
「先輩をからかうのは楽しいですね」
無邪気に笑う今井は意外と憎めない。
「そういう今井は可愛いな。今日はメイクにも一段と気合をいれたのか? いつもと雰囲気が違う」
僕はやり返すことにした。
「あと、初日に付けていた腕時計を久々につけているな。中の歯車が動くタイプだから機械時計だろう? それって意外と時間がずれたりするから大変だ。いつも遅刻することなく出社できている。まめに調整する子なんだろう。それに、意外と根性があって挑戦する姿勢には感心する」
初日以降は時計を腕につけていなかったから、恐らくカバンにでも入れていたのだろう。今日は出かけるからファッションとして腕につけている様子だ。他人といる時にスマホを見て相手を放置しない手段の一つとして時間を確認する時に携帯を触らないスタイルの子かも知れない。
何か無駄口を返すかと思っていたが今井は此方を見ずに何も言い返さなかった。
少し大人気なかったかと思った。もちろんやり返そうと思う気持ちは確かにあるが、素直に彼女に対する感想も含まれている。
この子を見ているとつい、応援したくなる。
「今井?」
いつまでも此方を見ず、禿げ散らかした桜を向く彼女の顔を覗いた。
「えっとー」
真っ赤だった。秋の紅葉に匹敵する真っ赤な顔に僕は言葉を失った。
「……知ってる」
彼女は呟く。その声は小さかったが、確かに僕の耳には届いていた。
「先輩。やっぱり、ううん。よく考えたんだけど、私は先輩が好きです」
突然の告白だった。社会人になって彼女を作っていない僕にはあまりの衝撃で言葉を失う。
「あの時は……遠回しだったからダメだと思った。だから、次は直接、口で伝えるの」
禿げ散らかした桜の並木は花見のシーズンを過ぎて人が居なかった。一ヶ月前なら人がごった返していたであろう場所で二人は向かい合う。
「先輩の言うとおり、初めは一目惚れ……でも、この一ヶ月で先輩はちゃんと私を見ていたと思う。それが後輩だから相手をしていただけかもしれない。だけど!」
勇気を振り絞る今井を僕は見守った。
「私が頑張る姿も素直に応援してくれるし、私が失敗した時も自分のことかのように重く受け止めてくれた。そういう人は滅多に居ないと思う。だから、その……えっと」
緊張のせいか今井は目が泳いでいた。言葉を探すように僕の顔や身体と視線は揺らぎ絞り出す様に声を出す。
「先輩と上手く行かなくても絶対に後悔しない。先輩が言った様に私はまだ社会に出たばっかりだし、トップアイドルでも無ければお金持ち出もない。ただの可愛い受付係になるはずだった一人」
テンパっている姿は見て取れるがそれでも、自己評価は正しく表現出来ていた。
「こんな私で良ければ付き合って下さい」
息をするのを忘れた。冷静な考えでは僕が過去に何か言ったらしい事は微かに分かるが、記憶にはない。その記憶が当てはまるのは初日の飲み会だけだ。お酒で失敗してから僕は許容利用を把握しているつもりだった。
でも、その時の僕は限界に達する判断をして未来の僕……そう、今の僕に先送りした。
まったく、興味がなければその場で断るであろう過去の僕は本当に性格がひねくれている。
「僕は君が思ってる程の人だとは思えない……社会に出たばっかりだから周りが見えて居ないだけだとも思う」
言いたいことが口から出ない感覚がもどかしい。美味しいものを笑顔で食べる顔や積極的に取り組む姿勢に僕はとっくに惹かれていた。
初めての後輩だからという理由かとも一時期思ったが、それならゴールデンウィークに二人で合う約束を守るわけもない。僕は僕がどういう人間か理解している。だから、先送りにする必要もない。
何より僕も今井カナという一人の女性が気になっていた。
「あまり、言葉が出てこないけれど。答えは単純だ。こんな僕で良ければ、こちらこそよろしくお願いします」
ふふっとお互いが顔を見合わせて自然と笑顔が溢れていた。
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